今朝は、公園を歩いている時に、時々、小雨が降りました。
不安定な天気が続いています。
「京都 葵祭の行列 16日に延期 雨の影響」(京都NHK)桑の実が熟して落ちていました。
椹(クハノミ)や花なき蝶の世すて酒 (虚 栗)
天和2年またはそれ以前の作。
椹または葚はクワノミを意味する。
椹酒は桑の実の酒。
蝶が桑の実にとまってそれを吸っている。
それは、春の花もなくなってしまって、よるべを失った蝶にとって、世捨酒ともいうべきものだ、というので、蝶に世を捨てた芭蕉自身を寓したのである。
桑門をよすてびとと訓むことから「世すて酒」の語を思いついたのか。
「世すて酒」とは、芭蕉の造語かも知れぬ。
真蹟写に、「桑(よすて)酒」と書いているのは、たぶん芭蕉の発想の拠り所を示していよう。
これも芭蕉の過渡期の作風で、自分の境涯を「花なき蝶」に託して詠み出しているところがうかがわれる。
(『芭蕉全発句』山本健吉 講談社学術文庫 2012年)こちらは、クサイチゴの実。
このようにポツポツとなっているのを見ると、十一面観音を思い浮かべます。
第1章 蛇と山の神
1 世界の原始蛇信仰
蛇信仰は一説によればエジプトにおこって世界各地に及び、東はインド、極東、太平洋諸島を経て、アメリカに達したといわれ、西はアフリカ、ギリシアから、ヨーロッパに至ったとされる。
この伝播(でんぱ)の道程のなかに日本列島も含まれるから、日本に蛇信仰が顕著なのは当然のことなのである。
(『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』吉野裕子 講談社学術文庫 2008年)
蛇が世界各原始民族によって崇拝されたのは、蛇が祖霊・祖先神とみなされたからである。蝶が桑の実にとまってそれを吸っている。
それは、春の花もなくなってしまって、よるべを失った蝶にとって、世捨酒ともいうべきものだ、というので、蝶に世を捨てた芭蕉自身を寓したのである。
桑門をよすてびとと訓むことから「世すて酒」の語を思いついたのか。
「世すて酒」とは、芭蕉の造語かも知れぬ。
真蹟写に、「桑(よすて)酒」と書いているのは、たぶん芭蕉の発想の拠り所を示していよう。
これも芭蕉の過渡期の作風で、自分の境涯を「花なき蝶」に託して詠み出しているところがうかがわれる。
(『芭蕉全発句』山本健吉 講談社学術文庫 2012年)こちらは、クサイチゴの実。
このようにポツポツとなっているのを見ると、十一面観音を思い浮かべます。
第1章 蛇と山の神
1 世界の原始蛇信仰
蛇信仰は一説によればエジプトにおこって世界各地に及び、東はインド、極東、太平洋諸島を経て、アメリカに達したといわれ、西はアフリカ、ギリシアから、ヨーロッパに至ったとされる。
この伝播(でんぱ)の道程のなかに日本列島も含まれるから、日本に蛇信仰が顕著なのは当然のことなのである。
(『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』吉野裕子 講談社学術文庫 2008年)
原始民族によって蛇が祖霊・祖先神として信仰された理由は数多くあるが、そのもっとも根源的・かつ基本的要因は、次の三点に帰せられる。
(1) 外形が男根相似
(2) 脱皮による生命の更新
(3) 一撃にして敵を倒す毒の強さ このような蛇の生態にみられる三つの特徴を敷衍(ふえん)すれば、次のようにも表現することができる。つまり、
(1) 生命の源としての種の保持者
(2) 永遠の生命体
(3) 無敵の強さ
蛇の特質はこのように要約されるが、それらに対する尊崇(そんすう)が、ついに蛇を祖霊にまで崇(あが)めていった要因と推測される。 そこで各民族における蛇信仰の実際を簡単であるが彼らが古くから遺(のこ)している造型・デザインの面から探ってみたい。
まずエジプトでは毒蛇コブラの信仰が顕著である。
コブラは「太陽」「火」のシンボルとされ、その造型は太陽神や歴代の王たちの冠、および額の装飾となっている。
