大阪は、21日で終了しましたが、東京で7月4日から開催されます。
秋の花々
昭和28(1953)年 個人蔵
《すいれんの池》(昭和24(1949)年 福岡県立美術館)と並ぶ最大級の作品であり、雲仙岳と有明海の干潟を背景に、ハゲイトウやカンナ、コスモスなどの秋を彩る花々が所狭しと咲き誇る。
花々の色彩は眩しいほどに鮮やかで妖艶な雰囲気さえある一方で、背景の海と山はぼんやりとした印象であり、そのコントラストが絶妙である。
本作は、知人を頼って福岡に長期滞在して際に手掛けた作品であり、その後個展に出品されたのち、大学時代の友人の手に渡った。
大正14(1925)年 三鷹市美術ギャラリー
ケシの花の花弁や葉の表情が、細部に至るまで精緻に捉えられている。
深く赤い色をした花、うねりながら天へ向かって伸びていく茎、陰影が強調された葉の表現によって、粘り気のある妖艶な雰囲気が濃厚に漂う作品へと仕上げられている。
ケシの花の、妖しいまでの魅力や情念を込めようとしたのかもしれない。
本作は、野十郎と東京帝大時代から長らく懇意にしていた農学者・香川冬夫(1892生)の旧蔵作品である。
5歳くらいの男の子とお父さんが熱心に見ていました。昭和28(1953)年 個人蔵
《すいれんの池》(昭和24(1949)年 福岡県立美術館)と並ぶ最大級の作品であり、雲仙岳と有明海の干潟を背景に、ハゲイトウやカンナ、コスモスなどの秋を彩る花々が所狭しと咲き誇る。
花々の色彩は眩しいほどに鮮やかで妖艶な雰囲気さえある一方で、背景の海と山はぼんやりとした印象であり、そのコントラストが絶妙である。
本作は、知人を頼って福岡に長期滞在して際に手掛けた作品であり、その後個展に出品されたのち、大学時代の友人の手に渡った。
けし
大正14(1925)年 三鷹市美術ギャラリー
ケシの花の花弁や葉の表情が、細部に至るまで精緻に捉えられている。
深く赤い色をした花、うねりながら天へ向かって伸びていく茎、陰影が強調された葉の表現によって、粘り気のある妖艶な雰囲気が濃厚に漂う作品へと仕上げられている。
ケシの花の、妖しいまでの魅力や情念を込めようとしたのかもしれない。
本作は、野十郎と東京帝大時代から長らく懇意にしていた農学者・香川冬夫(1892生)の旧蔵作品である。
お父さんが撮していたスマホの画面を男の子が見ていました。
昭和23(1948)年以降 福岡県立美術館
(気になったのは、まわりに散らばったサクランボ)
昭和23(1948)年以降 光本巧子氏蔵
鬱蒼とした林の中に、まばゆいほどの光を放つ太陽が描かれている。
野十郎は月の連作に加え、太陽の連作にも取り組んでいるが、樹々を前景に描き、その向こうから放たれる太陽の光にフォーカスした本作では、ある種の神々しさすら込められているようである。
本作は、野十郎と旧制八高の同級生であった笠原彌一郎の娘であり、野十郎とは世代を超えた繋がりがあった奥山教子(1922生)の旧蔵作品。
今も遺族の元で愛蔵されている。
(気になったのは、まわりに散らばったサクランボ)
林中の太陽
昭和23(1948)年以降 光本巧子氏蔵
鬱蒼とした林の中に、まばゆいほどの光を放つ太陽が描かれている。
野十郎は月の連作に加え、太陽の連作にも取り組んでいるが、樹々を前景に描き、その向こうから放たれる太陽の光にフォーカスした本作では、ある種の神々しさすら込められているようである。
本作は、野十郎と旧制八高の同級生であった笠原彌一郎の娘であり、野十郎とは世代を超えた繋がりがあった奥山教子(1922生)の旧蔵作品。
今も遺族の元で愛蔵されている。
携帯用のイーゼルと絵具箱(遺品類)
蓮華
明治37―42(1904―09)年頃 個人蔵
福岡県立中学明善校在学時に手掛けたと考えられる本作では、画面の手前に蓮華の花や葉を大きく丁寧に描き、霞のかかった遠景に、仏塔とおぼしきものをシルエットで描いている。
いささか稚拙な筆致でありながらも、現実世界と非現実世界のあわいのような風景が展開されている。
「泥中(でいちゅう)の蓮(はちす)」という言葉もあるとおり、仏教では蓮華は悟りの象徴とされてきた。
初期の頃から彼が仏教に強い関心をもっていたことを鮮明に伝える作品である。
