2023年5月29日月曜日

梅雨入り

出かける時、パラパラと降ってきましたが、
公園では、傘をささなくても歩けました。
5月に梅雨入りするのは

近畿 10年ぶりに5月の梅雨入り 大雨で土砂災害に十分注意」(関西NHK)
ヤゴの脱け殻がありました。
セミもそうなんですが、抜け殻をみていつも凄いなと思うのは、角膜まで脱いでいます。 
人間は、脱皮はもちろんできなし、角膜の再生もできませんね…
白い糸のようなものは…

●昆虫は必ず脱皮する――脱皮と変態

…前略…

セミの幼虫は地中から外に出て、脱皮して成虫になりますが、このとき残ったセミの抜け殻は、セミの幼虫の抜け殻であって、セミの蛹ではありません。
トンボのヤゴも幼虫ですので、水中から上がって残った抜け殻は蛹ではないのです。
また脱皮の際、外骨格でおおわれている昆虫は体の外皮を脱ぐことになりますが、外皮と通じている呼吸器官の気管も一緒に脱皮します。
セミの抜け殻の内部に白いひもが入っているのに気がついた人もいるかもしれません。
これが脱皮した気管なのです。
…後略…
(『観察する目が変わる昆虫学入門』野村昌史 ベレ出版 2013年)
『宇治拾遺物語』にこんな話が載っています。
現代語訳を転記します( ..)φ

