朝早くからクマゼミの元気な声が聞こえる。
公園に着くとさらに耳鳴りのように聞こえる
頭の上から降ってくるみたい、蝉しぐれなんて言葉があるけど…
ほぼ無風なので気温以上に蒸し暑かったです(^^;〝新型コロナ 都の専門家「1週間後には経験のない爆発的な感染」〟(NHK7月14日)
予想が外れてほしかったけど
「東京都 新型コロナ 4人死亡 2万401人感染(20日)」(NHK首都圏)
「新型コロナ 大阪初の感染者2万人超」(関西NHK)
昨日、循環器科の受診で病院に行くと、
朝早くから病院玄関で問診カードに記入している人たちがいました。
「新型コロナ感染急拡大 小児科も検査など対応に追われる 大阪」(関西NHK)「政府 若い世代へワクチン接種働きかけ 大規模接種の延長検討も」(NHK)
若い世代にワクチン接種を働きかけるそうですが、接種後の副反応や死亡例があります。
死亡してもワクチン接種との因果関係を認定されないケースがほとんど
「99%は因果関係不明?」(NHK 2021年9月22日)
ワクチン接種はなんらかのリスクがあり、人それぞれに副反応は違います。
インフルエンザワクチン接種後に亡くなった方もおられます。
「Q.34: インフルエンザワクチンの接種後の死亡例はありますか?」(厚生労働省)
死亡とワクチン接種の直接の明確な因果関係があるとされた症例は認められませんでした。
と判定されています。
このような国の対応の仕方では、若い人が接種を躊躇するのは無理ないと思います。
『世界 2022年8月号』に山岡淳一郎さんの
「ルポ 副反応 第1回――なぜ、息子は死んだのか」の連載が始まりました。
「99%は因果関係不明?」とも関連しています。
最後の一部を転記します( ..)φ
山岡淳一郎(ノンフィクション作家)
…前略…
因果関係の証明を自治体に求める国、孤立する家族
…前略…
東広島の岡本さんは実名を公表し、メディアで新型コロナワクチンの副反応の問題提起をしている。
ワクチン接種後、短時日で家族を失った遺族の思いを、こう代弁する。
「夫を亡くした若い奥さんにお目にかかりました。口惜しさでいっぱいでした。都会での生活に見切りをつけ、お子さんを連れて地方の実家に帰られた。久しぶりに連絡すると、もう関わらないでほしい、と拒否されました。どんなに泣いても、騒いでも夫は帰ってこない。もうそっとしてほしい、と。こうして何が起きたのかわからないまま、遺族は泣き寝入りするのです。ワクチン接種は社会防衛に必要だと思います。だからこそ、副反応問題をないがしろにしないでほしい」
(『世界 2022年8月号』岩波書店)
残された遺族は、因果関係不明のγ判定と、健康救済申請の遅滞という二つの壁に挟まれ、孤立を深めている。
救済制度は「迅速に幅広く」救うという原点に立ち返り、窓口の自治体が医学的判断抜きに申請を受け付けなくては少数被害者の切り捨てが進むばかりではないだろうか。
(『世界 2022年8月号』岩波書店) むのたけじさんの『老記者の伝言 日本で100年、生きてきて』を読んでいると
中学・高校時代、夏休みにごろごろしながら読んでいた作家のことが書かれていました。
すっかりはまってしまって、夏休み、ほとんど家を出なかったので
黒く日焼けすることがなく、勉強ばかりしていたと誤解されました。
本当は、中3で高校受験勉強をしないといけなかったのだけど
本を読んでは昼寝ばかりしていました(^^ゞ
映画化もされて、主題歌を歌っていたことを思い出しました。
石坂洋次郎はむのたけじさんの恩師なんだと知ってびっくりしました。
5年生は先生のあだ名を連呼して「引っ込め」って騒ぐ。
そうするとほとんどの先生はばつ悪そうに引き揚げた。
石坂先生は体も声も小さい。
