2021年8月16日月曜日

大雨が続いているので…

目が覚めてベッドで腰痛体操(予防)をしていたら一瞬グラッと揺れました。
父は立っていて気がつかなかった…(大阪は震度1か2?)
テレビをつけて速報をみると津波の心配はありませんとあったのだけど
大雨が続いているのでちょっとした地震で山の津波(土砂崩れ、土石流など)が起きるかもしれない。

揖斐川町で震度4を観測」(NHK岐阜)

滋賀県で震度3(05:03)」(関西NHK)

『山津波』対策が課題」(JNN 2018年10月8日)
アフガニスタン反政府武装勢力 タリバン勝利宣言 大統領は出国」(NHK)

アフガニスタンの動きを見ていてベトナム戦争末期のことを思い出していました。
現地で活動している「ペシャワール会」の人たちはどうしているのだろうか。

NHK特派員報告 サイゴン陥落の記録」(NHKアーカイブス 1964年~1978年)
 「東京都 保健所の業務ひっ迫で濃厚接触者などの調査を縮小」(首都圏NHK 8月14日)

感染拡大が止まらない状況。
東京都は、新型コロナというウイルスの勢いに手を挙げている…

もりまゆみさんのTwitterに

PCR検査抑制のせいだろうが、実際に知っている人で初めて感染者が出た。
思った通り自宅放置。
40度の熱が5日間続き、入院したいと保健所にいったら「中等症以上でないと入院できない」中等症以上ってどんなんですか。
「意識を失うくらい」。
意識失ったら119へも連絡できないだろうに。
  鎮魂歌

  <更にもう一つの声がゆるやかに

 ……わたしはたつた一人生き残つてアフリカの海岸にたどりついた。
わたしひとりが人類の最後の生き残りかとおもふと、わたしの軀はぶるぶると震へ、わたしの吐く息の一つ一つがわたしに別れを告げてゐるのがわかる。
わたしの視てゐる刹那刹那がすべてのものの終末かとおもふと、わたしは気が遠くなつてゆく。
なにものももうわたしで終り、なにものももうわたしから始らないのかとおもふと、わたしのなかにすべての慟哭がむらがつてくる。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
わたしの視てゐる碧い碧い波……あんなに碧い波も、ああ、昔、昔、……人間が視ては何かを感じ何かを考へ何かを描いてゐたのだらうに、……その碧い碧い波ももうわたしの……わたし以前のしのびなきにすぎない。
死・愛・孤独・夢……さうした抽象観念ももはやわたしにとつて何にならう。
わたしの吐く息の一つ一つにすべての記憶はこぼれ墜ち、記号はもはや貯へおくべき場を喪つてゆく。
ああ、生命(いのち)……生命……これが生命あるものの最後の足掻(あが)きなのだらうか。
ああ、生命、生命、……人類の最後の一人が息をひきとるときがこんなに速くこんなに速くもやつてきたのかとおもふと、わたしのなかにすべての悔恨がふきあがつてくる。
なぜに人間は……なぜに人間は……なぜ人間は……ああ、しかし、もうなにもかもとりかへしのつかなくなつてしまつたことなのだ。
わたしひとりではもはやどうにもならない。
わたしひとりではもはやどうしやうもない。
わたしはわたしの吐く息の一つ一つにはつきりとわたしを刻みつけ、まだわたしの生きてゐることをたしかめてゐるのだらうか。
わたしはわたしの吐く息の一つ一つに吸ひ込まれ、わたしの無くなつてゆくことをはつきりとあきらめてゐるのだらうか。
ああ、しかし、もうどちらにしても同じことのやうだ。
  <更にもう一つの声が

 ……わたしはあのとき殺されかかつたのだが、ふと奇蹟的に助かつて、ふとリズムを発見したやうな気がした。
リズムはわたしのなかから湧きだすと、わたしの外にあるものがすべてリズムに化してゆくので、わたしは一秒ごとに熱狂しながら、一秒ごとに冷却してゆくやうな装置になつた。
わたしは地上に落ちてゐたヴアイオリンを拾ひあげると、それを弾きながら歩いてみたが、わたしの霊感は緊張しながら遅緩し、痙攣しながら流動し、どこへどう伸びてゆくのかわからなくなる。
わたしの詩のことも考へてみる。
わたしにとつて詩は、(詩はわななく指で みだれ みだれ 細い文字の こころのうづき)だが、わたしにとつて詩は、(詩は情緒のなかへ崩れ墜ちることではない、きびしい稜角をよぢのぼらうとする意志だ)わたしは人波のなかをはてしなくはてしなくさまよつてゐるやうだ。わたしが発見したとおもつのは衝動だつたのかしら、わたしをさまよはせてゐるのは痙攣なのだらうか。まだわたしは原始時代の無数の痕跡のなかで迷ひ歩いてゐるやうだつた。
  <更にもう一つの声が

