強風注意報が出るほど冷たい風が吹いていましたが
日ざしは暖かく、手袋をつけているとじんわり掌に汗がにじみ出るほどでした。
とは言ってもこれから強い寒気がやってくるそうです。
「近畿北部 18日昼前から19日にかけ大雪おそれ 交通注意」(関西NHK)「トランプ大統領のガザ地区めぐる主張に反対デモ 英 ロンドン」(NHK 2月16日)
復刊してほしいなと思っていた本が出ました。
2024年10月18日の記事と20日の記事でヤコヴ・ラブキン著『イスラエルとパレスチナ』の「訳者あとがき」を紹介しました。
この時は本が品切れでしたが、平凡社ライブラリー版として復刊しました。
日本では、イスラエルとユダヤ人(びと)とを混同している方が多いと思います。
その誤解を解いてくれる本です。
タイトルにある「トーラー」について
語彙集
トーラー【ヘブライ語】
原義は「教え」。ユダヤ教の規範的テクストの総体を指す。
成文トーラー(モーセ五書、予言者の書、諸書)と口伝トーラー(ミシュナー、タルムード、ミドラシュ、その他の聖書注解や実践的な諸史料)からなる。
(『トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』ヤコヴ・M.ラブキン 平凡社ライブラリー 2025年) 平凡社ライブラリー版の読者へ
本書の主眼は、ユダヤ教徒をイスラエル国に結びつけ、ユダヤ教という二千年の歴史を誇る宗教をヨーロッパ産の排他的なナショナリズムに根差す政治的企図であるシオニズムと混同することの誤謬を日本の読者に説明することに存します。
つまり、イスラエルをそのまま「ユダヤ国家」と名指す行為は、シオニズムという政治的かつイデオロギー的構造体が、19世紀末に誕生して以来、ユダヤ教徒・ユダヤ人たちのあいだに産み落としてきた対立について、無知に甘んじる行為であることを本書は示しているのです。
(『トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』ヤコヴ・M.ラブキン 平凡社ライブラリー 2025年) 2023年10月、イスラエル南部でパレスティナ抵抗勢力による奇襲が行なわれてから1年を経たいま、私はこの一文を綴っています。
あの奇襲は、シオニストによる植民地化がその最初期から推し進めてきたパレスティナ人に対する抑圧、差別、掠奪の帰結でした。
それはまた、シオニズムの冒険は、いつの日にか、「血塗られた罠」にほかならぬことが明らかになるであろうという、シオニズム黎明期の伝統主義的ラビたちが発した警告の言葉をも想起させます。
実際、イスラエルはいま、完全なまでの不処罰特権を享受しながら、罠にはまって身動きがとれなくなり、地域全体にわたってあらん限りの暴力を繰り広げています。 私の本が、日本の地で、ふたたび日の目をみることになったと知り、嬉しく思う一方、決して意外には感じておりません。
日本人の外部世界に対する開放度と好奇心には久しく定評がありますが、それを別にしても、日本には、アジアのあの一画に興味関心を抱く十分な理由があり、それはその地域に由来するエネルギー資源のみに帰着するものではないからです。
いま、イスラエルの暴力は、核の大惨事にまでいたりかねません。
パレスティナの植民地掌握を手放すくらいなら、いっそ世界を全面的な破壊に巻き込むことも辞すまいという、一般に「サムソン・オプション ( Samson Option )と呼ばれている自殺的選択肢がそれです。 日本にとって、西アジアの〝面倒見〟を西洋諸国に一任しておけば済むという時代はとうに過ぎ去りました。
