2020年11月3日火曜日

文化の日

曇り空から、次第に雲が少なくなり青空が広がっていました。
久しぶりに出会ったご夫婦に「嫌われ者にならないといけませんね」と声をかけると
ほんまや!コロナに好かれたあかんよ!」と返事が返ってきました(*´▽`*)

今日は「文化の日」で、「日本国憲法公布の日」(昭和21年11月3日)。
父からすると「明治節」。
明治節で検索するとつぎのようなニュース映像を見ることができました。

神苑に展く 国民練成大会」(NHKアーカイブス 1942年)

大東亜文学者大会」(NHKアーカイブス 1942年)

そして、「1103」の語呂合わせで…
なかのとおるさんのTwitterで初めて知った(*´▽`*)

そうか。今日は「いいおっさんの日」か。がんばろ

ぼくも「おっさん」なのでp(^^)q
毎日新聞の記事
若手を任命拒否した理由「若手が十分いない」 支離滅裂で混迷深めた菅首相の答弁

朝日新聞にも
棒読み、質疑やり直しも…苦しい予算委デビューの菅首相

内閣官房長官の時に記者会見で望月衣塑子さんの質問を無視してきた理由がよくわかる。
無視というよりも答える能力がないのを司会者や他の記者たちが守っていたのだろうか?

同じ内閣官房長官から総理大臣になった小渕恵三さんと大違いだなと思う。
小渕さんも元号の発表をされた。
昭和から平成へ」(NHKアーカイブス 1989年)

そう言えば小渕首相も大蔵大臣に元首相の宮沢喜一さんを任命した。
今の財務大臣も元首相だけど…
小渕政権発足 大蔵大臣に宮沢元首相」(NHKアーカイブス 1998年)

母は、小渕さんのファンだったなぁ(*´▽`*)
11月3日
 湯川秀樹のノーベル賞受賞が発表された。 1949(昭和24)年

 この日、日本人ではじめてのノーベル賞受賞が発表された。
当時コロンビア大学にいた湯川秀樹(ゆかわひでき)は知らせを聞いて、「私のノーベル賞受賞が日本人の自信回復に役立つならうれしい」とのべた。
受賞の対象となったのは、1934年に発表し、その後発展させた中間子理論である。
それまで陽子(ようし)と中性子(ちゅうせいし)だけからなると考えられていた原子核(げんしかく)のなかに、中間子の存在することを理論的に予言したのだ。
1937年にアンダーソンによって宇宙線のなかから中間子が発見され、湯川理論の正しさは証明された。
湯川とならぶ理論物理学者の朝永振一郎(ともながしんいちろう)も1965年にノーベル賞を受賞した。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
湯川博士にノーベル賞」(NHKアーカイブス 1949年)

朝永博士 ノーベル物理学賞」(NHKアーカイブス 1965年)

湯川秀樹さんのことを紹介するのに何かいい本はないかなぁと探したのですが
ブログの記事にするには数式などがあって適当な本が見つからなかった。
図書室で借りた『詩人の科学論 湯川秀樹の創造とゲージ場の地平』に『宇宙と人間 七つのなぞ』の書評が載っていて読みたくなりました。
その書評を転記しますφ(..)
(いずれも絶版になっているようです?)
書評
 科学に対する姿勢の美しさ
 『宇宙と人間 七つのなぞ』湯川秀樹著 筑摩書房


 いったい大家が教科書を書いたり、ましてや子供むけの本を書いたりすることに日本の大家はあまり食指を動かさない。
また、大家が書いたとしても、人にすすめたくなるような子供むけの本も実のところあまりない。
(『詩人の科学論 湯川秀樹の創造とゲージ場の地平』高内壮介 現代数学社 1987年)
 人によっては、うすよごれた権威主義か、ありがたや式の事大主義にすぎないと思っている人さえいる。
それにもかかわらず、僕は、真に大家に値する人が、そうしたものを書いてくれることを望む。
 なぜ?
 まず第一にやさしい。
 妙にペダンチック( pedantic )なきざっぽさがない。
 第二に、現在どこに問題点をもっているかを専門家の面子(めんつ)をくずさずに説明できることは、大家でも、大家でない人も同じだが、問題を解釈し、さらに問題にたちむかう姿勢ということになると、大家と大家でない人の差は歴然としてくる。
若いころ、何かの本に感動した経験というものは、すべて、この問題にたちむかう気迫とその人の科学に対している姿勢の美しさだったということがあとでわかることがある。
大家でない人には、この姿勢が感ぜられないことが多い。
学問の根源的なイメージ

