2024年3月28日木曜日

汗が出そうになった

天気がどうなるのかなと心配したのだけど
歩いていると汗をかきそうになりました。
二日ぶりの公園。
コブシの花が咲きだしてソメイヨシノもポツポツ咲いていました。
朝ドラ「ブギウギ」第26週「世紀のうた 心のうた」 (125)
スズ子のセリフに
先生とワテは人形遣いと人形みたいな関係やと思うてます。

オープニングの人形についてこれまでいろいろ意見がありましたが(^_-)
「かわいい」に馴れている人には、評判が悪かったのかな?
チェコ人形劇はユネスコ無形文化遺産に登録されています。
日本のアニメのキャラクターと違うなぁと思います。
チェコ共和国【公式】」(2023年9月26日)

オープニングの人形を見て思い浮かべたのが「飛鳥大仏」(岐阜女子大学 デジタルアーカイブ研究所)です。
福来スズ子が歌手をやめると宣言するのですが
歌をスパッとやめた笠置シヅ子の決断に影響を受けた方がいます。
(文中にあった歌詞は、省略しています)

 十人の旗

 …前略…

「銀座カンカン娘」の収穫は、「ブギの女王、笠置シヅ子」と共演ができたことであった。
昭和二十二年の秋、服部良一とコンビを組んで、突如、歌謡界に躍り出た笠置シヅ子のパンチのきいた歌唱力に、私は全く魅了された。
(ね)年のくせに巳(み)年の如く執念深い私は、撮影の合間を縫って電車に飛び乗り、丸の内から浅草くんだりまで、笠置シヅ子の歌うステージというステージを追いかけてまわった。
日劇の広いステージに、小柄な彼女がニッコリと目尻を下げて現れると、ステージいっぱいにパァッと花が咲いた。
東京ブギ、……センチメンタルダイナ……アイレ……彼女は全身全霊を動員して、ステージせましと歌いまくり、観客をしっかり捕らえて放さない。
笠置シヅ子は歌そのものであった。
やはり不世出の歌手だと、私は思っている。
(『わたしの渡世日記 下』高峰秀子 文春文庫 1998年)
 私の知る素顔の彼女の性質も、その歌のようにバイタリティーに富み、ポンポン飛び出す大阪弁の中に大阪人特有のあけっぴろげな人のよさが躍如としていた。
が、半面、ひどく律儀でガンコなところもあって、そのガンコさが、ある日、ある時、あれほどの歌唱力を惜しげもなく断ち切り、歌謡界からキッパリと足を洗わせてしまったのだろう。
ファンとしては哀しいことだが、小気味のいいほど見事な引退ぶりでもあった。
見習いたいものである。
「銀座カンカン娘」はミュージカル風の喜劇で、笠置シヅ子と私は一つの部屋に同居している親友である。
会話の途中から歌になり、歌の途中から会話になる、という場面(シーン)が多かった。
例によってダビングルームで二人掛け合いの音だけをフィルムにとり、ステージでプレーバックしてみると、どこからどこまでが彼女の声で、どこからどこまで私の声か分らない。
もともと音質が似ている上に、あまり彼女の歌を聞きすぎて、その特徴がすっかり私にうつってしまったのである。
 〽あの娘可愛や カンカン娘
 ( …省略… )

「カンカン娘って、どういう意味? いったいどんな娘なんでしょう?」
 私は作曲者の服部良一に聞いてみた。
彼はキョトンとした顔で、なにかモゴモゴと呟いたけれど、ハッキリした回答は得られなかった。
考えてみれば、流行歌の題名にいちいちこむずかしい理屈など無用なのだ。
服部良一の、カンカン娘のイメージは、あのブギ調の明るいメロディーにちゃんと表現されている。
それでいいではないか。

…後略…

(『わたしの渡世日記 下』高峰秀子 文春文庫 1998年)
服部良一が「キョトンとした顔で、なにかモゴモゴと呟いた」のには訳があるのです(^_-)