 ……わたしはあのとき死んでしまつたが、ふとどうしたはずみか、また地上によびもどされてゐるやうだ。
あれから長い長い年月が流れたかとおもふと、青い青い風の外套、白い白い雨の靴……。
帽子? 帽子はわたしには似合はなかつた。
生き残つた人間はまたぞろぞろ歩いてゐた。
長い長い年月が流れたかとおもつたのに。
街の鈴懸は夏らしく輝き、人の装ひはいぢらしくなつてゐた。
ある日、突然、わたしの歩いてゐる街角でパチンと音と光が炸裂した。
雷鳴なのだ。
忽ち雨と風がアスフアルトの上をザザザと走りまはつた。
走り狂ふ白い烈しい雨脚を美しいなとおもつてわたしはみとれた。
みとれてゐるうちに泣きたくなるほど烈しいものを感じだした。
あのなかにこそ、あのなかにこそ、とわたしはあのなかに飛込んでしまひたかつた。
だが、わたしは雨やどりのため、時計店のなかに這入つて行つた。
ガラスの筒のなかに奇妙な置時計があつた。
時計の上にくつついてゐる小さな鳥の玩具が一秒毎に向を変へて動いてゐる。
わたしはその鳥をぼんやり眺めてゐると、ふと、望みにやぶれた青年のことがおもひうかんだ。
人の世の望みに破れて、かうして、くるくると動く小鳥の玩具をひとりぼんやり眺めてゐる青年のことが……。
だが、わたしはどうしてそんなことを考へてゐるのか。
わたしも望みに破れた人間らしい。
わたしには息子はない、妻もない。
わたしは白髪の老教師なのだが。
もしわたしに息子があるとすれば、それは沙漠に生き残つてゐる一匹の蜥蜴らしい。
わたしはその息子のために、あの置時計を購つてやりたかつた。
息子がそいつをパタンと地上に叩きつける姿が見たかつたのだ。
 ………………………
 声はつぎつぎに僕に話しかける。
雑沓のなかから、群衆のなかから、頭のなかから、僕のなかから。
どの声もどの声も僕のまはりを歩きまはる。
どの声もどの声も救ひはないのか。
救ひはないのかと繰返してゐる。
その声は低くゆるく群盲のやうに僕を押してくる。
押してくる。押してくる。
さうだ、僕は何年間押されとほしてゐるのか。
僕は僕をもつとはつきりたしかめたい。
しかし、僕はもう僕を何度も何度もたしかめたはずだ。
今の今、僕のなかには何があるのか。
救ひか?
救ひはないのか救ひはないのかと僕は僕に回転してゐるのか。
回転して押されてゐるのか。
それが僕の救ひか。
違ふ。
絶対に違ふ。
僕は僕にきつぱりと今云ふ。
僕は僕に飛びついても云ふ。
 ……救ひはない。
  僕は突離された人間だ。
還るところを失つた人間だ。
突離された人間に救ひはない。
還るところを失つた人間に救ひはない。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v

東屋で休憩していると高齢の男性が、マスクをせずに父のそばによってきて時間などを聞きました。
どうも話し相手がほしかったようなのですが…
昨日、いとこの娘さんの職場でクラスターが発生したと聞いたばかり…
その男性はワクチンを2回接種したかもしれませんが、
見知らぬ人に話しかけるならマスクをするなり、距離を置いて声をかけるのがマナーです。
大阪の感染者が再び爆発的に増えている。

尾身会長「感染力高まり あまり報告なかった場所でも感染」〟(NHK 8月10日) 
 Eテレ0655「たなくじ」
今週は「テイクアウト 大吉 持ち帰って食べると吉
前は、父と妹(たまに姪も)と一緒に外食していましたが、感染者が増えたので行けていません。
よく行っていたお店でテイクアウトを利用しています(^_^)v