次ぎに来るときは、ランチを食べたいなぁ!
読んでいる本は、前回も紹介した『華のかけはし 東福門院徳川和子』
時間がかかっています(^^ゞ
梓澤要さんの本は、これまで『捨ててこそ空也』、『荒法師 運慶』読んでいますが
途中、何度か休憩しながら時間をかけて読んでいます。
一気に読み終わるのがもったいない!と思いながらゆっくりと読んでいました。
梓澤さんが「あとがき」に書かれているのが
「乱世からようやく脱した平和な世になった江戸時代初期、後水尾天皇と東福門院は相克を乗り越え、融和と協調のなかから豊かな文化を熟成させました。
そのふたりを描くことが時代を映し出すことになれば、そう願って書きました。」 西陣 静香
西陣最古の喫茶店
…前略…
静香の創業は日中戦争さなかの1937(昭和12)年。
西陣界隈ではもっとも古い喫茶店だ。
先斗(ぽんと)町の芸妓さんが始めた住居兼店舗を宮本良一さん夫婦が買い取って、全面店舗に大改装したという。
静香という店名は、もともとのあるじの名にちなんでいる。
織物産業の景気がよかった時代には、西陣の旦那衆や、すぐ近くの花街・上七軒の芸妓さんで賑わい、サロンのような雰囲気だったそう。
(『愛しの京都<純喫茶>』甲斐みのり オレンジページ 2025年)
お店に入ったときもお客さんとお店の方が談笑されていました。去年、5月に訪ねた「千本釈迦堂 大報恩寺」を再び訪ねました。
と言うのも前回、おかめさんの姿に見とれて「おかめ塚」を見落としていたのです(^^ゞ
応仁の乱で周りはすべて焼き尽くされたのに
本堂だけは戦火を免れたのはおかめさんが守ったと思っています。 南へ
阿亀
千本通を西に渡ってすこし行くと、千本釈迦堂に出る。
このお寺、「仏像の宝庫」とも言われるらしいのだが、わたしのお目当ては境内の隅っこの「おかめ塚」。
本堂を建てた棟梁が柱の寸法をまちがえ、さてどうしたものかと思い悩んでいるとき、妻の阿亀(おかめ)が妙案を思いつく。
で、本堂はめでたく完成したのだが、阿亀、女房の知恵入れで無事建ったことが知れては夫の名がすたれると自害する。
夫を立てて死んだその阿亀を祀ったのが「おかめ塚」だ。
家庭円満・普請成就・多福招来の願がどっさり掛けられている。
棟梁の妻ということもあって、寄進者は大林組や清水建設、錢高組やミラノ工務店といった業界筋ばかりだ。
最近は「ぼけ封じ」の札所にもなっている。
同行者に教えてもらったのだが、女子便所にはセンサーではげしく水の流れる音を流して、若い女性たちのむだな水使いを避けている。
これもおかめの知恵にあずかったものか。
(『京都の平熱―哲学者の都市案内』鷲田清一 講談社学術文庫 2013年) 京都の女のひとと言えば、葬式でときどき粋な喪服を見かける。
もちろんきものは黒一色なのだが、帯を結んだそのお太鼓の部分に、白い墨「夢」とうっすら手書きしたものを召している。
葬式で「夢」というからには、人生の儚さ、あるいは人生はしょせん夢のごときものだという想いが込められているのだろう。
哀しみのなかで凜として背筋を伸ばす、その雰囲気のなかに浮かび上がる「夢」の文字、ぼんさんの説教よりもきりっとして、はるかに趣が深い。
京都の女(ひと)というのは思い切りがいいな、ともおもう。
(本堂)
思い切りがいいのは、彼女たちがじぶんのために生きていると言うより、世のさだめを最後に引き受けてきたひとたちだからかもしれない。
とはいえ、正直なところ、京の女人にはもうちょっと軽いところがあってもいいのに、とはおもう。
ほんとうにしっかりものなのだ。
女のひとがしっかりしているぶん、男は抑えつけられながらも「極楽とんぼ」でいられるかけで、さて、これは幸か不幸か……。
とはいえ、正直なところ、京の女人にはもうちょっと軽いところがあってもいいのに、とはおもう。
ほんとうにしっかりものなのだ。
