2023年5月25日木曜日

曇り空から

出かける時は曇り空で風も冷たかったのですが
公園を歩いていると日ざしがでてきて暑くなりました。
池のスイレンも咲きだし夏だなと思います。
「はしか」感染確認 各地で 症状の特徴 対策は?(5/23現在)〟(NHK)

かつて、麻疹は「命定め」、天然痘は「器量定め」と言われていたそうです。
1 医療民俗学序説
 「はしか」の民俗


 麻疹(ましん)は「はしか」とも言い、感染力の強い疾患で、一生に一度はかかると考えられている。
はしかになると喉や肌がしびれたり、突き刺すような感覚を覚えたりする。
それを麦や稲の穂先でこすったような感覚として捉え、関西ではそれを「ハシカイ」と言い、関東では「イナスリ」と言った。
(『医療民俗学序説』畑中章宏 春秋社 2021年)
 徳島県の祖谷地方では麻疹や百日咳除けとして桑の木細工を首にかけたり、南天の枝を肌につけたり、鮑(あわび)の貝殻を軒先に吊るすなどした。
兵庫県の但馬(たじま)地方山間部では「はしか送り」といって、桟俵にのせた小豆入りの握り飯二つ、それに水引きをかけた笹の葉を添えたものを家の近くの四つ辻に置くこともあった。
 愛媛県西条市では、はしかが治ったら、便所の神様(チョウズの神様)にお供え物をしてはしかにかかったことの証人になってもらう。
そうしないと、はしかにまたかかるといわれている。
新潟県中頚城(なかくびき)郡吉川町(現・上越市吉川区)では、はしかが治って十二日目に、はしかの神様の神放しとして、藁のサンバイシ(桟俵)を子どもの頭に乗せ、束ねた笹の葉にお湯を掛けて、サンバイシを家の向かいの木に下げたり、小豆飯を添えたりした。
 ほかには、葉の裏を傷つけると字が書ける多良葉(たらよう)の葉にまじないの歌をしたため、川に流すと症状が軽くなり、余病を発することもない、あるいは、はしかにかからないうちに飼馬桶をかぶせると難を免れ、たとえかかったとしても軽くすむ呪的な祈願方法もあった。
伊勢えび、干し柿、蜂の巣を煎じたものや、金柑(きんかん)、犀角(さいかく)などを飲ませることがあった。
これは早く真っ赤になり、発疹を出しきれば安全だという迷信によるものである。
 文久2年(1862)、はしかが未曾有の大流行をした。
そのときはしかの予防法や摂生の仕方を描いた錦絵、「はしか絵」が100種類以上出版された。
はしか絵には、はしかの予防や心得、はしかにかかっても軽くすむまじないとか、食べよいもの・悪いものや、日常生活の摂生、病後の養生法などについて書き添えてあった。
 はしか絵による食べてよいものは、人参・大根・さつまいも・びわなどの野菜・果物から、どじょう・鮑・しじみ・わかめなどの海産物、麦・小豆・砂糖などの穀物・調味料、みそづけ・たくあんなどの加工食品と幅広い食材が挙げられる。
食べてはいけないものは、ほうれん草・ねぎ・ごぼう・里芋・椎茸・梅干しなど、栄養がありそうなもののほか、「辛き物」や「油濃き物一切」が挙げられていることから、比較的刺激の強い食べ物が避けられたのだろうか。
(『医療民俗学序説』畑中章宏 春秋社 2021年)

歌川房種「麻疹軽くする法」文久2年(1862)〟(早稲田大学図書館)

はしか・はしか絵」(くすりの博物館)
『日本書紀』より「崇神天皇 十年九月」を転記しますが、前半と内容がつながっていないようなので、
三輪山伝説にかかわる後半を転記します。