 そういう意味では、まことに人を得たすぐれた本というべきである。
とくに湯川博士の場合は、専門の素粒子論以外に分野にも、常に意欲的に興味をもちつづけておられるからである。
本書の題にしてからが、「宇宙と人間 七つのなぞ」というふうに、とくに人間を強調されているところに、今までの「七つのなぞ」ふうの通俗本とちがった現代的なフレッシュさがある。
すなわち、七つのなぞとして博士は、「宇宙のなぞ」、「素粒子のなぞ」、「生命のなぞ」、「ことばのなぞ」、「数と図形のなぞ」、「知覚のなぞ」、「感情のなぞ」の七つをあげ、原子の奥にあるものとして素粒子をあげ、素粒子の奥にあるものこそ現代のなぞの一つだと述べられ、さらに宇宙のなぞに対しては、アインシュタインの一般相対性理論をあげながらも、奇妙な天体の発見にともなう宇宙はいまだになぞだとされている。
 そして博士は、進化やDNAの構造にふれられ、生命の問題を契機として、言葉がなぜできたかとか、記憶というものの不可思議さをとりあげられながら、感情といものの謎にふれられる。
一方、数の世界や、無限集合の問題や、非ユークリッド幾何の世界を説明する。
 そして、やはり、僕らが、この書を子供にすすめられるのは、随所にちりばめられた博士の姿勢の美しさにあるといってもよいであろう。
たとえば、「論より証拠」という通俗的格言に対し、博士は、はっきりと、「学問の発展、真理の発見には<論>も必要なわけです」とのべられ、さらに、その<論>をつくるためには、数学にかぎらず、もともと、ノンフィクションであるはずの物理学にも、二十世紀になるとフィクションがないとはいえなくなった」学問に必要な、根源的なイメージのありかにふれられる。
最後に、人間のもっているこのようなイメージのメカニズムそのものが、謎であるいわれる。
東洋と西洋のとらえ方

 また、そういう二十世紀的人間の姿勢から生れた科学の内容そのもに、科学の源流であるギリシャ思想とはちがったものがかもしだされつつあるという。
たとえば、数学に関して、「ゼロ」の発見の中で、博士は、
 「<あるものはあり、ないものはない>という思想(ギリシャ思想のこと。筆者註)だとゼロという数もないわけで、そんなものを数字として持ちこむことはできない。これは東洋思想と比較した場合、ひじょうに違う点の一つではないかと思います。東洋ですと、中国であろうと、インドであろうと、無とか、虚無とか、空とかいう概念が早くからあった。そして、それがいかに東洋的であるかを現代の私たちも知っている。……ギリシャ思想の伝統を受けついだ西洋人には、それを受け入れるのが、意外なほどむつかしかったわけです」
と述べておられる。
 また、「自然界を理解しようとする時、東洋ではどちらかといえば<生あるもの>を出発点としますが、西洋では無生物――物質の存在を前提としております」といいながら、その物質観すらがギリシア的存在論から、素粒子の生成消滅転換にかかわる諸行無常思想に近いともいわれる。
 普通、ここには、東洋は自然から、西洋は人間から出発するという公式的理解とは反対なものが述べられていて興味深い。
 こうした子供むけのものが、それぞれの分野の大家によって書かれることが、日本においては、より望ましいのである。

 ゆかわ・ひでき 1907年生まれ、京都大学名誉教授。著書『素粒子』ほか。
(「朝日ジャーナル」朝日新聞社 1974―10)
(『詩人の科学論 湯川秀樹の創造とゲージ場の地平』高内壮介 現代数学社 1987年)
今朝の父の一枚です(^^)v
母が散歩で出会うのを楽しみにしていたハクセキレイ
青空を見上げて何を思っているのかな?