女のひとがしっかりしているぶん、男は抑えつけられながらも「極楽とんぼ」でいられるかけで、さて、これは幸か不幸か……。
(北野経王堂願成就寺「洛中洛外図屏風 北野経王堂願成就寺」国立民族博物館)
わたしが大学で数学を習った森敦先生は、大阪で育ち東京で学ばれた。
その先生が北海道大学で教鞭をとったのち、京都大学に赴任されて、その風土に驚愕された話を読んだことがある。
いつものように京阪電車で通勤していたときのこと、向かいの席に座っていた男の子が同じく小学生のお姉さんに、ふてくされた顔をしてなにやら愚痴をこぼしている。
学校でのいざこざのことみたい。
気になってつい耳を向けると、姉は周囲をはばかるような小さな声で弟にこう諭していたという。
「あんまりほんまのことを言うもんやないえ」。
京都では十歳ほどですでにまぎれもないおんななのである。
その先生が北海道大学で教鞭をとったのち、京都大学に赴任されて、その風土に驚愕された話を読んだことがある。
いつものように京阪電車で通勤していたときのこと、向かいの席に座っていた男の子が同じく小学生のお姉さんに、ふてくされた顔をしてなにやら愚痴をこぼしている。
学校でのいざこざのことみたい。
気になってつい耳を向けると、姉は周囲をはばかるような小さな声で弟にこう諭していたという。
「あんまりほんまのことを言うもんやないえ」。
京都では十歳ほどですでにまぎれもないおんななのである。
(山名陸奥大守氏清之碑)
そういえば、わたしの息子が幼稚園児のとき、なんとも可愛げのない台詞を友だちに言ったらしい。
その友だちの母親がそっと教えてくれた。
息子は子どもどうしでテレビ・ゲームのようなことをしていたらしい。
そのとき息子がこう言ったという。
「もうちょっと実のあること、せえへんか」、と。
場所の霊(ゲニウス・ロキ)とは、げに恐ろしきものである。
いまも息子は、わたしよりおとなである。
周りのものもわたしより息子の判断力のほうをはるかに信用している。
その友だちの母親がそっと教えてくれた。
息子は子どもどうしでテレビ・ゲームのようなことをしていたらしい。
そのとき息子がこう言ったという。
「もうちょっと実のあること、せえへんか」、と。
場所の霊(ゲニウス・ロキ)とは、げに恐ろしきものである。
いまも息子は、わたしよりおとなである。
周りのものもわたしより息子の判断力のほうをはるかに信用している。
(不動明王堂)
ついでにもう一つ。
小学生の頃、わたしの通っていた下京の醒泉(せいせん)小学校は全国小学校合唱コンクールで第一位の栄冠に輝いた。
他の県の代表がみな混声だったのにわが小学校はみごとなまでに女声だけで構成されていた。
合唱部の女生徒たちは朝の六時半くらいから音楽室で練習をしていた。
男生徒にはそれは苦行・修行としか見えなかった。
音楽の時間も、男生徒がだらだらし統制を乱すので、「運動場でも行ってなさい」と追い出された。
男生徒が遊んでいるあいだ、女生徒だけで全国制覇をなしとげたのだった。
「極楽とんぼ」は古来、「おんな」が産んできたのである。
小学生の頃、わたしの通っていた下京の醒泉(せいせん)小学校は全国小学校合唱コンクールで第一位の栄冠に輝いた。
他の県の代表がみな混声だったのにわが小学校はみごとなまでに女声だけで構成されていた。
合唱部の女生徒たちは朝の六時半くらいから音楽室で練習をしていた。
男生徒にはそれは苦行・修行としか見えなかった。
音楽の時間も、男生徒がだらだらし統制を乱すので、「運動場でも行ってなさい」と追い出された。
男生徒が遊んでいるあいだ、女生徒だけで全国制覇をなしとげたのだった。
「極楽とんぼ」は古来、「おんな」が産んできたのである。
(山名氏清<明徳期> 山名宗全<応仁期> 念持佛 不動明王尊)
鴨さんが紹介していたお店のことを鷲田さんも書いています。
上七軒界隈
…前略…
