目的地に着くと、なんと、去年5月、帰りのバスに乗った停留所の手前だった… 般舟院(はんじゅういん)
…前略…
寺の西側に般舟院陵がある。
後土御門天皇の妃で後柏原天皇母源朝子の陵で、領域にはその他の皇妃たちも葬られている。
陵は寺ととともに伏見から移されたものである。
…後略…
(『京都府の歴史散歩<上>(旧版)』山本四郎 山川出版社 1995年) 後土御門天王後宮
贈皇太后朝子
般舟院陵
後花園天皇分骨所
後花園天皇後宮嘉楽門院藤原信子墓
後土御門天皇分骨所
後奈良天皇分骨所
後土御門天皇皇子尊傳親王墓
後柏原天皇後宮豊楽門院藤原藤子墓
後水尾天皇皇子高仁親王墓
後水尾天皇皇女菊宮墓
後光明天皇皇女孝子内親王墓
後西天皇皇女女二宮墓
櫻町天皇皇女盛子内親王墓
光格天皇皇子禮仁親王墓
光格天皇皇女壽賀宮墓
(案内板の文字が薄くなっていたので間違っているかもしれません。
そうでなくても転記間違いをおこします(^_^;
読んでいる本に関わりのある名前も見られました) 般舟院陵(はんしゅういんりょう)石仏
千本今出川交差点より東へ数歩のところに般舟院陵の門がみえる。
その奥まった土塀のなかに後土御門天皇典侍源朝子(後柏原帝母)陵をはじめ、室町時代の多くの皇妃の墓があって、扉のすきまからのぞくと、宝篋印塔・宝塔・無縫塔などの墓石が並んでいるのがみえる。
(『京の石造美術めぐり』竹村俊則著、加登藤信撮影 京都新聞社 1990年) 石仏はこの御陵の左にあって、樹木の生い茂る一堆の古塚を背にして数体が並んでいる。その中央の石仏がもっとも大きく、高さ1.4メートル、花崗岩製。
舟形の厚肉彫りとし、両手を前でむすんで蓮華座に座する定印の阿弥陀如来坐像である。
今はかなり磨滅しているが、豊かな体躯は鎌倉時代の特色をあらわしている。 また、左右に並ぶ小石仏は阿弥陀以外に薬師・地蔵などもみられ、他所にあったものをここに寄せあつめたものと思われる。 この塚は古来、後白河天皇の皇女式子(しょくし)内親王の墓とつたえ、また一に「定家葛(ていかかづら)の墓」ともいわれる。
それは式子内親王の墓に藤原定家の恋愛の執心が、葛となって巻きついたという伝説によるもので、これをもとに謡曲「定家」がつくられ、一躍有名になった。『応仁記』巻三にも「千本ニ両観喜寺、コノ寺ニ定家葛ノ墓アリ」と紹介され、室町時代の頃からの伝承であることが想像される。
両観喜寺は応仁の乱に廃絶した。
このとき境内にあった定家葛の塚のみが残ったものであろう。
石仏群も観喜寺の遺仏とみられる。
この石仏の魅力は繁華な市街の中にあって、千年近い歴史を秘めているところにある。
(『京の石造美術めぐり』竹村俊則著、加登藤信撮影 京都新聞社 1990年)
「都名所図会 般舟三昧院 (般舟院)」(国際日本文化研究センター)瓦屋根に鬼瓦と唐獅子かな?
どんなに偉いお方がきても(^_-) 浄土院 浄土宗
(湯たく山茶くれん寺)
天台宗の般舟院(はんじゅういん)の隠居所として宗印が開基したとされる。
本堂に安置されている本尊*阿弥陀如来像(重要文化財)は永長元年(1096)の銘をもつ木像漆箔で僧・寂能の作である。
豊臣秀吉が天正15年(1587)に開いた北野の大茶会の途中に立ち寄り、庵主に茶を所望したところ、二杯目も所望されたため、庵主は自分の未熟なお茶を出し続けるのは失礼と考え、この寺に湧き出る銀水の白湯を出し続けた。
秀吉は庵主の思いを悟り、
「お茶を頼んでいるのに白湯ばかりだし お茶をくれん」
と笑ったといわれており、その後「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられている。
本堂屋根には、安土桃山時代の陶工で楽家初代の長次郎作の寒山・拾得像の焼物が据えられている。
京都市中には、入れませんでしたが
「豊公遺跡湯たく山茶くれん寺浄土院」(フィールド・ミュージアム京都)
「初代長次郎<生年不詳~天正17(1589)>」(樂美術館)
「収蔵品紹介ページ」(樂美術館)
12時前になったので、 どこかでお昼を食べたいなと通りを歩いているといっぱい鬼瓦などが乗っていたのですが、
その中に 鍾馗(しょうき)さんが睨んでいました(^_-)
京都の屋根に3000体!
鍾馗さんが多い場所
京都でも鍾馗さんが特に多いのは、古い町家が残る地域と、祇園町や上七軒、宮川町などの花街。
また、他地域とちがい、京都では小屋根の上に置かれている。
つくられた年代も違えば瓦職人も違うので、鍾馗さんは実にさまざまな姿をしている。
睨みつける目、豊かなヒゲ、せり出したお腹は共通項だが、どれもが個性的でユーモラス。
そんな鍾馗さんを探して歩くのは愉しいが、くれぐれもそこに住む人のものであることを忘れずに、節度をもって見ることが大切。
(『京都のツボ 識れば愉しい都の素顔』柏井壽 集英社 2016年)
暑い中を歩いてきたので活を入れようと「カレー肉丼」にしました(^_^)v
鰹だしベースのカレーにお味噌汁が合っています!
