2025年2月10日月曜日

穏やかな朝

あまり風が吹いていなかったので日ざしが暖かかったです。
こちらは雪が降ってもちらほら程度でしたが

雪の重みでイチゴのハウスが…記録的大雪 各地で影響続く」(NHK)
  「立春の卵」つづき 

 ところで前にいった、球面と平面とが、弾性的なゆがみによって接触することは、この凸部と板の接触についてあてはまる。
もっとも板の表面の凹凸を考えに入れれば、もう少しむずかしくなるが、そこまで立ち入らなくても話のすじは分る。
すなわち卵の表面の凸部と板とが、直径百分の1ないし2ミリくらいの円で接し、そういう接点が、十分の8ミリくらいの距離で、三点あるいは四点あって、卵をささえているのである。
(『雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集』池内了編 岩波少年文庫 2002年)
 そうすると、卵がどれくらい傾いたら、重心線が底の三点の占める面積をはずれるのか、すなわち卵が倒れるのかという計算ができる。
重心の高さを2センチ半として、それが横に半ミリずれる時の傾きは、約1度である。
それでいったん立った卵は、1度くらい傾くまでは安定であって、それ以上傾くと倒れるはずである。
事実机の上に卵を立てて、ごく静かに机をゆすぶってみると、卵は眼(め)に見える程度に揺れることが認められるが、それでもなかなか倒れない。
もっとも少しひどくゆすぶれば倒れることはもちろんである。
(め)に認められるくらい揺れるというのが、だいたい1度くらいである。
これで卵の立つ力学はおしまいである。
 こういうふうに説明してみると、卵が立つのが当たり前ということになる。
少なくともコロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人間が、間違って卵は立たないものと思っていただけのことである。
前にこれは新聞全紙をつぶしてもいい大事件といったのは、このことである。
世界中の人間が、何百年という長い間、すぐ眼(め)の前にある現象を見逃していたということが分ったのは、それこそ大発見である。
 しかしそれにしても、あまりにことがらが妙(みょう)である。
どうして世界中の人間がそういう誤解に陥っていたか、その点は大いに吟味(ぎんみ)してみる必要がある。
問題はうまく中心をとればというが、角度にして1度以内というのは恐ろしく小さい角度であって、そういう範囲内で卵を垂直に立てることが非常に困難なのである。
その程度の精度で卵の傾きを調整するには、十分の一ミリくらいの微細調整が必要である。
それを人間の手でやるには、よほど繊細な神経がいることになる。
実は学校へ卵をもって行って、みなの前で立てて、一つ試験をしてみようと思った時は、なかなかうまく行かなかった。
夜落ちついて机に向かっていて、少し退屈した時などにやれば、わりと簡単に立つのである。
 卵を立てるには、静かなところで、振動などのない台を選び、ゆっくり落ちついて、5分や10分くらいはもちろんかけるつもりで、静かに何遍(なんべん)も調整をくり返す必要がある。
そういうことは、卵は立たないものという想定の下ではほとんど不可能であり、事実やってみた人もなかったのであろう。
そういう意味では、立春に卵が立つという中国の古書(こしょ)の記事には、案外深い意味があることになる。
私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることはできなかったであろう。
何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、みなが立たないと思っていたからである。
 人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。
しかし人類にも盲点があることは、あまり人は知らないようである。
卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。
しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。
そして人間の歴史が、そういう瑣細(ささい)な盲点のために著(いちじる)しく左右されるようなこともありそうである。
 立春の卵の話は、人類の盲点の存在を示す一例と考えると、なかなか味のある話である。
これくらいうまい例というものは、そうざらにあるものではない。
ニューヨーク・上海・東京間を二、三回通信する電報料くらいは使う値うちのある話である。
     (1947年2月12日)
 解 説     池内了

 …前略…
かつて、何の理由なく「立春の日にだけ卵を立てることができる」ということが信じられていました。
それを疑って、どんな日でも卵を立たせることができることを示し、どのような条件があれば卵が立つかを考察した文章も興味深いと思います。
根拠もなく、みんながそう言っているから正しいのだろうと信じ込むことの危なさについて、彼は警告を発しているのです。
まず疑い、次に確かめるための実験を行ない、最後にその理由を考える、そんな科学の手続を日常の生活でも試(ため)すことが大事であることがわかると思います。
 …後略…
(『雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集』池内了編 岩波少年文庫 2002年)

若者などがネット上の情報を鵜呑みにすると言われますが
私の若い頃もすぐに情報を信じていたように思います。
ただ、私の若い時は本や新聞などを購入したりして情報を得ていました。
本などを選ぶのに自分なりの価値判断があったと思っています。
現在ではスマホなどの端末ですぐに情報が得られます。
情報の選択もAIがする時代。
偽情報でも繰り返されると真実のように思われる時代です。
2月7日の番組に歌人の馬場あき子さんが出演されていました。

芸能きわみ堂〝能「黒塚」 鬼の心に分け入る

番組の最後に馬場あき子さんが話されていたのは

私は、今、もう戦後ね、ずっと長生きをしてきましたけども
今が一番ね、そういう鬼的危機が全般的に広がった時代はなかった…。
今に比べてね。 
詐欺とか、闇バイトとかその闇バイトを束
(つか)ねている鬼とか
まあ、鬼だらけのような怖い世の中になったなと思っています。
世界に鬼が多いでしょう。
いろんなね…。
権力の鬼っていうのはありますからね。
悪事を働く権力の鬼もありますし、それに苦しめられるのもありますからね
昨日の父の一枚です(^^)/

先週、父は体調を崩して散歩ができませんでした。
5日水曜日にかかりつけの内科で喘息の薬を処方してもらい、
7日金曜日に外科を受診。
40年ほど前に鼠径ヘルニアの手術を受けたのですが、
10年ほど前に反対側から新たにヘルニアが出てきてヘルニアバンドで押さえていました。
加齢とともに指先がうまく動かずバンドを止めるのが難しくなりました。
診てくださった先生は丁寧に説明してくださって手術をする必要はないけど
我慢できなくなったら手術をすることができますと仰ってくださった。

昨日も今日も頑張って歩いたのですが、腸が出たりへっこんだりして辛そうにしていました。
今朝は、写真を撮る気がおきなかったそうです。
それでも痛みに負けてたまるかと我慢して歩いていました。