2025年2月27日木曜日

残すところ…

2月も残すところ今日と明日の二日になってしまった

風もほとんどなく春のような天気でカモたちが日向ぼっこをしていました。
週間予報を見ていると土曜日にグ~ンっと上がって
日曜日には崩れだし、一気に冬に逆戻りしそうだ…(^_^;
昨日は、循環器科と眼科の診察日でした。
循環器科では、主治医の先生が父の主治医でもあるので私のことよりも父のことを聞いていました。
眼科では、いつものドライアイの目薬と花粉症の目薬を処方してもらいました。
眼科には父も通院しているので、父が入院していることを報告して
父の眼底検査を退院後に予約することにしました。
眼科の先代の先生は、もうだいぶ前になるのですが寝ている間に亡くなりました。
亡くなる少し前に心臓の検査をしなくてはいけないと話しておられたそうです。
優しい先生でみなさんに慕われていました。
循環器内科と眼科の待ち時間に読んでいたのが吉本ばななさんの『下町サイキック』。
冒頭部分を転記しますφ(.. )

 ドライヤー 

「友(とも)おじさん、どうして人は色とかお金とかに目がくらむの? だって、今までの暮らしが普通に幸せだったら、それ以上つけたすべきものはないはずじゃない? もしその時点で幸せでなかったら、お金が入ってきたって幸せになるわけないじゃない? 私にもわかるようなそんな簡単なことが、大人になるとどうしてわからなくなるの? 例えば友おじさんはこの場所をこうやってほとんど無償で、みんなのための場として提供しているじゃない。それは使いみちの話であって、儲ける話じゃないでしょ。いつか稼ごうという路線に変わることがあったりするの? だとしたらなにがきっかけ? 貧乏? 野望? 生きがい?」
 私はかなり無邪気な気持ちで、世間話みたいにそうたずねた。

 …後略…

(『下町サイキック』吉本ばなな 河出書房新社 2024年)
この本を読みたくなったのは、
NHKアカデミア「“救いの物語”はどのように生まれるのか 吉本ばなな(前編)」(2月12日)で紹介されていました。
その一部を転記しますφ(.. )

(東京の下町を舞台に人と違う能力を持った少女が成長していく物語)

吉本ばなな
私が育ったような環境ってすごくよくできてたなと思って。
小さなコミュニティーで人々が助け合って、お互いの様子を見て。
で、町に変な人が入ってきたらすぐ気付いて
それから町にいる差別されるかもしれないような人が、差別されないようにうまく包んである。
その下町の文化というものをちょっと誇張してですけれども、今、書き残しておかないと本当になくなっていくんだなというふうに思ったんですね。
下町にすてきな人間関係があって、そこで生きていくんだよというエピソードの話ってわけではなくて
まず、今の世の中は人と少し違ってると
生きにくいとか、発達障害とか、そういうふうに言われますよね。
それで、この主人公の子(キヨカ)は、ちょっとした超能力みたいなものがあって
人が見えないものが、見えたりするんですけれども
そういう人とちょっと違ってしまってるってことは本当に決して病気ではなく
そこからしか始まらないものってあるんですよ。
そのことを本当はみんな知っていると思いますけど
はみ出したものとか変わったものからしか生まれないものがあって
それを周りの人がどうやって育てていくかっていうようなことに焦点を当てて書いた話です。
育て方によっては、病気じゃなくて、もう、宝になる。
だけど、そのことを下町の人たち、よく知っていたなって思います。
それから、あと、時代が昭和と違ってだんだんならされていく。
要するに平均的になっていくことはしかたがないし
どんなことにも中途半端な解答がある時代であることも
情報が多いからしょうがないと思うんですよ。
だけど、そうじゃなくて自分たちにはもっと力があるんだって……
ひとりひとりのなかには力が潜んでいるっていうことを言いたかったです。
(NHKアカデミア「“救いの物語”はどのように生まれるのか 吉本ばなな(前編)」より)

NHKアカデミアの公式サイト「動画」で視聴することができます。
 あとがきと謝辞 

 この小説は、一見「エンタメっぼく各話にサイキックエピソードがあり、女の子とおじさんが組んで解決する推理的な楽しい読み物なのじゃよ!」というていなのですが、違うのです。
 実はかなり重いテーマで、生きる方法やサバイバルのノウハウの話です。
最後の話とエピローグがそのことをよく表していると思います。
(『下町サイキック』吉本ばなな 河出書房新社 2024年)
 今はもうなくなりつつある、私の知っていた下町ルール。
とても独特で、しかしよく機能していたあの人生観。
 あれを、今のうちに記録しておこうと思ったのです。
良いことばかりではありませんでした。
人間の生々しさに満ちた時代の、おどろおどろしいものを内包したルールです。
 だからこそ当時の下町は、この世からはみ出してしまった行き場のない人たちをなんとなく、薄ぼんやり、誰もむりせずに包み込んでいたのですね。
 がんじがらめの世の中になっていくことは、時代の流れなのでしかたがありません。
 でも、あのとんでもないながらも人間力だけでなんとかしていた時代をちょっとだけ書いておきつつ(関西ではちゃんと文化としてのノウハウが保存されているように思えるのに、東京ではまるで、バリのウブドから精霊がいなくなったのと同じ感で、下町ルールはすっかり消えてしまったように見える。でもディープなところでは生き残っているのだ、と信じたい)、主人公のキヨカちゃんの内面のデリケートさ、生きていきがたいほどの強いサイキック能力が、「好きな人や日常で会う人の人数の多さで散らされてかなり普通に、病まずに生きていける、むしろ周りの人にとって長所となっているくらいだ」というのもまたテーマです。
それは発達障害とか生きにくい子という診断をもらうよりも(もちろんそれも決して悪いことではないのでしょうが)ずっと美しいことですし、人類が長い時間をかけて育ててきた知恵です。
 それから、この小説には、「運命の人との出会い」のニュアンスがあらゆるところに書いてあります。
パートナーだけではなく、縁がある人との出会い。
 出会ったからといって、何かが解決するわけではない。
しかし、人生の道はほんの少し拓けるのです。
 読んで体感してもらえたら、役立つと思います。
 河出書房新社の谷口愛さん、装画の朝倉世界一さん、カバーデザインの小田島等さん、本文デザインの戸塚泰雄さん、ありがとうございました。

 新しいものが何も入ってなかったらもう引退したほうがいいな、と思っていましたが、少しだけまた新しい方向に踏み出せたなと思いつつ、ちょっと時代にとって早すぎたやも。
 十年後くらいに読むとちょうどいいかもしれませんので、今ピンと来なくて「楽しい話だと思いきやわけわからん」と思われた方は、良かったら取っておいてその頃また読んでみてください。
 今現在に読んで何かを感じてくださった方には、先に続くわずかな希望(婚活や妊活のことではなく、直感の新しい使い方)を今の段階で嗅ぎ分けるお手伝いができたなら、無上の喜びです。
 この小説を、私を育んでくれた下町と両親と姉、その日々に関わってくれた全てのたくさんの人たちに捧げます。
あと、人生の最後まで私に大切なことを教えてくれた藤澤美代おばあちゃんに。
 私はそこからちゃんと受け取ることができました。
もしも少しでも誰かに手渡せたら!
  2024年早春 吉本ばなな
(『下町サイキック』吉本ばなな 河出書房新社 2024年)

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