2021年8月18日水曜日

いつまで降るんだろう…

朝起きた時、雨風ともにひどくて散歩に行けないかなと思ったけど
天気予報をみると少し雨が弱まるようだったので遅めに出かけました。
途中で、傘を閉じて歩けたけど…

近畿 局地的に激しい雨の見込み 土砂災害に厳重警戒」(関西NHK

前線停滞 大雨となった各地で災害の危険性 急激に高まるおそれ」(NHK)
大友良英さんのTwitterに

もう、本当に、ここまで人権を無視したことがまかり通っていいのだろうかと思う。
おかしいだろ、こんなの!


この怒りのツイトは安田菜津紀さんのTwitterへの反応です。

ウィシュマ・サンダマリさんに関わる医療関係・処遇関係の書類等を遺族代理人が求めるも、
「行政文書開示請求するように」と言われ、その通り開示請求をしたところ、
15万6760円の「開示実施手数料」の請求とともに、送られてきた1万5000以上の書類はほぼ黒塗り。
ビデオに続き、どこまで愚弄するのか。
逃亡したアフガン大統領に批判…「多額の現金持ち出し」、「無血開城」指示〟(読売新聞)

タリバン勢力拡大 背景にアフガニスタン軍などの汚職体質も」(NHK)

このような記事を読むと、なだれをうつようにタリバンがアフガニスタンを占拠したのがわかる。
豊かなアフガニスタンがソ連(現ロシア)、アメリカによって国土が荒廃してきたことを忘れてはいけない。
そして今度は、中国の動きが気になるのですが

「アフガニスタンを押さえれば“一帯一路”がキレイに繋がる」タリバンへの経済支援を約束した中国の戦略とアメリカの失敗〟(ABEMATimes)

タリバーンの復権、中国にとってはチャンスよりもリスク」(CNN)
など違った見方があるようです。

そして中村哲さんの仕事はどうなるのだろう…
中村哲さん アフガニスタンを照らす」(NHK 1月15日)
テレビに映った姿に首相の言葉がどれだけ国民に伝わっているんだろうと思った。
1月に書かれた記事ですがヤマザキマリさんが、

……
欧州のリーダーに必須だとされるのは、自分の言葉で民衆に響く演説ができるかどうかですが、
その点において素晴らしかったのが3月18日、ドイツのメルケル首相が国民に対し、
新型コロナウイルス対策への理解と協力を呼びかけたテレビ演説です。
テレビの前にいるであろう、一人ひとりの目を見据えているかのように、
彼女が落ち着いた面持ちで語ったその言葉は、感染が広がるなか、
未知のウイルスに対して不安を抱える人たちが求めていた「安心感」をまさに与えるものでした。
その訴求力たるや。
ドイツ国民ではない日本の人までもが絶賛し、全文を翻訳したものがSNSで拡散されたほどでした。
おそらくこの演説は、今回のパンデミックの一つの象徴的な事象として、後世にも語り継がれていくことでしょう。
虚勢や虚栄の甲冑かっちゅうを身に纏う権力者とは違い、
謙虚な親族のおばさんという体ていのメルケルが「あなた」という二人称を使って、国民に呼びかけたことは印象的でした。
「スーパーに毎日立っている皆さん、商品棚に補充してくれている皆さん」と、
パンデミック下でも人々の生活を支えて働く人々への感謝を述べていました。
この二人称は、古代ローマ時代からの「弁証」の技術において非常に大事なポイントです。
カメラを通していたとしても、「医療に携わってくれているあなた、本当にありがとう」と目線を合わせて言われれば、心に響かない人はいませんよね。
これが原稿の書かれた紙に目を置いたまま、自分の言葉ではない、表面的な表現を連ねて語られたのなら……。
聴いている人には何も届かないし、その心は癒やされもしません。
……
メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由〟(PRESIDENT Online 2021年1月3日
(『鎮魂歌』、「<更にもう一つの声が>」つづき)