受験の季節になると梅が満開になる。
子どものときは参道の夜店が目当て、高校生のときは周りにある地図屋や食いもん屋を目当てにしばしば通った。
そんなわたしが天満宮の東門のところで踵を返し、斜めに通る上七軒をぶらぶら歩くことになる。
言ってみれば、ここは京の北西の祇園みたいなところで、置屋さんがずらりと並ぶ。
料理屋さんも並ぶが、わたしが毎年、夏になると訪れるのは、「老松」という和菓子のお店である。
ここの夏柑糖(なつかんとう)は、甘い物が苦手なわたしが京都でいちばん気に入っているお菓子である。
夏みかんの中をくり抜いて、そこに果汁と寒天を混ぜたゼリーを入れる。
甘みは控えめで、野生のみかんをおもわせる。
まろやかだけれどもきりっとした風味がある。
これに使う夏ミカンは日本古来の種で、山口県の萩と、和歌山県の農家でこのゼリーのためにだけ栽培されているそうだ。
1個1470年、7月になると、わたしはこれを、遠くに住む知人に季節の挨拶代わりに送る。
(『京都の平熱―哲学者の都市案内』鷲田清一 講談社学術文庫 2013年)
「夏柑糖」(Instagram)
式子内親王、阿亀を訪ねて最後に見上げたのは上七軒界隈
…前略…
受験の季節になると梅が満開になる。
子どものときは参道の夜店が目当て、高校生のときは周りにある地図屋や食いもん屋を目当てにしばしば通った。
そんなわたしが天満宮の東門のところで踵を返し、斜めに通る上七軒をぶらぶら歩くことになる。
言ってみれば、ここは京の北西の祇園みたいなところで、置屋さんがずらりと並ぶ。
料理屋さんも並ぶが、わたしが毎年、夏になると訪れるのは、「老松」という和菓子のお店である。
ここの夏柑糖(なつかんとう)は、甘い物が苦手なわたしが京都でいちばん気に入っているお菓子である。
夏みかんの中をくり抜いて、そこに果汁と寒天を混ぜたゼリーを入れる。
甘みは控えめで、野生のみかんをおもわせる。
まろやかだけれどもきりっとした風味がある。
これに使う夏ミカンは日本古来の種で、山口県の萩と、和歌山県の農家でこのゼリーのためにだけ栽培されているそうだ。
1個1470年、7月になると、わたしはこれを、遠くに住む知人に季節の挨拶代わりに送る。
(『京都の平熱―哲学者の都市案内』鷲田清一 講談社学術文庫 2013年)
「夏柑糖」(Instagram)
歌舞伎踊りを始めた謎の女 出雲阿国(いずものおくに)
北野神社で大喝采を受けた後、突然京の都から失踪
…前略…
歌舞伎踊りの始祖(しそ)といわれる阿国は、江戸初期に実在したが、生まれも死も定かではない、まさに謎の女性。
出雲大社の巫女(みこ)とも鍛冶(かじ)職人の娘であったともいうが、はっきりとはしない。
また四条河原は阿国以降、芝居小屋が建ち並び、歌舞伎発祥の地となった。
天正(てんしょう)15(1587)年10月1日、天下を治めた豊臣秀吉は北野神社境内で大茶会を催した。
その翌年、秀吉のお伽衆(とぎしゅう)の屋敷で阿国一座が上演し、そして天正19(1591)年、北野の森・右近の馬場でややこ踊りを興行した。
「ややこ」とは赤ん坊のことだが、おそらく阿国が子どものような可愛い仕草で踊ったののだろう。
そのとき、阿国は二十歳前後の美しい盛り、揺れる黒髪が艶(あで)やか小袖に似合い、阿国の舞姿は人々を魅了した。
北野の森は大勢の見物客で賑わいを見せたのだった。
だがその後、阿国の姿はプッツリと観衆の前からも、京からも消えてしまった。
(『京を彩った女たち』川端洋之文、中田昭写真 学研グラフィックブックス 2004年)
「阿国歌舞伎図屏風」(京都国立博物館)











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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m