2024年3月3日日曜日

三月三日

今朝は晴れて青空が広がっていました。
風は冷たかったけど日向に出ると春を感じました。
三月三日は桃の節句ですが、まだまだ蕾はかたい。
2011年3月11日に東日本大震災が発生したのですが

昭和8年(1933)3月3日に
三陸地方で大地震・大津波発生(死者3008人、倒壊・流失家屋7263戸)。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)

昭和三陸津波から91年 宮古市で車による避難を検証する訓練」(岩手NHK)

二つの大津波を体験した三姉妹」(NHKアーカイブス)
同じ昭和8年
 6月15日に

松竹少女歌劇団のレビューガールら、待遇問題で罷業。
(『新版 日本史年表』歴史学研究会 岩波書店 1984年)

「ブギウギ」実際に桃色争議ってあったの?……〟(「ブギウギ」豆知識 ステラnet 2023.10.25)
花への願い
 おひなさまよ


 雪国の山々は、まだ白い雪のなかで眠っている。
山すそから遠いほど、土は乾いていて、もう風は春である。
そのころに、お雛(ひな)祭りがおとずれてくる。
枯芝の土手に、ふきのとうが玉をふくらませ、よもぎが小さな緑を土手にはりつけている。
 女の子たちは、お雛祭りに飾る猫柳の花をとりに、男の子をつれて行く。
雪どけの水が、しぶきを立てて、流れくだってくる。
そんな川のほとりに、猫柳はもう、白いふっくらとした暖かそうな花を、葉のない枝先に咲かせている。
土雛の前に、その猫柳の花を、雪国の子どもたちは供える。
(『わらべうた――子どもの遊びと文化』相馬大 創元社 1976年)
  ちんころたんころ
  田あ植えてみせろ
  田あ植えんのいやなら
  餅ついてみせろ  (栃木)

 この「ちんころ」は、狆(ちん)ころである。
犬ころのことである。
「ころ」は、「来よ」がなまって、「ころ」となまったものであるという。
 小さな犬に、「来い、来い」と呼びかけている唄で、猫柳の花は、ちんころと呼ぶのにふさわしい姿である。
雛祭りに飾る猫柳をとりについてきている男の子は、この猫柳の花を女の子のように思っている。
あの女の子のふくらみは、小さな猫柳の花ほどのふくらみを、胸にも足腰にも持っていて、なにか青くさいものを男の子に感じさせる。
女の子にとってやった猫柳の花を、両手の手のひらのなかに入れて、それをしずかにもみほぐしていく。
その感触は、女の子にふれているようである。
   めんめんころころ
   子をうめよ
   赤いまんまに魚(とと)そえて
   白いまんまにお茶かけて (長野)

 やがて、唄とともに猫柳の花が、二つに裂ける。
それは、子どもを産んだことになる。
子を生んだら、「赤いまんまに魚そえて」祝ってやるというのである。
産まないときは、「白いまんまにお茶かけて」やるだけだという。
貧しい山村では、白い飯、それ自身がごちそうである。
あの手のひらのなかの猫柳のふっくらした花、それだけで、男の子は白い飯を食べさすといってしまっているのである。
 猫柳の花を、谷川のふちから、男の子はとってやった。
その枝をとってやるのは、「雛荒らし」といって、お雛さまを祭っている女の子の家へ行って、お供えものをもらわなければならないからである。
それに、ついてきた女の子の胸のように、その花は銀色の毛をふっくらとふくらませているからである。
その花にふれて、「ちんころたんころ」とうたい、春を手にふれないではいられないからである。
   お雛さまよ
   来年ござれ
   海を見て河を見て
   さらい年ござれ   (千葉)