夜に飛ぶ蚊(か)みたいなもので「夜蚊」というあだ名があった。
「石坂洋次郎、今はまだ昼だ、引っ込め」なんて、でも帰らず、逆に前の方に出てきた。
この気迫に押されて生徒たちはののしれなくなっていたな。
石坂先生は、多数の上級生が、一人の下級生を引きずり出すようなことをやってはいけないという気持ちを持っていた。
それを伝えるため、自分の全部をかけてああいう態度を取っていたと思う。
だから人気があった。
特に成績の悪い連中にな。
解放感を与えるんだ。
国語と作文を受け持っていて「死」という1字をテーマに作文を書け、といった授業をしていた。
「叔父に就職依頼をするときの手紙」なんてテーマもあった。
子どもたちにものを考えさせる授業です。
出てきたものに先生がまた自分の人生を重ねて語りかけるわけだ。
教師が本気になれば皆一生懸命聞くよ。
人生の先輩だもの。
今はものを覚えさせるだけでしょ。
マニュアルばかりで魂が入っていないもの。
それから教練という授業があった。映画化もされて、主題歌を歌っていたことを思い出しました。
石坂洋次郎はむのたけじさんの恩師なんだと知ってびっくりしました。
第3章 やるならトコトン、あきらめるのをあきらめろ
石坂洋次郎先生の気迫 2013年3月1日
私が秋田県の旧制横手中に通っていた1932(昭和7)年ごろ、後に『青い山脈』や『若い人』で大人気作家になった石坂洋次郎さんが先生でいたんだ。
体罰を許さない先生だったな。
旧制中は5年生で各学年は150人。
生徒会が主導する全校生を対象にした風紀検査が1週間に一度あった。
5年生が、4年生までの600人を体育館に集める。
そこで「お前たちの1週間はこうだった」と気合をかけるんです。
そして必ず「4年3組の高橋。この間、道を歩いているとき女学生に色目を使っただろう。当校の恥だ」と言って前に呼び出し、こづいたり蹴ったりするんだ。
(『老記者の伝言 日本で100年、生きてきて』むのたけじ著 朝日文庫 2022年)
その集会を先生が一人、様子に見に来るんです。石坂洋次郎先生の気迫 2013年3月1日
私が秋田県の旧制横手中に通っていた1932(昭和7)年ごろ、後に『青い山脈』や『若い人』で大人気作家になった石坂洋次郎さんが先生でいたんだ。
体罰を許さない先生だったな。
旧制中は5年生で各学年は150人。
生徒会が主導する全校生を対象にした風紀検査が1週間に一度あった。
5年生が、4年生までの600人を体育館に集める。
そこで「お前たちの1週間はこうだった」と気合をかけるんです。
そして必ず「4年3組の高橋。この間、道を歩いているとき女学生に色目を使っただろう。当校の恥だ」と言って前に呼び出し、こづいたり蹴ったりするんだ。
(『老記者の伝言 日本で100年、生きてきて』むのたけじ著 朝日文庫 2022年)
5年生は先生のあだ名を連呼して「引っ込め」って騒ぐ。
そうするとほとんどの先生はばつ悪そうに引き揚げた。
石坂先生は体も声も小さい。
夜に飛ぶ蚊(か)みたいなもので「夜蚊」というあだ名があった。
「石坂洋次郎、今はまだ昼だ、引っ込め」なんて、でも帰らず、逆に前の方に出てきた。
この気迫に押されて生徒たちはののしれなくなっていたな。
石坂先生は、多数の上級生が、一人の下級生を引きずり出すようなことをやってはいけないという気持ちを持っていた。
それを伝えるため、自分の全部をかけてああいう態度を取っていたと思う。
だから人気があった。
特に成績の悪い連中にな。
解放感を与えるんだ。
国語と作文を受け持っていて「死」という1字をテーマに作文を書け、といった授業をしていた。
「叔父に就職依頼をするときの手紙」なんてテーマもあった。
子どもたちにものを考えさせる授業です。
出てきたものに先生がまた自分の人生を重ねて語りかけるわけだ。
