昔は、9月と言えば秋を感じたのにと思いながら歩いていると
彼岸花の白花(シロバナマンジュシャゲ)が咲いていた。
同じくヒガンバナ科の黄色いショウキズイセンも咲いていた。
まだまだ熱中症に注意だけど秋を感じていました。
一方、のんびり咲いていた花も見つけましたが(^_-)
こころの時代~宗教・人生~「死者は沈黙の彼方に 作家・目取真俊」
番組の冒頭で目取真俊(めどるましゅん)さんが話していたのは
家の中に鳥が飛んできたり蝶々が飛んできたりする時は、
「まぶい(魂)」が鳥とか蝶々になって入ってきた。
自分の祖母が言ってたのは、
こういうふうに ひらひらひらひら蝶々が舞うように人間の魂が飛ぶ。
蝶々が飛んでいる姿は、人間の魂が飛んでるのと同じ姿だと
一緒にみていた父の話では、伯母の葬儀の時にも蝶が入ってきたそうです。
蝶をそーっと家の外に出して、お別れしたと話していました。
番組の最後、沖縄慰霊の日(6月23日)にやんばるの山に分け入って野戦病院の跡を訪ねていました。こころの時代~宗教・人生~「死者は沈黙の彼方に 作家・目取真俊」
番組の冒頭で目取真俊(めどるましゅん)さんが話していたのは
家の中に鳥が飛んできたり蝶々が飛んできたりする時は、
「まぶい(魂)」が鳥とか蝶々になって入ってきた。
自分の祖母が言ってたのは、
こういうふうに ひらひらひらひら蝶々が舞うように人間の魂が飛ぶ。
蝶々が飛んでいる姿は、人間の魂が飛んでるのと同じ姿だと
一緒にみていた父の話では、伯母の葬儀の時にも蝶が入ってきたそうです。
蝶をそーっと家の外に出して、お別れしたと話していました。
(撤退する際におよそ300人が置き去りにされたといわれています)
父が、知事が「野戦病院」を作ると話していたことに
「知事は、野戦病院がどんなものか知っていってるのか」と…
「本部町 八重岳の野戦病院壕」(「沖縄戦 戦跡と証言」NHK)
で、当時女学生で兵士を看護した方の話が聞けます。沖縄戦で野戦病院で働いた女学生について『沖縄戦の子どもたち』より一部転記しますφ(..)
戦場へ 兵士となった少年少女
女子看護学徒隊―中南部の戦場
看護学徒隊となった少女たちは、南風原(はえばる)陸軍病院や各野戦病院に配属された。
病院といっても山の斜面などを掘った人工壕か、もしくは鍾乳洞(ガマ)であり、北部では山中のなかに山小屋を設置したぐらいであった。
女子学徒たちの役割は、場所は違ってもほぼ同じで手術室でのランプ持ち、軍医の助手活動や包帯巻き、切断した手足や死体の片付け、排尿・排便・汚物の処理など、また医療衛生関係だけでなく飯上げ・水運びなど、ありとあらゆる作業が彼女たちに圧しかかった。
病院壕のなかは患者があふれだし、強烈な異臭を放っていたという。
他方、それでも病院壕は鉄の暴風をしのぐ場所でもあった。
第三二軍の南部への撤退とともに、彼女たちも病院壕を後に南部へと向かった。
(『沖縄戦の子どもたち』川満彰 吉川弘文館 2021年) 壕を転々とするなか、彼女たちは地獄絵をさまようことになる。
そして鉄血勤皇隊と同じく彼女たちも解散命令後、多くの命を落とした。
……(中略)……
<五月下旬>25日、沖縄陸軍病院に撤退命令がでた。
従軍していたひめゆり学徒隊の記述によると、「重症患者らが『自分たちも連れて行ってくれ』と騒ぎだしましたが、『重症患者は、後からトリックや担架で運ぶ』と言う衛生兵の言葉を信じ」
「重症患者を残して壕を出ました。撤退直前に、師範本科二年生の狩俣(かりまた)キヨは二度被弾し、壕内に残されその後死亡しました」
と振り返り、その後、残された患者らは青酸カリを飲まされていた。
ナゲーラ壕でも20~29日にかけ撤退が始まった。
分室の識名(しきな)病院壕でも南部への撤退が行われ、その際に壕内にいた重傷患者らはモルヒネやクレゾール液で処置されている。
……(後略)……
(『沖縄戦の子どもたち』川満彰 吉川弘文館 2021年)
『知らなかった、ぼくらの戦争』より原田要さんへのインタビューを一部転記しますφ(..)
