空が暗くてマクロレンズでは、遠すぎるのですがカワラヒワが群がっていました。
途中で雨は止んでくれました。
小正月に行なわれる行事〝桜井 大神神社で無病息災願い縁起物集めて燃やす「大とんど」〟(奈良NHK)
小正月の行事は、各地で行なわれていて
木曽の小正月
木曽地方の小正月についてお話ししましょう。
上松町から西小川の渓谷を登りつめると高倉という集落があります。
ここでは1月13日になると大屋根に届くほどの長い竹を家の前に立てます。
竹の枝にはアワボウや花を飾りつけます。
その年の豊作を祈願するものですが、ちょうど七夕の飾りに似ています。
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年) アワボウと花は、キブシという春先に黄色い花を稲の穂のようにつける木を切ってきてつくります。
アワボウは長さ15センチ位に切ったものを竹の枝に差すだけですが、花は「花削り」という専用の刃物で薄く途中まで削りかけて花に見せるのです。
これは家々によって形が違います。 15日の朝は塞(さい)の神に門松や注連(しめ)飾りを持ち寄って来て焼きます。
子供達は餅も焼きます。
また近くの山で笹を刈って来てそれを煙でいぶします。
いぶした笹を馬にやると馬は一年中病気もしないで丈夫に育つというのです。
今は牛が多く飼われていますので牛にもやります。 子供達は地区ごとに集まり、暮れから山へ行って木集めにかかります。
集めた木は地区の田んぼへ運び込み、14日までには芯松(しんまつ)といって大きな松や竹を中心にして積み上げます。
このときすぐ脇に前火といって小さいものを一つ作ります。
14日の夜は夕方から門松や注連飾り、古いダルマなどを持ち寄って最後の積み上げをします。
また近くにはソヨゴの木を立ててさい銭箱が設けられます。
火はまず前火につけられます。
これから始めることを知らせるのです。
また子供達は「塞の神に火をつけるぞ」と言ってふれて回ります。
集まった人々はさい銭をあげ、天をこがすような大きな火に見入ります。
さい銭箱に入ったお金は、子供達が木集めなどで働いた日数によって公平に分けられるということです。
(澤頭修自 木曽福島小学校教諭)
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)第二章 四季五節の循環
小正月
一月十五日を小正月という。
これは、元日を大正月と呼ぶのに対しての小正月である。
もっとも古く、中国から導入されたとする太陰暦を基準にすれば当然のことである。
そこでは、新月の一日を「朔(ついたち)」、満月の十五日を「望(もち)」とした。
したがって、小正月は「望の正月」として祝われたのである。
(『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道』神崎宣武 講談社学術文庫 2021年) 暦の普及により、旧暦にも太陽暦が部分的にとりいれられた(ゆえに、これを太陰太陽暦という)。
江戸時代に、農事暦でその試みがなされている。
ただ、農業や漁業では、なお月齢が必要であった。
明治以降は、しだいに「新暦」(太陽暦)が普及。
やがて、月齢を忘れるともなく、忘れることにもなった。 小正月は、農作の予祝行事に片寄るかたちで伝えられるようにもなったのだ。
たとえば、稲作や畑作の作柄を粥や餅で占う「年占(としうら)」が行なわれた。
また、本来なら田植どきに行なわれる「田遊び」をこの時期に行なうところもあった。
とくに、東日本各地では、「お蚕さんの正月」といって、削り花(丸木を削ってつくった造花)や餅花(繭玉<まゆだま>ともいう)を飾って祝った。 現在に伝わる小正月行事は、トンド焼(ドンド焼・左義長ともいう)である。
そこでは、正月の飾りものを焚きあげる。
鏡餅を割ってトンドの火で焼いて食べるところもある。
もちろん、これも雑煮の習慣と同様、鏡餅の霊力にあやかって無病息災を願ってのことである。
この小正月のトンド焼をもって、正月の「事じまい」とする。
その意識は薄いかもされいなが、注連縄(しめなわ)や餅飾りなどを焚きあげるのであるから、たしかにそうなのである。 かつての農山村では、それから労働がはじまる。
もちろん、まだ寒中である。
雪に埋もれたところもある。
正月気分はここまで、というのはタテマエというもの。
二十日(はつか)正月とか一日(ひとえ)正月とかいって、また麦飯正月とかともいって、2月の節分のころまでは農山村での労働は、なお本格化はしないのである。
むかしの百姓(百姓百職といわれたごとく庶民全体をさす)は働きづめで生活は困窮を極めた、という印象も強かろう。
が、じつは正月をゆっくりと過ごし、さまざまな行事で飲食も楽しんでいたのである。
(『日本人の原風景 風土と信心とたつきの道』神崎宣武 講談社学術文庫 2021年)今朝の父の一枚です(^^)/
朝、外を見ると雨が降っていたので「散歩に行く?」と聞くと、
明日、明後日と妹と私の通院で散歩を休むので行きたいというので出かけました。
ウメに関する小さな謎 【梅・楳】
私の通っていた中学校のすぐ隣は公民館になっていて、その庭には、ウメの木がたくさん植わっていました。
今から考えれば箱庭レベルの小さな梅林だったのですが、種類は豊富で、1月の終わりから3月の初めにかけて次々に花を咲かせるので、地元ではちょっとした名所になっていたものです。
まだまだ冷たい冬の風が吹くある日の学校帰りに、私もふくよかな梅の香をかいでみた記憶があります。
風流のかけらも解さない中学生が、なぜそんな気の迷いを起こしたのか?
『広辞苑』が「早春、葉に先だって開く花は、五弁で香気が高」いと説明するその花は、それほど魅力的だということなのでしょう。
さて、「うめ」を漢字で書くと、もちろん「梅」。
『広辞苑』を開いてみても、ほかの漢字は挙がっていません。
ただ、「梅」には、読み方も意味も同じだけれど形が違う「異体字」がいくつかあって、中でも「楳」は、固有名詞で時折、用いられます。
その有名な例が、漫画家の楳図(うめず)かずおさん。
また、『広辞苑』には、「楳茂都(うめもと)流」という上方舞の一流派が、収録されています。
…つづく…
(『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』 円満字二郎 岩波書店 2020年)