8時前で東屋の温度計が32度になっていました(^^;
「近畿地方 猛烈な暑さ続く 熱中症に厳重な警戒を」(関西NHK)
〝京都の祇園祭 締めくくりの神事「夏越祭」 無病息災祈る〟(NHK京都)物をくれる友がいちばん 徒然草
…前略…
兼好は慈悲の心が大事であると説ききかせます。
<いとけなき子を賺(すか)し、威(おど)し、言ひ恥かしめて、興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらずと思へど、幼き心には、身に沁(し)みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに切なるべい。これを悩まして興ずる事、慈悲の心にあらず>
(『田辺聖子の古典まんだら(下)』新潮文庫 2011年)
「幼い子供をおどしたり、怖がらせたり、辱めたりして喜んでいる人がいる。大人だったら、たいしたことはないが、幼い子供心にはどんなに悲しく、つらく、恥かしく思うことだろう。子供を悩ませて面白がるのは、慈悲の心とはいえない」
現在、児童虐待(ぎゃくたい)が大きな問題となっていますが、八百年も前に兼好はこう指摘しているのです。
子供に優しい人んですね。
こんな話も描いています。 後嵯峨(ごさが)天皇の皇女・延政門院がまだ幼かった頃、父・後嵯峨院の御所へ参上する人に歌を言づけました。
これがとても可愛いのです。
ふたつ文字、牛の角(つの)文字、直(す)ぐな文字 歪(ゆが)み文字とぞ君は覚ゆる
「ふたつ文字」というのは、ひらがなの「こ」の字のことです。
上下に二つありますよね。
「牛の角文字」は、牛の角のかたちをした「い」、「真ぐな文字」は「し」です。
現在は「し」の最後を右上にはねるようにしますが、昔は真っすぐ下へ垂らしていました。
そして、「歪み文字」というのは「く」です。
あわせると、「こいしく」になります。
こういう話を楽しそうに書きとどめています。
実は延政門院に仕えていた一条という女房と兼好は歌を詠(よ)み交わしています。
二人は恋仲だったのかもしれませんね。
この話はおそらく彼女から聞いたものでしょう。
…後略…
(『田辺聖子の古典まんだら(下)』新潮社 2011年)
田辺聖子さんの本を読んでいて、ウクライナの子どもたちのことを思いました。上下に二つありますよね。
「牛の角文字」は、牛の角のかたちをした「い」、「真ぐな文字」は「し」です。
現在は「し」の最後を右上にはねるようにしますが、昔は真っすぐ下へ垂らしていました。
そして、「歪み文字」というのは「く」です。
あわせると、「こいしく」になります。
こういう話を楽しそうに書きとどめています。
実は延政門院に仕えていた一条という女房と兼好は歌を詠(よ)み交わしています。
二人は恋仲だったのかもしれませんね。
この話はおそらく彼女から聞いたものでしょう。
…後略…
(『田辺聖子の古典まんだら(下)』新潮社 2011年)
父親に会いたいと願っても会えない、ロシア軍のロケット攻撃の中、恐怖に脅えている子どもたち。
別の本から田辺聖子さんが紹介した『徒然草』の段を紹介したいと思います。
読み比べると面白いですよ。 【第百二十九段】
顔回(がんくわい)は、志(こころざし)、人に労(ろう)を施(ほどこ)さじ、となり。
すべて、人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐる事、賤(いや)しき民の志をも奪ふべからず。
また、幼(いときな)き子を賺(すか)し、脅(おど)し、言ひ辱(はづかし)めて興(きよ)ずる事、有(あ)り。
大人(おとな)しき人は、真(まこと)ならねば、事にも有(あ)らず思へど、幼(おさな)き心には、身に沁(し)みて恐ろしく、恥づかしく、あさましき思ひ、真(まこと)に切(せつ)なるべし。
これを悩まして興(きよう)ずる事、慈悲の心にあらず。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年) 大人(おとな)しき人の、喜び、怒り、悲しび、楽しぶも、皆、虚妄(こまう)なれども、誰(たれ)か、実有(じつう)の相(さう)に着(ぢやく)せざる。
身を破るよりも、心を痛(いた)ましむるは、人を害(そこな)ふ事、猶(なほ)、甚(はなは)だし。
病(やまひ)を受くる事も、多くは心より受く。
外(ほか)より来(きた)る病(やまひ)は、少(すくな)し。
