向うから歩いてきた方に「いましたか?」と聞かれたのですが
ポカ~ンとしていると「鳥、いましたか?」と再度聞かれました。
カメラを持っていると野鳥を撮影されている方とよく間違えられるのですが
そんな時は、杖を見せて「リハビリで歩います。なんでもいいのです」と答えるようにしています。
今朝は、なんか久しぶりにいい天気でした。
(天気予報では、午後から雷雨に注意となっていました)
今頃咲いているソメイヨシノを見ると親近感がわきます(*´▽`*)写っているのはウスイエンドウ(碓井豌豆)の花。
ダーウィンが来た!「いちばん身近な生きもの!野菜大研究」
興味深ったです。
特に落花生の守りの業
地面の下に実をつけることは知っていたけど
根に実ができているとばかり思っていました。
花の一部(子房柄)が地中に潜る映像にビックリしました。5月1日は、メーデーなんだけど、組合の組織率が低下しているようです。
そのことがブラック企業が増えている一因ではないかと思います。
◆労働者ヨセフの日(5月1日) Saint Joseph the Worker
イエスの養父ヨセフを、キリスト信者の勤労者の模範として記念する日。
この日はメーデー( May Day;Labour Day )として、世界の多くの地域では公休日となっている。
労働者の祭典としてのメーデーは、1886年にアメリカの労組が8時間労働制を求めて示威行進を行なったのが始まりである。
1889年には、第二インターナショナル創立大会でこの日を「労働者国際連帯の日」とすることが決議され、翌年から世界各地で挙行されるようになった。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷涼子 講談社学術文庫 2016年) 1955年に教皇ピオ12世が、この日を大工の仕事にいそしみながらマリアとイエスを扶養した労働者ヨセフを祝う日と定めた。
幸せな人、神をおそれ、主の道を歩む人、
その人は労働の実りを受け、恵みと平和に満たされる。
(カトリック教会ミサ典礼書 入祭唱)
ヨーロッパ諸国で祝われる古くからのメーデーは、春の訪れを謳歌する五月祭で、キリスト教以前の農耕儀礼に起源をもつと考えられている。
地域によって祝い方はさまざまだが、緑の枝や花輪をもって行列したり、メイクイーン(五月の女王)を選んだり、生長と繁栄のシンボルであるメイポール(五月柱)を立てる慣習はよく知られている。
イングランドでは、モリス・ダンスという伝統的な踊りがつきものだ。
この日の朝露で顔を洗うと美しくなるという俗信もある。 ゲーテの戯詩『ファウスト』(1831年)で有名になった「ワルプルギスの夜」とはこの前夜である4月30日を指し、8世紀にドイツで亡くなったイングランド生まれの修道女ヴァルプルガ( Walburga、祝日2月25日)に由来する。
5月1日は彼女の遺体がアイヒシュテットの教会に移動した記念日で、バイキングが豊穣を祝う春祭と融合し、スウェーデンとフィンランドでは初夏の重要な祭りとなっている。
人びとは大きなかがり火を囲み、歌をうたって春の訪れを祝う。
ドイツでは、ブロッケン山で魔女たちが悪魔とともに饗宴を行なう日と伝えられ、やはりかがり火を焚いて夜を明かす。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷涼子 講談社学術文庫 2016年)中井久夫さんについて書かれた追悼文から一部抜粋します( ..)φ
追悼・中井久夫先生 山中康裕
…前略…
最後になってしまったが、先日のお通夜についての感想を少し。
高宜良(こう ういりゃん)先生のお蔭で、鹿児島のラグーナ出版の森越まや先生と、神戸大学の胡桃沢伸先生との4人の精神科医で、贅沢にも、30分を超す時間、垂水カトリック教会の離れの、何と和室の畳の上で、布団に横になられたお姿の故・中井久夫先生、と、たっぷり、お別れが出来た。