むしろ、反ユダヤ主義を含む人種差別主義を実践してきた主体は西洋諸国であり、それがコンゴ、ナミビア、アメリカ大陸、オーストラリア、そして最終的に20世紀のヨーロッパにおけるジェノサイドに繋がったのでした。
その本性自体によりジェノサイドの暴力を産み落とさずにはおかない、移住型植民地主義の最後の遺物としてイスラエルを認識する必要もそこに存するのです。
加えて、パレスティナの抵抗を抑え込もうとするイスラエル側の努力がジェノサイドへと堕していったのは、西洋諸国、とりわけアメリカからの武器供与をつうじてのことだった、という現実もあります。 日本は反ユダヤ主義の過去を持ちません。
ユダヤ教徒・ユダヤ人が、過去何世紀にもわたって、暴力、追放、搾取の辛酸を嘗めさせられてきた舞台は、西洋のキリスト教諸国でした。
ロマ族とユダヤ人を含む「下等人種」に対して、人種差別主義にもとづくジェノサイドが行なわれたのも、そのヨーロッパの中心部においてでした。
この暗澹たる過去が、しばしば、相応の操作を経て、イスラエル国の本性と、その国がパレスティナ人に対して行なっている行為に関する議論を圧殺するために利用されるわけですが、日本においては、その種の操作が功を奏する余地は、本来、皆無であるはずなのです。
なぜといって、日本は、ナチ・ドイツの同盟国でありながら、絶望的な状況下でヨーロッパを後にしてきたユダヤ教徒・ユダヤ人に避難地を提供するという過去の実績を持っているからです。
私の国カナダは、当時、「文明国」を自称するほかの大部分の西洋諸国と同様、ユダヤ移民の入国を禁止し、結局、多くのユダヤ教徒・ユダヤ人の命をナチスの殺人鬼どもの手に委ねてしまったのでした。
加えて、日本は1947年、国連総会の場でパレスティナ分割案が採択された時、その決議に手を貸しませんでした。
何よりも日本には、イスラエルとは何か、明晰に見極めることの妨げとなるようなシオニスト・ロビーが存在しません。
むしろ、この点において首尾一貫した姿勢を保つためならば、日本はアメリカ帝国と袂を分かつことがあってもいいくらいなのです。
今や世界の14の言語で読まれている本書は、なぜ、ユダヤ教とシオニズムあいだ、ユダヤ教徒・ユダヤ人とイスラエル人のあいだで混同を起こしてはならないかを説明するものです。
イスラエルが振るまい続ける暴力は、ユダヤ教徒・ユダヤ人のあいだに分裂を引き起こす一方、世界中のユダヤ教徒・ユダヤ人を合わせたより何倍も数の多いキリスト教シオニストたちのあいだでは、強力な支持を取りつけています。
しかし、イスラエルを弾劾する人々のなかにあって、ユダヤ教徒たちはとくに活発です。
彼らは、イスラエル国がパレスティナ人に対して振る暴力に心を痛めながら、同時に、イスラエル国がこのまま「ユダヤ国家」を名乗り続けることで、ユダヤ教徒とユダヤ教が世界から被ってしまう不評・不興に堪えがたい思いで日々を過ごしているのです。
ヤコヴ・M・ラブキン
2024年11月、モンレアル(モントリオール)にて
(『トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』ヤコヴ・M.ラブキン 平凡社ライブラリー 2025年)アメリカ大統領選挙で民主党が敗北したのは、バイデン前大統領の発言に若者たちなどが失望したこともあると思います。
3 この考え・発言は法的におかしくない?
Q18 イスラエルがやっていることに反対するのは反ユダヤ主義?
イスラエルによるガザでの虐殺に抗議して、米国の大学でパレスチナ連帯キャンプが設営される中、バイデン米大統領は2024年4月22日、「反ユダヤ主義の抗議」と「パレスチナ人に何が起きているかを理解しない人々」を非難すると発言しました。
反イスラエルの立場は反ユダヤ主義なのでしょうか?