崇神(すじん)天皇

 四道将軍

…前略…

 この後、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は、大物主神の妻となった。
けれどもその神は昼は来ないで、夜だけやってきた。
倭迹迹日姫命は夫にいった。
「あなたはいつも昼はおいでにならぬので、そのお顔を見ることができません。どうかもうしばらく留って下さい。朝になったらうるわしいお姿を見られるでしょうから」と。
大神は答えて「もっともなことである。あしたの朝あなたの櫛函(くしばこ)に入っていよう。どうか私の形に驚かないように」。
倭迹迹日姫命(やまとととびひめのみこと)は変に思った。
(『日本書紀(上)』宇治谷孟訳 講談社学術文庫 1988年)
明けるのを待って櫛函を見ると、まことにうるわしい小蛇(こおろち)がはいっていた。
その長さ太さは衣紐(したひも)ほどであった。
驚いて叫んだ。
すると大神は恥じて、たちまち人の形となった。
そして「お前はがまんできなくて、私に恥をかかせた。今度は私がお前にはずかしいめをさせよう」といい、大空を踏んで御諸山(みもろやま<三輪山>)に登られた。
倭迹迹日姫命は仰ぎみて悔い、どすんと坐りこんだ。
そのとき箸で陰部を撞いて死んでしまわれた。
それで大市(おおち)に葬った。
ときの人はその墓を名づけて箸墓という。
その墓は昼は人が造り、夜は神が造った。
大坂山の石を運んで造った。
山から墓に至るまで、人民が連なって手渡しにして運んだ。
ときの人は歌っていった。

  オホカサ(大坂)ニ、ツギノボ(踵登)レル、イシムラ(石群)ヲ、タゴシ(手逓伝)ニコ(越)サバ、コ(越)シガ(難)テムカ(乎)モ。
   大坂山に人々が並んで登って、沢山の石を手渡しして、渡し行けば渡せるだろうかなあ。

…後略…
(『日本書紀(上)』宇治谷孟訳 講談社学術文庫 1988年)

大神神社(おおみわじんじゃ)について」(三輪明神大神神社)

箸墓古墳(桜井市箸中) 陵墓」(桜井市観光協会)
補注 5 巻第五 崇神天皇
 三輪山伝説

 崇神記では活玉依毗売が、夜訪れる未知の恋人によって妊娠したとき、父母の教えに従って、赤土を床前に散らし、積麻を以て針に貫き、男の衣のすそに刺したところ、糸は美和山まで達していた。
そこで三輪の神の子を妊んだことが判った。
これが神(みわ)氏の祖先であるとある。
これは典型的な三輪山型の伝説で、日本ばかりでなく、朝鮮・蒙古にまで分布している。
(『日本書紀(一)』坂本太郎他校注 岩波文庫 1994年
この分布からみて、ユーラシアの北半から北米にかけて拡がっている次の話と関係があると思われる。
太陽(妹)に月(兄)が恋をし、夜問する。
恋人の正体をつかもうとして太陽は恋人の顔に煤をつける。
朝になってみると、兄の顔に煤がついていた。
以来、月には斑点がある。
恐らく、このモチーフの変化したものが三輪山伝説であろう。
さらに、日本の三輪山伝説には、蛇との交婚という点が重要なところに特殊性があり、今日においても五月の菖蒲酒や九月の菊酒の由来を説明する蛇聟入型の昔話として広く分布している。
豊玉姫の神話において、人間(男)と竜蛇(女)との結婚によって国土の支配者の家系の神聖なことを基礎づけるのに対し、三輪山伝説では、人間(女)と竜蛇(男)との結合によって、特定の家系(三輪氏・緒方氏など)の由来を説明し、かつ儀礼(三輪山の崇拝・年中行事としての節句)を基礎づけている。
また、我が国のおける三輪山伝説の発達には、妻訪婚が行われていたことが、その背景として考えられる。
妻訪に当っては、一定期間、男は自分の素性をかくし、かつ顔面を見られることを忌む風習があったらしい。
後の表現に、新婚数日後、新婦の里で新郎等を饗応する儀式を「所顕し」と呼んだのも、この風俗の痕跡がみられる。
(『日本書紀(一)』坂本太郎他校注 岩波文庫 1994年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ツバメを写したくてしょうがないようで何枚も写していました。
長い時間、上を見ていると血圧が上がるよと注意するのですが…
これは昨日、私が写した画像(60㎜のレンズなのではっきりと写せませんでした)。
スズメにしたら黒くてスマートだなと思って見ると
巣立ったばかりのツバメの幼鳥のようで、
風が強かったので地上に降りて休憩しているみたいでした。
成鳥は、強い風でもうまく利用して飛びますが
幼鳥は、風にのる要領が悪く、無駄な力を使って疲れてしまうのでしょうね…

巣立つツバメの活動」(中学)

おむすびニッポン「青森 若生昆布おむすび
MCの王林さんの地元で嬉しそうに話していました。

2021年10月14日の記事で『回想の太宰治』から転記したのですが
転記しながらどんなおむすびかなぁと思っていました。
一緒に見ていた妹がめはりずしを思い出していました。
食べてみたいなぁ(*´▽`*)