2021年8月4日水曜日

雲がない…

公園で 「雲がないですね…」と挨拶を交わしていました。
遠くにちょっと雲が浮かんでいるけど、頭上は眩しい青空…

見上げるとフジの花が咲いている!

汗を流しながら歩いていたら
2回目の副反応にも耐えられるかなと思いながら歩いていました(^^;

近畿 各地で厳しい暑さ こまめに水分補給 熱中症に警戒を」(関西NHK)

台風9号発生 南シナ海 沖縄の南海上の熱帯低気圧も台風へ」(NHK)

台風9号の進路が気になる、2回目のワクチン接種に重なるのかな?
 中満泉さんのTwitterに

真面目に働き努力し将来を考える若者が、大学という学びの機会を諦めなくて良い社会であってほしい。
彼女にとっても大切なことだったろうし、社会にとっても地域に貢献する才能と熱意をさらに育てる機会なのに。


“卒業まではいたかったな…” 給付型奨学金制度にすくわれず」(NHK)
中満泉さんのTwitterに続けて

スウェーデン人の夫は高校1年の時父を亡くし母子家庭に。
でも大学の授業料は無料、生活費も貸与ですが補助があり、
夏休みに3ヶ月新聞社の印刷工(夜中勤務で給料が良かったそう)して無事卒業。
おまけに奨学金もらってソルボンヌとスタンフォードで修士も。
「心配しなくて良かった」から頑張れたと。

小学生から高校生まで3人の息子を抱えてシングルマザーになったスウェーデンの義母は、
高卒スキルなしの専業主婦から仕事を始めて、最後は結構大きな会社の社長秘書で定年。
その彼女の言葉「誰でも働いてちゃんと暮らしていけるようにするのは政府の責任。そんな政府を選挙で作るのは、私の責任」
金メダリストが編み物 観客席で、犬用セーター」(産経新聞)

トーマス・デーリーさんのInstagram
「…I was making another one at the pool yesterday…」
のコメントと共にセーターを着たワンちゃんがアップされています(4枚)。
(『鎮魂歌』「原子爆弾記念館」つづき)