 僕は街角の煙草屋で煙草を買ふ。
僕は突離された人間だ。
だが殆ど毎朝のやうにここで煙草を買ふ。
僕は煙草をポケツトに入れてロータリを渡る。
鋪道を歩いて行く。
鋪道にあふれる朝の鎮魂歌……。
僕がいつも行く外食食堂の前にはいつものやうに靴磨屋がゐる。
鋪道の細い空地には鶏を入れた箱、箱のなかで鶏が動いてゐる。
いつものやうに何もかもある。
電車が、自動車が、さまざまの音響が、屋根の上を横切る燕が、通行人が、商店が、いつものやうに何もかも存在する。
僕は還るところを失つた人間。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
だが僕の嘆きは透明になつてゐる。
何も彼も存在する。
僕でないものの存在が僕のなかに透明に映つてくる。
それは僕のなかを突抜けて向側へ翻つて行く。
向側へ、向側へ、無限の彼方へ……、流れてゆく。
なにもかも流れてゆく。
素直に静かに、流れてゆくことを気づかないで、いつもいつも流れてゆく。
僕のまはりにある無数の雑音、無数の物象、めまぐるしく、めまぐるしく、動きまはるものたち、それらは静かに、それらは素直に、無限のかなたで、ひびきあひ、結びつき、流れてゆくことを気づかないで、いつもいつも流れてゆく。
書店の飾窓の新刊書、カバンを提げた男、店頭に置かれてゐる鉢植の酸漿、……あらゆるものが無限のかなたで、ひびきあひ、結びつき、ひそかに、ひそかに、もつとも美しい、もつとも優しい囁きのやうに。
僕はいつも行く喫茶店に入り椅子に腰を下ろす。
いつもゐる少女は、いつものやうに僕が黙つてゐても珈琲を運んでくる。
僕は剝ぎとられた世界の人間。
だが、僕はゆつくり煙草を吸ひ珈琲を飲む。
僕のテーブルの上の花瓶に活けられてゐる白百合の花。
僕のまはりの世界は剝ぎとられてはゐない。
僕のまはりのテーブルの見知らぬ人たちの話声、店の片隅のレコードの音、僕が腰を下ろしてゐる椅子のすぐ後の扉を通過する往来の雑音。
自転車のベルの音。
剝ぎとられてゐない懐しい世界が音と形に充満してゐる。
それらは僕の方へ流れてくる。
僕を突抜けて向側へ移つてゆく。
透明な無限の速度で向側へ向側へ向側へ無限のかなたへ。
剝ぎとられてゐない世界は生活意欲に充満してゐる。
人間のいとなみ、日ごとのいとなみ、いとなみの存在、……それらは音と形に還元されていつも僕のなかを透明に横切る。
それらは無限の速度で、静かに素直に、無限のかなたで、ひびきあひ、むすびつき、流れてゆく、憧れのやうにもつとも激しい憧れのやうに、祈りのやうに、もともと切なる祈りのやうに。
 それから、交叉点にあふれる夕の鎮魂歌……。
僕はいつものやうに濠端を散歩して、静かに、かなしい物語を夢想してゐる。
静かな、かなしい物語は靴音のやうに僕を散歩させてゆく。
それから僕はいつものやうに雑音の交差点を出てゐる。
いつものやうに無数の人間がそはそは動き廻つてゐる。
いつものやうにそこには電車を待つ群衆が溢れてゐる。
彼等は帰つて行くのだ。
みんなそれぞれ帰つてゆくらしいのだ。
一つの物語を持つて。
一つ一つ何か懐しいものを持つて。
僕は還るところを失つた人間、剝ぎとられた世界の人間。
だが僕は彼等のために祈ることだつてできる。
僕は祈る。
(彼等の死が成長であることを。その愛が持続であることを。彼等が孤独ならぬことを。情欲が眩惑でなく、狂気であまり烈しからぬことを。バランスと夢に恵まれることを。神に見捨てらざることを。彼等の役人が穏かなることを。花に涙ぐむことを。彼等がよく笑ひあふ日を。戦争の絶滅を。)
彼等はみんな僕の眼の前を通り過ぎる。
彼等はみんな僕のなかを横切つてゆく。
四つ角の破れた立看板の紙が風にくるくる舞つてゐる。
それも横切つてゆく。
僕のなかを。
透明のなかを。
無限の速度で、憧れのやうに、祈りのやうに、静かに、素直に、無限のかなたで、ひびきあふため、結びつくため……。
 それから夜。僕のなかでなりひびく夜の歌。
 生の深みに、……僕は死の重みを背負ひながら生の深みに……。
死者よ、死者よ、僕をこの生の深みに沈め導いて行つてくれるのは、おんみたちの嘆きせゐだ。
日が日に積み重なり時間が時間と隔たつてゆき、遙かなるものは、もう、もの音もしないが、ああ、この生の深みより、あふぎ見る、空間の荘厳さ。
幻たちはゐる。
幻たちは幻たちは嘗て最もあざやかに僕を惹きつけた面影となつて僕の祈願にゐる。
父よ、あなたはゐる。
縁側の安楽椅子に。
母よ、あなたはゐる、庭さきの柘榴のほとりに。
姉よ、あなたはゐる、葡萄棚の下のしたたる朝露のもとに。
あんなに美しかつた束の間に嘗ての姿をとりもどすかのやうに、みんな初々しく。
 友よ、友よ、君たちはゐる、にこやかに新し書物を抱へながら、涼しい風の電車の吊革にぶらさがりながら、たのしさうに、そんなに爽やかな姿で。
 隣人よ、隣人よ、君たちはゐる、ゆきずりに僕を一瞬感動させた不動の姿で、そんなに悲しく。
 そして、妻よ、お前はゐる、殆ど僕の見わたすところに、最も近く最も遙かなところまで、最も切なる祈りのやうに。
 死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは……ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。
  僕は堪へよ、静けさに堪へよ。
幻に堪へよ。
生の深みに堪へよ。
堪へて堪へて堪へてゆくことに堪へよ。
一つ嘆きに堪へよ。
無数の嘆きに堪へよ。
嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。
還るところを失つた僕をつらぬけ。
突き離された世界の僕をつらぬけ。
 明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀るだらう。
地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。
明日、僕は感動をもつてそこを通りすぎるだらう。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

おわり…