小鉢(今回は、高野豆腐)にあと、丼に隠れていますが漬物がついています。外で席が空くのを待っていると
中学生らしい生徒が4~5人出てきました。
揃ったところでタクシーの女性運転手さんが生徒達を連れていきました。
思わずこの子たち幸せだなと思いました。
庶民が利用する食堂に案内してもらって少人数でお昼を食べるなんて羨ましいなぁ!
私の中学や高校の頃は、大食堂で同じメニューの食事でした。「京・北野上七軒 うどん・そば ふた葉」で、お昼をいただきました(^_^)v
店内は、観光客よりも地元の方が多いように思いましたお土産に和菓子と思うのですが、暑くなってきたので諦めています。
このお店のことを鴨さんが紹介しています(画像は省略)。
「夏を前に夏柑糖 老松さん」(2012年7月1日 日曜日)
北野天神から今出川通りに向かう静かな街並み。
京都の花街のひとつ、上七軒です。
その通りに面して静かな佇まいをみせている京菓子屋さん・・・
「老松」さん。
以前、蓮根餅をご紹介しましたが今日から7月、祇園祭も吉符入り。
今夜から鉾町では祇園囃子の音が聞かれるようになります。
京都の街も、さぁ、夏に向かって、レッツ・ゴー!
ということになりますので、喉越し爽やかなお菓子のご紹介。
さて、この老松さんは「京菓子」のお店。
京菓子とは
「有職(ゆうそく、と読みます)儀式典礼菓子や茶道菓子」のこと。
その伝統のかたわら、菓子の中に大切な日本の心、風土を大事に護り続けています。
こちらで大切にしているお菓子のひとつがこの「夏柑糖」。
甘夏ではなく在来の「夏蜜柑」を農家の方と木から守り育てています。
菓子としても素材は、この夏蜜柑とその果汁と寒天、そしてお砂糖のみ。
やさしく、そして菓子の「菓」の言葉の意味が思い起こされます。
京都のお菓子屋さん、どこがいいですか、といわれると
私は「老松」「末富」。この2軒は外せません
どうぞ、これからの暑い季節、暑~い京都で冷やした夏柑糖をお召し上がりください(^_^)
「老松」
場所 上京区今出川通御前東入社家長屋町
営業 午前8時30分~午後6時
交通 市バス「北野天満宮前」下車ゆっくり歩いて5分くらいです。
*嵐山店には茶房もありますが、お勧めはこちらの上七軒ですね
お店の前にあった案内板に
上七軒
今出川通七本松西入から北野天満宮東門に至る両側で、真盛町・社家長屋町・鳥居前町の地域。
「京都府下遊郭由緒」の伝えるところによると、
往古より七軒茶屋と相唱、足利氏武勝の頃、北野天満宮再建の残木を以て七軒の水茶屋を神社東門に建てたことから上七軒の名称が起ったという。
其後、豊太閤秀吉、北野大茶会の折、上七軒から差し出された土地の名産、御手洗団子を賞誉有之、山城一円の茶屋株を与えられた。
これにより上七軒のお茶屋では御手洗団子を「定紋」とし、毎年、秀吉を祀る豊国神社に御手洗団子を奉納する慣しがあった。
四月上旬「北野おどり」十月には「寿会」が芸妓衆によって開催される。
京都最古、第一の遊里である。
…つづく…
上七軒
今出川通七本松西入から北野天満宮東門に至る両側で、真盛町・社家長屋町・鳥居前町の地域。
「京都府下遊郭由緒」の伝えるところによると、
往古より七軒茶屋と相唱、足利氏武勝の頃、北野天満宮再建の残木を以て七軒の水茶屋を神社東門に建てたことから上七軒の名称が起ったという。
其後、豊太閤秀吉、北野大茶会の折、上七軒から差し出された土地の名産、御手洗団子を賞誉有之、山城一円の茶屋株を与えられた。
これにより上七軒のお茶屋では御手洗団子を「定紋」とし、毎年、秀吉を祀る豊国神社に御手洗団子を奉納する慣しがあった。
四月上旬「北野おどり」十月には「寿会」が芸妓衆によって開催される。
京都最古、第一の遊里である。
…つづく…



















こんばんは~
返信削除今日は、さすがに梅雨時の少し蒸し暑い曇り空の一日でした。
京都街歩きをされた日は、青空のいいお天気だったようでよかったです。
>般舟院(はんじゅういん)
は、まったく知りませんでした。
御陵なんですね。
ほんとうにKazeさんは、いろいろとよくお調べになってられます。
いつも凄いなぁ~お勉強されてるんだなぁ~と思っています。(#^.^#)
色々なお顔をされた鬼瓦を見るのが好きです。
そんなときに、鍾馗さんを見かける時があります。
ふた葉さんで、鍋焼きうどんを食べたことがありますよ~(^^)/
カイさんコメントありがとうございます!
削除梅雨らしくなってきましたね?
昨日は、なんか頭が重いなぁ
風も冷たいなと思ったので
慌てて洗濯物を入れました。
その後、すごい雨でした…
般舟院陵について私も知りませんでした。
式子内親王の歌について転記していて訪ねたくなりました。
百人一首についてこれまで本を読んでいるのに気がつかなかったです。
現代語訳だけでは分からないことや気がつかないことがあります。
今までは、急いで記事を更新していたのですが
帰って来てから歩いたところを調べるのが楽しみになっていて、
そのため更新が遅くなっています(^^ゞ
鬼瓦や鍾馗さんとの出会いは
京都を歩くときの楽しみの一つです(^-^)
カイさんが紹介してくださっているお店をお気に入りに入れています(^^)/