(『国際法からとらえるパレスチナQ&A イスラエルの犯罪を止めるために』ステファニー・クープ著 岩波ブックレット 2024年) そもそも特定の人や集団を対象として「反……」「親……」といった表現は、法とは相性が悪いのです。
法はいわば物差しで、事態を客観的に把握するために共有された基準なのです。
第1章と第2章で、イスラエルが被占領下パレスチナ、特にガザでやっていることが、ジェノサイド犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪に該当し得ることを見ましたが、これは、反イスラエルか親イスラエルかとは無関係に、国際法を基準として現在の事態を見るならばそうである、ということです。
ハマスの10月7日の行為が戦争犯罪と人道に対する犯罪に該当し得ることも、占領下で虐げられた民族が抵抗する権利をふまえても、やはりそうなのです。 ですから、イスラエルがやっていることをジェノサイド犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪として批判し、国際刑事裁判所(ICC)での捜査と訴追を求めることは、反イスラエルでも親イスラエルでもなく、さらに、反ユダヤ主義とはまったく関係がありません。
これらの犯罪に該当しないと主張したければ、法に照らしてそのような主張をすればよいのです。
イスラエルや米国は、現実を前にそれができないから、ICCを妨害しているのではないでしょうか。
イスラエルの犯罪について検討しているときに反ユダヤ主義を持ち出すのも、法的に擁護のしようがないからでしょう。 これが原則ですが、現実には、どんなかたちであれイスラエルを批判することを反ユダヤ主義として避難する動きはとても深刻です。
2024年5月1日、米国議会下院は、米国教育省における反ユダヤ主義の定義を拡大し、イスラエルを標的とする批判を反ユダヤ主義に含める法案を可決しました。
ドイツでも、ジェノサイドに反対する人々が反ユダヤ主義であるかのような扱いを受けています。 これはとても危惧すべき事態です。
第一に、イスラエルの行為に対する妥当は批判を反ユダヤ主義として非難することが公に認められることになります。
日本で言うと、第2次世界大戦中に植民地主義的拡張という国の政策に反対する人たちを「非国民」と呼んで非難した状況に近いものではないでしょうか。
第二に、イスラエル政府や実際に犯罪を行なっている人たちと、ユダヤ人一般を同一視することを促し、ユダヤ人という括りで雑な判断をする風潮を促す恐れがあることです。
イスラエルによるガザ攻撃に対して米国で先頭に立って反対する声をあげてきた団体の中には、「平和を求めるユダヤ人の声」や「今でなければいつ」といったユダヤ人の団体があるのです。 問題は、不正義と犯罪です。
加害者は犯罪を行なっているがゆえに処罰されるのであって、その属性は関係ありません。
法は、「反……」とか「親……」といった人間のグループ分けや敵味方の分断の外に置かれた尺度として、事態を評価するためにあります。
法に従ってイスラエル政府がやっていることを犯罪と同定したときに、それが「反ユダヤ主義」とされるような風潮が社会に広まるならば、法の適用が人間の対立で置き換わってしまい、普遍的に共有されることをめざす法の理念が解体されることになります。
(『国際法からとらえるパレスチナQ&A イスラエルの犯罪を止めるために』ステファニー・クープ著 岩波ブックレット 2024年)今月は、私と妹の通院が続きblogの更新を休む日が多くなるなぁと思っていました。
それにプラスして父がバレンタインデーのプレゼント?で入院することになりました。
2週間前から少し動いただけで息切れがすると話し、肩で息をしていました。
なかなか病院へ行ってくれなかったのですが、13日にかかりつけの病院へ。
先生がレントゲンと心電図を撮ると、出来るだけ早く受診するようにと紹介状を書いてくださった。
初め内科で心電図、血液検査、CTを受け、
その結果から循環器内科へ回るように指示されました。
私の主治医の先生が診察。
心臓エコーで父の心臓を診て、即、入院となりました。
病室には車椅子で向かいましたのでどうなるのかと不安でしたが
土曜日に看護師さんに話を伺うと自分で食事をして、トイレも歩行補助器を使って行っているそうです。
しばらくblogの更新を休みます。