枕元の、いかにも中井先生好みの、松、梅、桔梗、芒、菊、百合などを、美しい色合いの日本画で描いた、いかにも優しい雰囲気の、丁度腰の高さの六曲一隻の衝立に囲われて、先生の寝息が聞こえてくるのではないかと思われるような優しい表情で永遠の眠りについておられるお姿であった。
(『現代思想2022年12月臨時増刊号 総特集=中井久夫』青土社 2022年)建築家であられたと思っていたのだが伺ってみると、その後医学部に入り直されて精神科医になられた長女・玲子さんと、先生と奥様の晩年に、甲斐甲斐しくケアに当たられた次女の久美子さんとのお二人が、先生の、何枚ものご自身の描かれた料理レシピや、先生の作られたであろう船模型や、お得意の何枚かの地図や、いかにも、先生がすぐ横で描いてくださる風情の、あの、くるっくるッと矢印が曲がりながら、目的地に案内する、お得意の案内図たちや、スケッチ帳などを見せていただいたのである。
先生、どうか安らかにお眠りください、合掌。
いや、アーメンというべきか。
お嬢さんに伺ったら、先生がカソリックに改宗なさったのは、ほんの数年前とこことであった。
(やまなか やすひろ・精神科医) 中井さんは「神の国」へ行ったのか? 上野千鶴子
…前略…
中井さんが大学を退職してから何年かして、神戸市郊外の施設に移られたと聞いた。
なぜ? あれだけのお弟子さんを育て、彼ら彼女らに慕われたひとが?
そこは小規模で家庭的なグループホームだと聞いた。
認知症になられた中井夫人がすでに入居しておられた施設に、中井さんも共に入居なさったのだと知った。
…中略…
矢も楯もたまらない思いで、友人の案内で施設に面会に行った。
コロナ禍前のことである。
中井さんは車椅子で面会室まで出てきてくださった。
あいかわらずチャーミングな笑顔、明晰な語り口だった。 わたしにとって最大のショックだったのは、中井さんのカソリックへの改宗を知ったことである。
あの中井さんが? 人生の最後に神に救いを求めるなんて?!
たちどころに思い浮かんだのは、加藤周一さんのことだった。
加藤さんもまた最晩年にカソリックに改宗なさった。
まさか、あの「怪力乱神」を語らぬ、どこまでも明晰な近代合理主義者が? わたしが敬愛してやまない方たちが、人生の終わりに神を選ぶことがどうしても納得できなかった。
だから目をそらさずに、中井さんに訊ねた。
「中井さん、わたしはショックです。あなたにとって神ってなんですか?」
答えは予想外のものだった。
彼は静かな声でこう答えたのだ。
「そうだね、便利なものだね」 人間を絶望に突き落とすのも、人間を救うのも、同じ人間ではないのか。
精神医学という科学を専攻してきたこの傑出したプロフェッショナルは、最後に神に救いを求めたのか。
神にしか救えないものがあると感じたのか?
それにしては答えは、敬虔な信仰告白からは遠かった。
中井さんは「神の国」へ行ったのだろうか? それとも……。
精神病は人間という存在の謎でありつづけている。
その謎に取り組む治療者たちは、次の世代にも次々に生まれている。
治療者とは、ぎりぎりのところで宗教者との境界に踏みとどまっている人びとではないのだろうか。
中井さんは大きな「謎」を残して去った。
(うえの ちづこ・社会学)
(『現代思想2022年12月臨時増刊号 総特集=中井久夫』青土社 2022年)今朝の父の一枚です(^^)/
最近、公園を歩くたびに写しているのが
ヒトツバタゴ 一つ葉タゴ モクセイ科 落葉高木
別名、ナンジャモンジャ
近年、街路樹として、見る機会が増えた木。
自生地が長崎(対馬)や岐阜などに限られ、江戸の昔からレアだったため、「なんじゃこりゃ」という意味の別名でよく呼ばれる。
4枚の細い花びらを広げた白い花で、青葉の梢に雪が積もるようにふわりと咲く。
野生のものは絶滅危惧種。
(『趣味どきっ! 道草さんぽ・春』多田多恵子 NHK出版 2023年)