教師が本気になれば皆一生懸命聞くよ。
人生の先輩だもの。
今はものを覚えさせるだけでしょ。
マニュアルばかりで魂が入っていないもの。
軍人が365日在校して、週2回の訓練をやった。
秋田市の連隊で兵隊と一緒の訓練もした。
学校に射撃場造って、鉄砲を渡され弾も撃ちました。
全国高校野球で戦時中(当時は全国中等学校野球)は国が主催に入ってきて、「宮城遥拝(きゅうじょうようはい)」や「英霊(えいれい)への黙禱(もくとう)」などもしたでしょ。
国が教育に口を出すとこうなるんだ。
戦争に向けて、将来の軍隊に入ったときの下準備だったり、戦意発揚だったりに使われるんだ。
今の教育や教師は問題が多いと思いますよ。
でもそれに国や市町村が口を出すのはもっと問題だ。
青少年が国や市町村の財産として管理されちゃうもの。
教育委員会は絶対に独立していないとダメです。第5章 100年生きて、わかったこと
子にはもっと親を見せたかった 2010年11月22日
『青い山脈』を書いた石坂洋次郎という昭和初期の人気作家がいたでしょう。
彼は、出身地の青森県弘前市などで学校の先生をしながら小説を書いていた。
教育者なんです。
私は、秋田県横手市の旧制横手中で教えを受けた。
後に石坂さんに「おれの小説どう思う」と聞かれたことあるの。
「小説はわからないけれど、教育者としては立派でした」と答えた。
「なに、おれの小説は下手だということか」って笑ってたな。 どこが立派かというと、普通は先生が教室に入ってくると、生徒はみな緊張するでしょ。
ところが石坂さんが来ると気持ちが解放されちゃうの。
特に成績があまり良くない生徒たちが。
昔は「壁頭(かべあたま)」と言って成績のいいのが後ろの壁際にいて、悪いのほど前に座る。
壁頭以外はみんな、授業中に先生に当てられないよう下を向いていた。
しかし石坂先生のときは上を向く。
自由な空気があったんだな。 国語と作文の担当だったけど、英語のテストの見張りに来たことがあった。
答えを書けない生徒がいたら、窓を開けて、その生徒に聞こえるように答えを言っているのを聞いたことがある。
それは、成績の良しあしで人を差別する気は毛頭なかったということ。
子どもの良いところを見つけて伸ばそうと思ったのじゃない。
できるやつには「成績がちょっといいくらいで威張るな」と。
そこらへんが子どもたちに解放感を与えたんだ。
でも今の親だったら、そういう石坂先生を支持しないでしょうな。
自分の子どもさえ勉強できるようにしてもらえればいい、と思っている親が多いでしょうから。
「自分の子」という中には、子どもは自分の所有物だという思いが入っているな。
そして親が「子どものため」という時は、本当は自分のためということが多いな。
将来、面倒見てもらおうとか。
それが一番悪いな。
そこに気づかないと。 私は自分の子育てで、後悔していることがあるの。
もっと自分を見せておけばよかったと。
乙にすまして「子どもの自主性を尊重する」と言っていたけれど、それはおかしかったな。
親子だから、いい点、悪い点ばんばんぶつけあった方が、よかったんだなと思いますね。
そうしなかったのは、やはり自分の所有物だと思ったからだな。
一個の独立した人間と思わなければならなかったのに。
そうできるかどうか。
そこが本当の親であるか偽の親であるかの分かれ目でしょうな。
(『老記者の伝言 日本で100年、生きてきて』むのたけじ著 朝日文庫 2022年)昨日、修理に出していた父のデジカメが帰ってきました。
サイトの「修理品の照会・変更」に、「製品交換対応機種」とあったので???でしたが、
メモリカードがついていないだけで新品で帰ってきました(費用は2万円弱)。
購入したのが2020年でメーカー保証は1年で切れています。