 青い山脈・銀座カンカン娘

 …前略…

『銀座カンカン娘』は、まず題名からすべてがはじまった。
 新東宝から話があって、山本嘉次郎の原案・脚本、島耕二の演出で『銀座カンカン娘』という映画を作るから、まず主題歌を書いてくれ、という注文である。
「銀座カンカン娘の、カンカンって何ですか」
 とプロデューサーにたずねると、
「さあ……。それは原案者に聞いてくださいよ」
 という返事である。
(『ぼくの音楽人生  エピソードでつづる 和製ジャズ・ソング史』服部良一 日本文芸社 2023年)
 早速、撮影所で御本人をつかまえた。
『話の泉』の名解答者で、物知り博士の山本嘉次郎氏は、自慢の美しいひげをなでながら、意外にも、
「ぼくにも、どういう娘かわからんのですよ。でも、調子のいい言葉でしょう、銀座カンカン娘って。あなたが作る主題歌から登場人物とストーリーを考えます」
 と、澄ましたものだ。
「ただね、主演が高峰秀子と灰田勝彦で、主題歌も彼らに歌ってもらうことになるので、あまり品の悪いのは困りますな。銀座を代表する新女性を描くとして、しかし、いくら代表だからといって進駐軍相手のパンパンは敬遠しましょうや」
 少しアウトラインが出た。
 灰田勝彦と高峰秀子はビクターである。
ビクターとなれば、作詞はエースの佐伯孝夫。
その日から、佐伯孝夫とぼくは、銀座八丁にカンカン娘をさがし求めた。
 昭和二十四年の初頭、銀座はまだ完全に復興しておらず、ビルの谷間にヤミ売りの露店が並び、進駐軍のジープが走り、G・Iが肩で風をきって歩き、その腕にどぎつい衣裳をつけたパンパン嬢がぶら下がっているという国籍不明の町であった。
男女同権が叫ばれ、女性は解放されて威勢がよく、一様に派手になったが、赤いブラウスにサンダルをはいているという、チグハグな感覚の時代でもあった。
 …中略… 

『銀座カンカン娘』もブギのリズムで書いた明るい曲で、映画も笠置シヅ子や岸井明らが共演して元気いっぱい歌うミュージカル喜劇の仕立てであった。
とりわけ、笠置シヅ子ファンの第一人者を任する高峰秀子は、笠置と共演できることで大喜びだった。
 映画の封切りに先立ち、レコードの宣伝もかねて『ミス・カンカン娘大募集』が行われたことを付記しておきたい。
 応募の条件は、銀座に住むか勤めをもつ未婚の女性で、高峰秀子に似ていること。
反応はすさまじく、まず、ぼくの最初に質問に似て、「カンカン娘とは何ぞや」という手紙や電話が新東宝やビクターに殺到して、係員をてんてこ舞いにさせた。
解答はないのだ。
「映画を見てくださればわかります」
とか、
「レコードを聞いていただければ、そこに歌われています」
 とか、抜け目なく売り込みながら、適当にごまかしたらしい。
 ミス・カンカン娘選出の会場は、銀座のどまん中、森永の前で、朝から大変な人出であった。
審査員は島耕二監督、カンカン娘の高峰秀子、灰田勝彦、岸井明、それに新東宝とビクターの関係者。
ぼくは他の仕事と重なってどうしても出席できず、逐一、その模様の連絡をうけていた。
 何でも、応募者が五百人以上、野次馬が数千人、四丁目から五丁目にかけて人で埋まり、交通は遮断され、警官が大勢出て懸命に整理にあたったという。
 厳正な審査の結果、ミス・カンカン娘が決定し、数人のミスも選出された。
賞品授与などの派手なセレモニーのあと、ミスと準ミスの諸嬢は「赤いブラウス、サンダルはいて」の歌詞通りの格好になり、銀座通りをパレードしたのであった。
 宣伝効果は満点だった。
 ところがである。
数日たって、ミスに当選した美女が、じつは銀座のバーの屋根裏に住込みでいる女給さんで、それは応募条件に合うのだが、二人の子持ちであることがわかったから大変だ。
「こりゃ、ミスでもとんだミスだぜ」
 と関係者が頭をかかえていると、山本嘉次郎氏はあわてず騒がす、
「それが、銀座カンカン娘、というものだよ」
 と、にっこり笑われたということである。
(『ぼくの音楽人生  エピソードでつづる 和製ジャズ・ソング史』服部良一 日本文芸社 2023年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ツグミが空を見上げているみたいです。
何を見ているのかな?

第4章 鳥の五感、鳥が感じる世界
 2 鳥にとって重要な感覚は「視覚」、そして「聴覚」


 鳥はつねに、目でまわりを見ながら行動しています。
敵や危険物の姿、仲間の姿、目的地の方向などを視認し、自分がいる場所を知る際も、見て記憶したものが重要なたよりになります。
 それがだれか、それがなにかを見分けるときや、食べ物かどうかを判断するときも、目でじっくり見ます。
もちろん、伴侶を決めるときも、相手の姿がとても重要になってきます。
 祖先の恐竜もフルカラーで世界を見ていましたが、鳥は鳥になる祭に、視覚をさらに進化させて、現生の脊椎動物のなかでもっとも優れた目をもつようになりました。
 …後略…
(『鳥を識る なぜ鳥と人間は似ているのか』細川博昭 春秋社 2016年)