 <ソフアの上での思考と回想>
 僕はここにゐる。僕はあちら側にゐない。
ここにゐる。ここにゐる。ここにゐる。ここにゐるのだ。
ここにゐるのが僕だ。
ああ、しかし、どうして、僕は僕にそれを叫ばねばならないのか。
今、僕の横はつてゐるソフアは少しづつ僕を慰め、僕にとつて、ふと安らかな思考のソフアとなつてくる。
僕はここにゐる。僕は向側にゐない。僕はここにゐる。
ああ、しかし、どうしてまだ僕はそれを叫びたくなるのか。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
  ……ふと、僕はK病院のソフアに横はつてガラス窓の向うに見える楓の若葉を見たときのことをおもひだす。
あのとき僕は病気だと云はれたら無一文の僕は自殺するよりほかに方法はなかつたのだが……。
あのとき僕は窓ガラスの向側の美しく戦く若葉のなかに、僕はゐたのではなかつたかしら。
その若葉のなかに死んだお前の目なざしや嘆きがまざまざと残つてゐるやうにおもへた。
……僕はもつとはつきりおもひだす。
ある日、お前が眺めてゐた庭の若竹の陽ざしのゆらぎや、僕が眺めてゐたお前のかほつきを……。
僕は僕の向側にもゐる。僕は僕の向側にもゐる。
お前は生きてゐた。
アパートの狭い一室で僕はお前の側にぼんやり坐つてゐた。
美しい五月の静かな昼だつた。
鏡があつた。お前の側には鏡があつた。
鏡に窓の外の若葉が少し映つてゐた。
僕は鏡に映つてゐる窓の外のほんの少しばかし見える青葉に、ふと、制し難い郷愁が湧いた。
「もつともつと青葉が一ぱい一ぱい見える世界に行つてみないか。今すぐ、今すぐに」お前は僕の突飛すぎる調子に微笑した。
が、もうお前もすぐキラキラした迸るばかりのものに誘はれてゐた。
軽い浮々したあふるるばかりのものが湧いた。
一人の人間に一つの調子が湧くとき、すぐもう一人の人間にその調子がひびいてゆくこと、僕がふと考へてゐるのはこのことなのだらうか。
  僕はもつとはつきり思ひ出せさうだ。
僕は僕の向側にゐる。
鏡があつた。
あれは僕が僕といふものに気づきだした最初のことかもしれなかつた。
僕は鏡のなかにゐた。
僕の顔は鏡のなかにあつた。
僕のなかには僕の後の若葉があつた。
ふと僕は鏡の奥のその奥にある空間に迷ひ込んでゆくやうな疼きをおぼえた。
あれは迷ひ子の郷愁なのだらうか。
僕は地上の迷ひ子だつたのだらうか。
さうだ、僕はもつとはつきり思ひ出せさうだ。
  僕は僕の向側にゐた。
子供の僕ははつきりと、それに気づいたのではなかつた。
が、子供の僕は、しかしやはり振り墜とされてゐる人間ではなかつたのだらうか。
安らかに、穏やかな、殆ど何の脅迫の光線も届かぬ場所に安置されてゐる僕がふとどうにもならぬ不安に駆りたたれてゐた。
そこから奈落はすぐ足もとにあつた。
無限の墜落感が……。
あんな子供のときから僕の核心にあつたもの、……僕がしきりと考へてゐるのはこのことだらうか。
僕はもつとはつきり思ひ出せさうだ。
 僕は僕の向側にゐる。
樹木があつた。
僕は樹木の側に立つて向側を眺めてゐた。
向側にも樹木があつた。
あれは僕が僕といふものの向側を眺めようとしだす最初の頃かもしれなかつた。
少年の僕は向側にある樹木の向側に幻の人間を見た。
今にも嵐になりさうな空の下を悲痛に叩きつけられた巨人が歩いてゐた。
その人の額には人類のすべての不幸、人間のすべての悲惨が刻みつけられてゐたが、その人はなほ昂然と歩いてゐた。
獅子の鬣(たてがみ)のやうに怒つた髪、鷲の眼のやうに鋭い目、その人は昂然と歩いてゐた。
少年の僕は幻の人間を仰ぎ見ては訴へてゐた。
僕は弱い、僕は弱い、僕は僕はこんなに弱いと。
さうだ、僕はもつとはつきり思ひ出さなかればならない。
僕は弱い、僕は弱い、僕は弱いといふ声がするやうだ。
今も僕のなかで、僕のなかで、その声が……。
自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
僕のなかでまた一つの声がきこえてくる。
 僕はソフアを立上る。
僕は歩きだす。
案内人は何処へ行つたのかもう姿が見えない。
僕はひとりで、陳列戸棚の前を茫然と歩いてゐる。
僕はもうこの記念館のなかの陳列戸棚を好奇心で覗き見る気は起らない。
僕の想像を絶したものが既に発明され此処に陳列してあるとしても、はたしてこれは僕の想像を絶したものであらうか。
そのものが既に発明されて此処に陳列してあること、陳列されてあること、陳列してあるといふこと、そのことだけが僕の想像を絶したことなのだ。
僕は憂欝になる。僕は悲惨になる。
自分で自分を処理できない狂気のやうに、それらは僕を苦しめる。
僕はひとり暗然と歩き廻つて、自分の独白にきき入る。
泉。泉。泉こそは……
 さうだ、泉こそはかすかに、かすかに救ひだつたのかもしれない。
重傷者の来て呑む泉。
つぎつぎに火傷者の来て呑む泉。
僕はあの泉あるため、あの凄惨な時間のなかにも、かすかな救ひがあつたのではないか。
泉。泉。泉こそは……。
その救ひの幻想はやがて僕に飢餓が迫つて来たとき、天上の泉に投影された。
僕はくらくらと目くるめきさうなとき、空の彼方にある、とはの泉のありかをおもつた。
泉。泉。泉こそは……。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…