法隆寺塔
昭和33(1958)年 個人蔵
(この画像では分かりにくいのですが
左下に穏やかな日ざしの中を散歩する母と小さな女の子が描かれていました)
昭和40(1965)年 個人蔵
糸のように細い雨が降り注ぐ《雨 法隆寺塔》に対し、晴天の《法隆寺塔》。
主題と構図を同じくするこれらの作品は、単に法隆寺の五重塔という仏教性を担う対象を描いたというだけでなく、陰陽二元論的な思想を込めた対作品として構想されたものであろう。
晴と雨に限らず、生きた花と枯れた花、朝と夕、月と太陽など、野十郎の絵には二元論的な発想が随所に垣間見られ、様々な形をとりながら絵の中に遍在している。
(この画像では分かりにくいのですが
左下に穏やかな日ざしの中を散歩する母と小さな女の子が描かれていました)
雨 法隆寺塔
昭和40(1965)年 個人蔵
糸のように細い雨が降り注ぐ《雨 法隆寺塔》に対し、晴天の《法隆寺塔》。
主題と構図を同じくするこれらの作品は、単に法隆寺の五重塔という仏教性を担う対象を描いたというだけでなく、陰陽二元論的な思想を込めた対作品として構想されたものであろう。
晴と雨に限らず、生きた花と枯れた花、朝と夕、月と太陽など、野十郎の絵には二元論的な発想が随所に垣間見られ、様々な形をとりながら絵の中に遍在している。
海辺の秋花
昭和28(1953)年頃 個人蔵
海を背景に、コスモスやハゲイトウ、マリーゴールドなどの秋の花々が美しく咲き誇る一方で、絵の中でひときわ目を引く存在が、2輪の枯れたヒマワリである。
夏に盛りを迎えていたであろうこの花も、季節が巡れば枯れてその命を終える。
しかしながら、枯れた花の種が地中に根付き、また次の夏が来る頃には美しい花を咲かせる。
命あるものはいつか果てるが、また次の命となって生まれ変わるという永遠の輪廻転生を主題にしたのかもしれない。
『遺稿ノート』 福岡県立美術館
野十郎の絵に対する考えや、旅先で詠んだ詩歌などがランダムに載っている。
このノートが書かれた時期はわかっていない。
このノートが平成12(2000)年に見つかったことで、野十郎の写実が仏教的な考えに基づくものであったことが明確に判明した。
海を背景に、コスモスやハゲイトウ、マリーゴールドなどの秋の花々が美しく咲き誇る一方で、絵の中でひときわ目を引く存在が、2輪の枯れたヒマワリである。
夏に盛りを迎えていたであろうこの花も、季節が巡れば枯れてその命を終える。
しかしながら、枯れた花の種が地中に根付き、また次の夏が来る頃には美しい花を咲かせる。
命あるものはいつか果てるが、また次の命となって生まれ変わるという永遠の輪廻転生を主題にしたのかもしれない。
『遺稿ノート』 福岡県立美術館
野十郎の絵に対する考えや、旅先で詠んだ詩歌などがランダムに載っている。
このノートが書かれた時期はわかっていない。
このノートが平成12(2000)年に見つかったことで、野十郎の写実が仏教的な考えに基づくものであったことが明確に判明した。
昭和33年 油彩・画布 個人蔵
(こちらにもサクランボが転がっていました)
昭和40年
油彩・画板
東京大学医科学研究所
花瓶に生けた友禅菊の美しく生命感にあふれる姿を描いている。
野十郎が好んで絵の中で用いる桃色の色彩とも相まって、絵には愛らしい雰囲気が充満している。
友禅菊は明治時代にアメリカから渡来した園芸用植物であり、友禅染のような美しい色の花を密に咲かせることを特徴とする。
花は小さく可憐な印象である一方で、ほぼすべての花が等しくこちらを向いている圧巻の様子に目を奪われる。
壺の手前には翡翠(ひすい)のような玉が一つ置かれている。
(こちらにもサクランボが転がっていました)
友禅菊
昭和40年
油彩・画板
東京大学医科学研究所
花瓶に生けた友禅菊の美しく生命感にあふれる姿を描いている。
野十郎が好んで絵の中で用いる桃色の色彩とも相まって、絵には愛らしい雰囲気が充満している。
友禅菊は明治時代にアメリカから渡来した園芸用植物であり、友禅染のような美しい色の花を密に咲かせることを特徴とする。
花は小さく可憐な印象である一方で、ほぼすべての花が等しくこちらを向いている圧巻の様子に目を奪われる。