<現代語訳>
 五十七 石橋の下の蛇のこと

 近ごろのことであろう。ある女がいた。
雲林院(うりんいん)の菩提講(ぼだいこう)にあずかるために、大宮大路を上って行った。
やがて西院(さいいん)のあたり近くなって、石橋があった。
川のほとりを、年のころ二十(はたち)過ぎ、三十くらいの年かっこうの女が、腰帯を締(し)めて歩いて行き、石橋を踏み返して通り過ぎた。
すると、その踏み返された橋の下に、まだらの蛇がとぐろを巻いていた。
(『宇治拾遺物語(上)全訳注』高橋貢・増古和子 講談社学術文庫 2018年)
「石の下に蛇がいたわ」と思って見ていると、この踏み返した女の後ににょろにょろとこの蛇がついて行くので、後ろから行く女はこれを見て変に思い、「いったいどういうつもりでついて行くのかしら。石橋の下から踏んで外に出されたのが癪(しゃく)にさわって、その仕返しをしようというのかしら。とにかく、この蛇が何をするのか、このなりゆきを見てみよう」と思い、後ろについて行くと、この女はときどき振り返ったりなどするが、自分の後に蛇がついて来るとも気づかぬ様子である。
また、同じように道を行く人がいるが、蛇が女について行くのを見つけて口にする人もいない。
ただ最初に見つけた女の目にだけ見えたので、この蛇が何をしようとするのか見届けよう、と思い、この女の後を離れずに歩いて行くうちに、雲林院に行き着いた。
 寺の板の間に上ってこの女が坐ると、この蛇も上ってすぐ側でとぐろを巻いて寝ているが、これを見つけて騒ぐ人もいない。
不思議なことだなあと、目をそらさず見ていると、講が終わったので、女が立って出て行くのにつれて、蛇も続いて出て行った。
これを見ていた女は、この蛇が何をしようとするのか、見届けようと、後をつけて京の方へ出て行った。
下京(しもぎょう)の方に行きついて一軒の家がある。
その家に女が入ると、蛇も一緒について入った。
これがこの女の家なんだ、と思うが、蛇は昼間は何もしないだろう。
夜こそ何かすることもあろう。
ひとつこの蛇の夜の様子が見たいものだと思うが、見るすべもないので、その家に歩み寄って、「田舎から上京した者ですが、行って泊まれるところもございませんので、今夜一晩だけ泊めていただけませんか」と言った。
すると、この蛇が憑(つ)いている女がこの家の主人だと思っていたのに、その女が、「ここにお泊りなさる人がおりますよ」と言う。
すると一人の老女が出て来て、「どなたがそうおっしゃるのですか」と言う。
さてはこれがこの家の主人なのだと思い、「今晩だけ宿をお借りしたいのです」と言う。
「よろしゅうございますよ。お入りなさいませ」と言う。
うれしいと思って入って見ると、板の間(ま)のあるところに上がってこの女が坐っている。
蛇は板の間の下の柱のもとにとぐろを巻いている。
気をつけて見ると、蛇は鎌首をもたげてじっとこの女を見つめている。
蛇憑きの女は、「御殿の様子はね」などと話している。
宮仕えをしている者と思われる。
 こうしているうちに、日はたちまち暮れて、暗くなってしまったので、蛇の様子を見るべきすべもなく、そこでこの家主と思われる女に「こうして泊めていただくお礼に、緒(お)がありますか、あれば縒(よ)って差し上げめしょう。明かりをつけて下さいな」と言うと、「まあ、うれしいことをおっしゃる」と言って、明かりをともした。
緒を取り出してよこしたので、それを縒りながら見ていると、この女は寝てしまったらしい。
今こそ蛇が寄っていくだろうと見ているが、近くには寄っていかない。
このことをすぐにも知らせたいと思うが、知らせたら、自分にもまずいことになるのではないかと思い、何も言わず、どうするかその有様を見ようと、夜中過ぎまでじっと見つめていたが、ついにどうにも見えないほどに灯火が消えてしまったので、この女も寝た。
 夜が明けてから、どうなっているだろうかと思って、あわてて起きてみると、この女はほどよい自分に起き出して、別に何ともなさそうな様子で、その家の主人と思われる女に話している。
「ゆうべ夢を見ましたのよ」と言うと、「どんな夢を御覧になったの」と聞く。
「この私の寝ている枕もとに人がいるなと思って、見ると、腰から上は人で、下は蛇の、きれいな女が坐っていて、言うには、『私はある人を恨めしいと思ったために、このように蛇の身に生まれ変わり、石橋の下で長年過ごし、つらいと思っておりましたところ、昨日、私の重しの石をあなたが踏み返して下さったおかげで、石の苦しみを免れて、うれしく存じましたので、このお方がお着きになるところを見届けてお礼を申し上げようと思い、お供をいたしましたところ、菩提講の場においでになりましたので、そのお供に参ったおかげで、めったに遇い難い尊い仏法を承ることができ、そのために多くの罪までも消滅し、その法力で人間に生まれ変わることができる功徳が近くなりましたので、ますますありがたく存じまして、こうして伺ったのです。このお礼には、運をよくして差し上げて、立派な殿御(とのご)と結婚させてあげますよ』と言う夢を見たのです」と語った。
これを聞いてびっくりし、ここに泊った女が言うには、「本当は、私は田舎(いなか)から上京した者ではございません。これこれのところに住んでいる者です。ところが、昨日、菩提講に参りました道で、途中であなたに行き合いましたので、後について歩いて行きますと、大宮のあの辺の川の石橋を踏み返され、その下からまだらの小蛇が出て来て、お供について参りました。それをこうとお知らせしようと思いましたが、お知らせしては、自分にとっても悪いことがあるのではないかと恐ろしくて、申し上げられなかったのです。そういえば、講の席にもその蛇はおりましたが、誰も見つけることができなかったのです。講が終わり、出て行かれた時、またあなたについて行きましたので、どうなることか見届けたくて、思いもかけず、昨夜はここで夜を明かしてしまったのです。この夜中過ぎるまでは、この蛇は柱のもとにおりましたが、夜が明けて見ますと、蛇も見えませんでした。それに合わせて、こういう夢のお話をなさるので、驚きもし、恐ろしくもなって、こうして打ち明けるのでございます。これからはこれを御縁に何でもお話しいたしましょう」などと語り合って、その後は常に行き来をして知り合いになったのである。
 ところで、この女はたいそう運がよくなり、このごろは何という人かは知らないが、大臣家の下家司で非常に裕福な者の妻になって、万事思いのままに暮らしている。
尋ねてみれば、きっとすぐにわかるだろうということだ。
(『宇治拾遺物語(上)全訳注』高橋貢・増古和子 講談社学術文庫 2018年)
今朝の父の一枚です(^^)/

 ザクロと几帳面な日本人 【石榴・柘榴・若榴】

 子どものころ、近所の空き地にザクロの木が一本、植わっていて、一度だけ、友だちとその実を取って食べた記憶があります。
小さな赤い歯のようなものが密集しているその見た目といい、プチプチしたその食感といい、甘酸っぱい独特の味といい、その印象はあまりにも強烈。
長い間、ザクロといえば果実のイメージしかありませんでした。
 その花に目が向くようになったのは、中年になって以降でしょうか。
特にきっかけがあったわけではないのですが、梅雨の時期、濃い緑の葉っぱを背景として浮かび上がる鮮やかなオレンジ色に、なんとはなしに心引かれるようになっていったのでした。
…つづく…
(『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』 円満字二郎 岩波書店 2020年)

明日は、blogの更新をお休みしますが、台風の動きによっては数日休むかもしれません。