次にこれは私の推測であるが、エジプトのミイラもこのコブラの造型であって、頭から足先まで麻布によって固く巻かれた様子は蛇の姿態にそっくりである。
おそらくこれは死者を祖先神の蛇に変身させる呪術であって、これこそ死者再生へのこの上ない呪術と信じられていたに相違ない。
インドにおいても同様にこのコブラの神霊化、「ナーガ」の信仰が著しい。
創造神ヴィシュヌさえ、原初の海の真ん中でナーガの背にもたれて休息をとる。
ナーガこそ宇宙エネルギーの象徴で、七・九・十一から一千の頭をもつとされ、ヴィシュヌの庇護(ひご)者なのである。
ナーガ信仰は仏教にも影響を与え、タイのクメール・スコータイ仏教遺蹟の仏像の光背にもナーガは見られ、掌(てのひら)をひろげたような七つの頭のナーガが、如来(にょらい)をその背後から守護している形である。
私見によれば、十一面観音の頭部の仏像も、その原型はおそらくナーガである。
その十一はナーガに関係のふかい数であると同時に、その形もナーガを思わせるのである。
タイの王宮の階段の手すりにも梁(はり)の上にも七つの頭をもつ蛇神ナーガの彫刻が見られ、屋根を飾るのもまた天から降るナーガである。 メキシコの名高い蛇神は、ケツァルコアトル、マヤ語でいうククルカンである。
アステカ族によれば鷲(わし)は太陽、蛇は大地の精であるから、羽をもつククルカンは天地を統(す)べる至高の神である。
中国の祖先神は、伏犧(ふくき)と女媧(じょか)の人面蛇身の夫婦神である。
蛇の出現は吉兆で、古代には人間の蛇への変身、または蛇の人間への変身が信じられていた。 台湾では原住民の高砂(たかさご)族に蛇信仰がみられ、毒蛇の「百歩蛇(ひゃっぽだ)」が信仰の対象である。
その名のとおり、一たび咬(か)まれると百歩行かぬうちに死ぬという毒蛇で、その強さ故にこそ、頭目家(とうもくけ<首長>)の祖先として崇(あが)められるに至ったのである。
したがって百歩蛇の造型・デザインを使用できるのは、頭目家の一族に限られ、平民は百歩蛇の図柄の衣裳を身にまとうことは許されなかった。 百歩蛇の衣裳の着用は、着用者自身が蛇と化(な)ること、すなわち百歩蛇の子孫としての位置づけを意味し、その着用を頭目家一族に限定することは、村人らに対するその家系の尊貴性の露(あら)わなる誇示であって、要するにこの禁忌(タブー)は、祖先神としての百歩蛇への異常なまでの信仰心をうかがわせるに足るものである(第1図「台湾パイワン族の衣裳に見られる百歩蛇のデザイン」<省略>)。
以上、世界の蛇信仰のきわめて簡略な概観であるが、終わりに日本の蛇信仰に触れて、この小論のしめくくりとしたい。
(『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』吉野裕子 講談社学術文庫 2008年)今朝の父の一枚です。
久しぶりに四葉のクローバーを見つけて喜んでいました。
母と一緒に歩いていた頃は、二人で探していました。
シロツメクサ Trifolium repens
四つ葉のクローバーは幸福のシンボル。
クローバー類は学名をトリフォリウム( Trifolium )と云うが、これは「三つ葉」という意味で、いずれも三小葉をつけるのが特徴である。
ところが、時々4枚の小をつける株が出ることがある。
これがいわゆる四つ葉のクローバーで、シロツメクサの四つ葉が幸福を呼ぶとして探す人が多い。
稀に四つ葉どころか、5枚、6枚というのも見つかることがあるが、こうなると宝くじに当ったようなものだ。
シロツメクサは、ヨーロッパ原産で、ホワイト・クローバーとも呼ばれる。
わが国への渡来は江戸時代と云われ、オランダの船がガラス製品を持ち来った時に、そのパッキングとしてこのシロツメクサを乾燥させたものを用いたようで、この中に混じっていた種子を播いたのがわが国に居着いた始まりと云われている。
ツメクサの名も、爪草ではなく詰め草というわけだ。
…後略…
(『柳宗民の雑草ノオト』 毎日新聞社 2002年)