天気予報は、昨日と同じく「雨、時々止む」でした。
昨日よりも気温は高い予報でしたが、平年よりも低いとか。
カタツムリも出てきたのですが寒かったみたいで閉じこもっていました。
帰り(1時間ほど後)に見ると動きだしていました。
「西日本~東日本の太平洋側 あす非常に激しい雨のおそれ」(NHK)今日は、blogの更新を休む予定でしたが
明日は、ニュースにあるように雨で散歩に出かけることができるか分らない。
水曜日は、通院。
土曜日は、父の検査(来週、診察)。
と、散歩に行けない日があります。
最近、相撲を見なかったのですが
〝大相撲 尊富士が新入幕で初優勝「気力だけで」〟(NHK 2月24日)
今朝の朝日新聞「天声人語」に
…前略…
▼青森・五所川原出身の尊富士(たけるふじ)は千秋楽で、まさにそんな形相だった。
優勝まであと一歩に迫りながら、前日の足首のけがで出場さえ危ぶまれた。
だが、豪ノ山を相手に一歩も引かず、前へ前へ。
気迫の塊のような相撲を見せてくれた。
▼おととし初土俵を踏んだばかりの24歳。
新入幕での優勝は、じつに110年ぶりだという。
歴史に名を刻む瞬間を郷里の皆さんと一緒に迎えようと、五所川原市役所の会場でテレビを見た。▼その瞬間。
160人ほどが一斉に立ち上り、抱き合い、手を鳴らし、言葉にならぬ声を上げる。
最前列にいた祖父の工藤弘美さんは、男泣きに泣いた。
「記録も大事ですが、みなさんの記憶に残りたくて必死に頑張りました」という尊冨士のインタビューに、また大きな拍手がわいた。
「よぐ、けっぱった!」。
(中略)
▼夕暮れ。
春のかすみの向こうに、真っ白な雪をかぶった岩木山が見えた。
地元の人々はこの山に親しみ、その端正な姿を誇ってきたと聞く。
別名・津軽富士。
ご自慢の「富士」がもう一つ誕生した。
2024・3・25尊富士は、五所川原出身。
青森出身と言えば淡谷のり子さん。
淡谷さんのエピソードを読むと、
ジャズなどを敵性音楽だと規制・禁止した日本軍に比べて
アメリカ軍の余裕を痛感します。
第7章 好きな歌が歌える!
進駐軍と歩んだ私の戦後
…前略…
昭和20年(1945年)の10月だったと思います。
福岡の板付空軍基地を回った時のことです。
私が来るのを心待ちにしていたというひとりの空軍少佐に出会ったんです。
彼は日本語ができましたが、「アナタノ歌ヲ知ッテマス」って言うんです。
一瞬ギクリとしました。
あのことが発覚したのかなと思ったんです。
(『女の自叙伝 歌わない日はなかった』淡谷のり子 婦人画報社 1988年) あのこととは戦時中の出来事でした。
戦時中に、当時のNHKは「ゼロ・アワ-」という謀略放送を流してたんですね。
午後6時から1時間、太平洋に散らばっているアメリカ兵向けに放送してた。
その時間の司会をしていたのが有名な〝東京ローズ〟だったんです。
私に陸軍省参謀本部から命令が出たんですね。
「ゼロ・アワー」の中で十分間、アメリカ兵が好みそうなポピュラー音楽を歌えって言うんです。 その頃、もう私の歌える歌なんてほとんどないという状態でしたから、たった十分間でも好きな歌をなんでも歌えるというのだけがせめてもの慰めでした。
それで、『セントルイス・ブルース』『ラ・クンパルシータ』『聞かせてよ愛のことばを』『暗い日曜日』など、私の好きな歌を片っぱしから歌ったの。
欲求不満のはけ口みたいなものですよ。
そこではどんな歌でも歌えましたからね。 でも、しばらくすると、誰かを相手にして歌っているのではないから虚しくなってくるんです。
いくら一生懸命歌っても聴き手はいない、歌は壁に吸い込まれていくだけ。
おそらく、妨害電波にかき消されて、歌は虚空に虚しく消えていく……。
そんなことを考えるとやりくれなくなってくるんです。
やっぱり私は、歌い手の心と聴衆の心が通い合うかたちでなければ、歌って成り立たないものだと改めて思ったりしました。 ところがある日、本土空襲中にB29から〝東京ローズ〟宛に小包がパラシュートで投下された。
それには新曲のレコードが詰まってたんですね。
粋な敵さんの粋なはからいですね。
それで謀略放送も効果がなかったってわかったのですが、アメリカ軍は放送を結構楽しんでたんですね。
日本の軍部はヒステリックになっているというのに、敵は余裕シャクシャク、ユーモアたっぷりのプレゼントでお返しをしてる。
ガキと大人のような力の差を感じましたね。 あのこととは謀略放送のことだったんです。
敗戦後、東京ローズは戦争協力者ってことで取り調べられましたが、私も、あれは東京ローズのひとりじゃないかって疑われたこともあります。
詳しいことは知りませんが、東京ローズって何人もいたそうですから。 空軍少佐に「アナタノ歌ヲ知ッテマス」と言われて、ギクリとしたのは、東京ローズの番組で私が歌っていた「犯行」がバレて、逮捕でもされるんじゃないかと思ったからです。
それは杞憂に終わりましたが……。
そしてその空軍少佐が誰あろう、戦争中にパラシュートでレコードをプレゼントしてくれたその人だったのです。
(『女の自叙伝 歌わない日はなかった』淡谷のり子 婦人画報社 1988年)
「ゼロ・アワー」(NHKアーカイブス)
「連合軍に向けた放送で歌う」(NHKアーカイブス)今朝の父の一枚です(^^)/
画像はモズ♀ですが
赤い羽根
動物舎の掃除をしていると、鳥の羽根がいつも落ちている。
それら美しいクジャクやフラミンゴの羽根も、毎日の掃除のゴミと一緒に捨てられる。
もったいないなあと思うかもしれないが、そうなのだ。
ある時手紙がきた。
手紙の主は母親らしく、重病の娘の代わりに書いていた。
動物園に来た時に見た、「あのフラミンゴの赤い美しい羽根の色が強く印象に残って、もう一度見たい」という内容だった。
わたしは次の日から一枚一枚宝石を拾うかのように、赤い羽根を大事に集めた。
同じ物でもゴミと思う人もいれば、宝と思う人もいる。
三日後、いちばんきれいな羽根は封筒と一緒に飛んでいった。
(『あべ弘士 どうぶつ友情辞典』あべ弘士 クレヨンハウス 2005年)