原田要(はらだ・かなめ)
1916年、長野県生まれ。
横須賀海兵団に入隊、ゼロ戦パイロットとなる。
真珠湾攻撃では艦隊護衛任務に就き、その後もミッドウェー海戦などに参加。
教官として終戦を迎え、戦後は幼稚園を創立した。
2016年5月3日に永眠空母は何隻いたのか?
原田要
ミッドウェーで母艦が炎上
1942年6月5日未明、わたしは戦闘機隊小隊長として、機動部隊の上空直衛任務についた。
約2時間上空を哨戒(しょうかい)して、いったん着艦して朝食をとっていたら、戦闘ラッパが鳴った。
すぐに発艦すると、魚雷を搭載した敵の雷撃機の大群がやってきた。
そのとき、敵機25機をすべて撃墜、一発の魚雷も命中させなかった。
弾を撃ち尽くして、着艦するとすぐまた敵の第二波が押し寄せてきた。
わたしは即刻発艦したが、敵の急降下爆撃機の攻撃で、次々と航空母艦の赤城、華、がそして蒼龍も炎上してしまったんだ。
(『知らなかった、ぼくらの戦争』アーサー・ビナード編著 小学館 2017年) 唯一やられずに残っていた空母の飛龍をめざして、着艦しました。
でも、わたしの愛機は被弾しておって、使用不能と判定をくだされ、海に投棄されることに。
幸い、飛龍にはまだ使用可能なゼロ戦が一機あった。
それに乗ってっわたしはまた発艦したが、その直後、飛龍が被弾して火柱を上げるのが見えた。
とにもかくにも敵機を追って戦ったが、やはり被弾して、やがて燃料切れとなった。
そのころ、もう敵はいなくなっていた。 四隻の航空母艦はみんな燃えている。
おりられる場所なんかどこにもないから、最後は駆逐艦の巻雲(まきぐも)のそばに着水した。
折悪(おりあ)しく敵の偵察機もそこへ飛んできて、巻雲の水兵たちはそれを見上げて、きっと攻撃されるって恐れたのか、慌てて逃げていってしまった。 それから8時間、海に浮いていました。
体力が消耗して、もうダメだと思ったとき、最後は、おっかさんの顔が浮んできた。
みんな死ぬときは、母親を思い浮かべて死んでいくんですよ。
「おっかさん」と叫んだらもう助からないといわれていた。
わたしも覚悟を決め、最後に「おっかさーん」っていおうと思ったが、いざ「おっかさーん」と叫ぼうとすると、母親の姿がわたしの前からスーッと消えちゃうんだ。
何回もそんなことがあった。
そこへ巻雲が戻ってきて、ようやく引き上げてくれた。
船中は足の踏み場もなく、負傷兵がゴロゴロ寝ていた。 軍医は重傷者を放っておいて、わたしのところにすぐ来て聴診器を当てるんです。
「わたしは体がしびれてるだけだから、こんなわたしじゃなくて、『水! 水をくれ!』って苦しんでいる人のほうを早く診てやってくれ」と頼んだ。
すると軍医は、なんのためらいもなくこう答えた。
「きみ、これが戦争なんだ。ちゃんと使える人間を先に診て治療する。重傷を負ってもう使えなくなった者は、いちばん後回しだ。これが戦争の最前線の決まり」 兵士は結局、機関銃や大砲や戦闘機と同じなんだ。
使えなくなれば捨てられる。
わたしはそのとき、戦争を憎むひとりになった。
戦争で幸せになれる人はひとりとしていない。
(『知らなかった、ぼくらの戦争』アーサー・ビナード編著 小学館 2017年)今朝の父の一枚です(^_^)v
カエルなどがいないかと蓮池を見ると、
蓮の葉の間から蓮の花が咲いているのを見つけてビックリしていました。
今頃、咲いているのは初めて見ました。
今頃、咲いているのは初めて見ました。