薬を飲みて、汗を求むるには、験(しるし)無(な)き事有(あ)れども、一旦(いつたん)、恥ぢ恐るる事あれば、必ず汗を流すは、心の仕業(しわざ)なりといふ事を知るべし。
凌雲(りょううん)の額(がく)を書きて、白頭(はくとう)の人と成(な)りし例(ためし)、無(な)きに有(あ)らず。訳 孔子の一番弟子だった顔回(がんかい)は、他人に嫌な思いをさせまい、というのが人生のモットーだったという。
すべて、人を苦しめたり、他人を虐待したりしてはならない。
身分の低い人々の志をも奪ってはならないとは、孔子も言っている通りである。
また、幼児をだましたり、おどかしたり、相手が恥ずかしがる言葉を言ったりして、面白がることがあるが、そんなことをされるのが大人だったら、相手が本気でそういうことをしたり言ったりしているとは思わないから、平気かも知れないが、幼な心には、身にしみて恐ろしく、恥かしく、ひどいと思う気持ちが、まことに切実だろう。
子どもを悩まして面白がることは、慈悲の心ではない。 しかし、よく考えてみれば、大の大人が、喜怒哀楽を感じるのも、皆、迷いの心から生じた虚妄であるが、それらの虚妄をこの世に実在することだと錯覚してしまう。
だから、肉体を傷つけるよりも、心を傷つけることの方が、人間を損なうことは、より一層はなはだしいので、よくよく注意しなくてはならない。
病気になるのも、多くの場合、精神的なところから来るのである。
全くの外部から来る病気はむしろ少ない。
薬を飲んで、汗を出そうとしても、なかなか効果がないこともあるが、ひとたび、羞恥を感じ、恐ろしいことがあると、必ず冷や汗が吹き出るのは、心の働きであることを知る必要がある。
雲を衝(つ)くような高さの凌雲観に籠で吊(つ)るされたまま、掲げてある額に字を書かされた中国の書家が恐ろしさのために、あっという間に白髪頭になったという例も、あるではないか。「顔回は、志、人に労を施さじ、となり」「賤しき民の志をも奪ふべからず」共に、『論語』が典拠。
凌雲の額を書きて、白頭の人と成りし例 魏の明帝(205~239)が、能書家の韋誕(いたん)に、75メートルの高さの凌雲観(凌雲台)の額を書かせたが、韋誕は恐怖のあまり、白髪になってしまった。
評 「慈悲の心」という共通語によって、前の段と密接に繋がる。
あるいは、この二段は、一続きの段とすべきかも知れない。
ただし、ここが徒然草の魅力なのだが、この段の後半の眼目は、慈悲の心から離れて、心身論ともいうべき、新たな論が展開されている点にある。
人間にとって、心というものがどれほど大きな役割を果たしているかが、医学的・心理学的とさえ言える精緻さで、記述されている。
だからこそ、この次に書かれる内容も、人間心理の機微を深く衝く考察となる。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
転記する順番を変えています。◆謎文字の歌――延政門院(えんせいもんゐん)いときなく (第62段)
延政門院(悦子内親王<えつこないしんのう>)がまだ幼かったころ、お父さまの御嵯峨法皇(ごさがほうおう)の御所へ行く人に、お父さまへの伝言として差し上げた歌、
二つ文字(こ) 牛の角文字(ひ) すぐな文字(し) ゆがみ文字(く)とぞ 君はおぼゆる
(お父さまのことをとても恋しく思いますの意)
このかわいらしい謎歌(なぞうた)の意味は、父の法皇を恋しく思うということである。
(『徒然草 ビギナーズ・クラシックス』 角川書店編 平成14年)❖ 延政門院(えんせいもゐん)いときなくおはしましける時、院(ゐん)へ参(まゐ)る人に御言伝(おんことづて)とて申(もう)させ給(たま)ひける御歌(おんうた)、
二つ文字 牛の角文字 すぐな文字 ゆがみ文字とぞ 君はおぼゆる
恋(こひ)しく思ひ参(まゐ)らせ給(たま)ふとなり。* 悦子内親王が十歳前後の時の歌だろうといわれる。
父恋しの、かわいらしい歌だが、暗号めいた謎歌になっている。
もっとも、封書にして人に託する場合は、万一、開封されても意味不明であるように、暗号化するのが常識であった。
とくに、恋愛関係にある男女は、仲を感づかれないように、二人しか知らない秘密の合言葉を交換した。
ちなみに、この延政門院に仕えた一条という女房と、兼好は歌のやりとりをしている。
本段のエピソードは、彼女から伝え聞いた話であろう。
(『徒然草 ビギナーズ・クラシックス』 角川書店編 平成14年)