壺の手前には翡翠(ひすい)のような玉が一つ置かれている。
睡蓮
昭和50(1975)年 福岡県立美術館
スイレンの白い花が咲く水面をクローズアップして描く本作は、野十郎の絶筆となった作品である。
絵の中心を設けず、どの花にも葉にも、また水に映り込んだ影にさえも、等しく画家のまなざしが注がれているようだ。
正方形という、野十郎には珍しい画面の形がそれを助長しているのかもしれない。
画面の外へ向かって、無限の広がりを感じさせるこの穏やかな境地こそ、絵描きとしての生をまっとうした野十郎がたどり着いた場所であった。
昭和50(1975)年 個人蔵
太陽の中心部は光源の塊を示すかのように絵具を厚く盛り上げ、そこから周囲に細い線を放射状に描くことで、光の広がりを表現している。
さらにその周囲の青い空には、青や緑だけではなく、黄色やオレンジ、白などの色が点描で置かれ、様々な色が溶け合っては青い空に溶け、無限に広がっていく様子が見事に表現されている。
太陽の逆光を受けた松の木はシルエットで表されているが、まるで太陽を優しく包み込むようでもある。
スイレンの白い花が咲く水面をクローズアップして描く本作は、野十郎の絶筆となった作品である。
絵の中心を設けず、どの花にも葉にも、また水に映り込んだ影にさえも、等しく画家のまなざしが注がれているようだ。
正方形という、野十郎には珍しい画面の形がそれを助長しているのかもしれない。
画面の外へ向かって、無限の広がりを感じさせるこの穏やかな境地こそ、絵描きとしての生をまっとうした野十郎がたどり着いた場所であった。
太陽
昭和50(1975)年 個人蔵
太陽の中心部は光源の塊を示すかのように絵具を厚く盛り上げ、そこから周囲に細い線を放射状に描くことで、光の広がりを表現している。
さらにその周囲の青い空には、青や緑だけではなく、黄色やオレンジ、白などの色が点描で置かれ、様々な色が溶け合っては青い空に溶け、無限に広がっていく様子が見事に表現されている。
太陽の逆光を受けた松の木はシルエットで表されているが、まるで太陽を優しく包み込むようでもある。
林辺太陽
昭和42(1967)年 東京大学医科学研究所 「林辺太陽」と「満月」(1963年)は、
野十郎が医科学研究所附属病院に入院したことがあり、そのご縁で寄贈されたそうです。
(東京大学美術作品展 広報誌「淡青」38号より)
野十郎とは関係がありませんが(^^ゞ
〝漱石より学生から愛された「ヘルン先生」の読みやすい草稿&蔵書 東大の宝(第5回)〟(2026年3月24日)という記事もあります。
月と蝋燭
光と闇
蝋燭や月、太陽をテーマにした連作は、野十郎の画業を最も特徴づけるものである。
蝋燭の作品は、ほとんどがサムホールという非常に小さな画面に描かれている。
個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物であったという。
また、太陽の作品は、朝や夕方の情景であったり、空で激しく光を放つ光景であったりと様々であるが、光そのものが、様々な鮮やか色の粒に置き換えられ、あたり一面を温かく包み込むかのように広がっては、幻と消えていくその様子を描こうとしているようである。
また月の作品は、晩年に千葉県柏市の静かな田園の中で暮らすようになってから徐々に変化を遂げた。
最初は月夜の風景を捉えていたのが、だんだんと周囲の風景が捨象され、ただ暗闇に輝く満月だけを描くという、きわめてストイックな画面へと変化していくのである。
これらの作品に刻み込まれた永遠に消えることのない光は、画面を超えて、我々の心をも照らし出すようだ。
交錯する光と闇が織りなすこれらの作品群は、野十郎芸術の真骨頂である。
(「没後50年 髙島野十郎展」公式図録 まいにち書房)
レイモン・デュシャン=ヴィヨン光と闇
蝋燭や月、太陽をテーマにした連作は、野十郎の画業を最も特徴づけるものである。
蝋燭の作品は、ほとんどがサムホールという非常に小さな画面に描かれている。
個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物であったという。