 からだの清らかな少女として、神を接待し、神を送る雛祭りが、古い形である。
そのあと、少女たちは、川の近くで餅などを祝って遊んだという。
雛に対して、来年も明来年(さらいねん)も、「海を見て、河を見て」遠くの国から来てくださいとうたっている。
その名残(なごり)を惜しむ姿が、目に見えるようである。
 神奈川県の厚木では、この日、少女たちは雛を川に流し、白酒を飲み「ひなを俵(たわら)の小口(こぐち)などに載せて流しやり、一同にかなしみ泣くさまをなす」(『嬉遊笑覧』)という行事があった。
俵の小口とも呼ぶサンダワラに載せて流すのは、鳥取の流し雛と同じである。
 神のついた雛を残しても恐れなくなったのは、都市の雛人形が高級化したからである。
雛との別れを泣き悲しむのは、雛についた神がもどってこないようにするためともいわれている。
京都の人形寺の古い雛人形や、ふだんもてあそんだ人形を、火によって供養するとき、やはり女の子は泣いてしまう。
   山(やんま)の神(があみ)の勧進(かんずう)
   金なら四十八もん
   たもれ たもれ
   祝ってたもれや亭主どの
   金倉米倉つむように
   この家(や)の身代繁盛はんじょう  (山形)

 男の子は、雛祭りの日に、手に手に棒をもって山の神に参詣する。
そこで飲食する。
石川県の能登では、この日を戦いの祝いといって、弓矢で男の子たちは遊ぶ。
その他の地方でも、源平合戦のような遊びをするところがあり、女の子のお雛祭りと対照的な行事をしている。
これは、目に見えぬ精霊を、一方では雛とともに水へ流し、一方では弓矢で退散させるという目的をもっていたものであるといわれている。
 春風とともに、目に見えぬ精霊を日本から追放し、草木をはじめ作物のみのりの地を清浄にするために、聖なる少女と少年に託した願いが遊びとなったことを物語っているようである。
その雛祭りの桃とよもぎ(餅)は、邪気をはらう植物であることは、神話以来の日本人の信仰である。
それが歯固めの菱(ひし)形餅に象徴されていく。
 赤白青の三重ねの青はよもぎ草、その上に清らかな白い雪が積もり、その白い聖地に赤い桃の花が咲いている日本国土の清浄土の象徴が、菱形餅の姿となったものである。
(『わらべうた――子どもの遊びと文化』相馬大 創元社 1976年)
 引千切(ひちぎり)

 三月の雛祭に欠かせない引千切は、宮中の儀式に用いられた、白餅にくぼみを作り餡をのせた戴餅(いただきもち)に由来する菓子である。
小さな餅を杓子形に作り、柄を短く引きちぎったようにし、丸めた餡をくぼみにのせており、「ひっちぎり」ともいう。
餅には蓬餅(よもぎもち)、餅の代わりに蓬団子・求肥(ぎゅうひ)・こなし等も用いられ、餡に代わってきんとんをのせたりもする。
もとは蓬団子に小豆餡を入れたものもあった。
京都では女の子が生れると配り物にしたとも伝えられる。
(『京都歳時記』宗政五十緒・森谷尅久編集 淡交社 昭和61年)
 菱餅(ひしもち)

 三月の節句に飾る菱餅は、もとは宮中の鏡餅の上にのせた菱形の葩(はなびら)に由来するもので、菱葩(ひしはなびら)とも呼ばれた。
餅を菱形に切り、紅白緑の三色染め、三重にして飾ったといわれる。
紅白はめでたく、緑色は蓬(よもぎ)で染め、春の訪れを喜ぶ色である。
昔、京都では初節句だけ菱餅を飾り、あとは引千切だけであったと伝えられるが、近年は両方が飾られる。
しかし、菱餅の形をした生姜(しょうが)糖が多くなった。
なお菱餅は菱の実を粉にして作った餅もさす。
(『京都歳時記』宗政五十緒・森谷尅久編集 淡交社 昭和61年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ツグミが遠くを見つめているみたい
いつシベリアに帰ろうかと思案しているのかな?

✤ヒヨドリの食性」つづき

 秋から冬にかけては、トウネズミモチ、ピラカンサス、エンジュなど、樹木の実を手当たりしだいに食べる。
しかも、公園などでたくさん実をつけている時には、数十羽もの群れをなして食べているが、これを食い尽くしてしまう1月から2月頃になると、群れの行動ではなく、ほとんどが単独行動をするようになり、ほんのわずかな実をつけている玄関先のナンテンやベニシタン、マンリョウなどを食べにくる。
エサの量に応じて、ヒヨドリの群れの大きさが変化するのである。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)