また、太陽の作品は、朝や夕方の情景であったり、空で激しく光を放つ光景であったりと様々であるが、光そのものが、様々な鮮やか色の粒に置き換えられ、あたり一面を温かく包み込むかのように広がっては、幻と消えていくその様子を描こうとしているようである。
また月の作品は、晩年に千葉県柏市の静かな田園の中で暮らすようになってから徐々に変化を遂げた。
最初は月夜の風景を捉えていたのが、だんだんと周囲の風景が捨象され、ただ暗闇に輝く満月だけを描くという、きわめてストイックな画面へと変化していくのである。
これらの作品に刻み込まれた永遠に消えることのない光は、画面を超えて、我々の心をも照らし出すようだ。
交錯する光と闇が織りなすこれらの作品群は、野十郎芸術の真骨頂である。
(「没後50年 髙島野十郎展」公式図録 まいにち書房)
大きな馬
原型制作 1914年/鋳造 1966年
レイモン・デュシャン=ヴィヨンは、兄にジャック・ヴィヨン、弟にマルセル・デュシャンを持つアーティストです。
特に、三男のマルセル・デュシャンが既製品にわずかに手を加えて提示した「レディメイド」の作品は、今日広く知られていますが、三兄弟はいずれもアーティストでした。
キュビスムを志向した、ビュトー派の中心的存在としても知られています。
1914年に集中的に制作された《馬》の連作は、高い評価を得ました。
多くの習作の制作を経て、レイモンは高さ44cmの石膏モデルを完成させましたが、自ら鋳造を果たすことはかなわず、1918年に42歳の若さで早逝します。
ジャック・ヴィヨンとマルセル・デュシャンは《馬》の拡大制作というレイモンの遺志を実現すべく、1931年にヴィヨンが100cmヴァージョン、1966年にデュシャンが155cmヴァージョンを拡大鋳造しました、
本作品は後者、デュシャンが拡大鋳造したものにあたります。
1900年パリ万博の機械館で、機械の圧倒的な力に感銘を受けたレイモンは、未来主義にも刺戟されて、馬の生命力の飛躍を機械のダイナミックな運動に重ね合わせて表現しました。
機械の部品や、機関車の一部のような形をした胴体や脚がその証左といえるでしょう。
お昼は、天満橋で「青椒肉絲定食」にしました(^_^)v
「没後50年 髙島野十郎展」の公式図録を購入したのですが、
テーブルに載せるには大きすぎる
19日が桜桃忌だったので電車の中などで『回想の太宰治』を再読していました。
津島美知子さんと出会っていなかったら
「富嶽百景」、「女生徒」、「駈込み訴へ」、「走れメロス」、「新ハムレット」、「正義と微笑」、「右大臣実朝」、『津軽』、「新釈諸国噺」、『お伽草紙』など中期の名作は生まれなかったと思うのですが…
歳を取ったせいか太宰治の中期の作品が好きです(^。^)
久しぶりに入ったのがパナンテ京阪天満橋にある「朝陽閣」天満橋にやってきたのは、妹の入院中、仏壇に供える花に代わるものはないかなと探していました。「没後50年 髙島野十郎展」の公式図録を購入したのですが、
テーブルに載せるには大きすぎる
19日が桜桃忌だったので電車の中などで『回想の太宰治』を再読していました。
津島美知子さんと出会っていなかったら
「富嶽百景」、「女生徒」、「駈込み訴へ」、「走れメロス」、「新ハムレット」、「正義と微笑」、「右大臣実朝」、『津軽』、「新釈諸国噺」、『お伽草紙』など中期の名作は生まれなかったと思うのですが…
歳を取ったせいか太宰治の中期の作品が好きです(^。^)
綺麗な花があるなとお店の方にお聞きすると仏花にもなるそうです。
妹に電話をして希望の花の色を聞いて購入しました(右側の「ガラスボトルフラワー」)。
たまたま1週間限定のイベントに出会いました(^_^)v
6/16(火)~22(月)「ateliercrea_takarazuka」(Instagram)






















こんばんは~
返信削除高島野十郎展、たくさんの絵画展示があったのですね。
「さくらんぼ」お皿に載せていなくてテーブルクロスの上に。。
そのままに。。が、いいですね。(#^.^#)
妹様、入院されていたのですか。
ガラスボトルフラワー、とてもいいと思います。
きっとお喜こびになられたことと想像します。。
妹様、どうぞお大事にされてください。