2020年11月20日金曜日

天気の変化が…

午前中は、雨が降って風もわりと強かったので午後からやってきました。
青空が見えたからこのまま晴れると思ったのだけど
空が急に暗くなり雨が降ってきたり
でも、別の方角を見ると青空が見えた…
柳美里さんのTwitter

Tokyo Ueno Station(JR上野駅公園口)tr. Morgan Giles』全米図書賞の受賞スピーチです。

受賞スピーチの画像

続いて柳美里さんのTwitter

福島県南相馬市小高区の本屋フルハウスには、開店と同時に、地元の方が、お祝いのお酒やお花を持って駆けつけてくださっています。
「震災後、悲しくづれえごどばっかりだったげんちょ、昨日は、うれしくて泣いだ」
との言葉をいただき、胸がいっぱいになりました。
小説を書いていて、よかった。

そして、Agnes Chow 周庭さん


大学を卒業しました。
つらい5年間でしたが、たくさんの人に支えていただいて、香港バプテスト大学の政治と国際関係学部を卒業することができました。
これからもよろしくお願いします。


アグネスさんの卒業写真
11月20日
 遠江(とおとうみ)国浜名郡輸租帳(ゆそちょう)がつくられた。 740(天平12)年

 奈良の正倉院に今日も残されている古文書(こもんじょ)のひとつ、「遠江国浜名郡輸租帳」は、郡司(ぐんじ)の手によって、この日作成された。
 輸租帳は、律令制度のもとで毎年の田租の収納状況を書き上げて中央政府に送る帳簿である。
まず郷別にまとめ、それを郡別に合せて郡帳をつくった。
また郡帳をまとめて国帳をつくるのである。
この浜名郡の輸租帳を見ると、各戸が租を納めた口分田(くぶんでん)の面積は意外に少ない。
この輸租帳のできる17年前に三世一身(さんぜいっしん)の法(ほう)が出されているが、おそらく当時、口分田の荒廃が進んでいたのであろう。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
第3章 壬申の乱と律令国家の成立
 文字の普及


 律令国家では、行政の命令や報告は文書によって行うことを原則とし、律令には各種の公文書の書式とその発行・授受の手続きなどが詳しく規定されている。
そして大宝律令(たいほうりつりょう)の施行とともに、公文書に押す各官司の印が配布され、数年後には、文書行政のシステムが動きはじめる。
やがて天平時代には、中央から地方へ、地方から中央へ送られる文章が膨大な量に達する。
(『日本の歴史2 飛鳥・奈良時代』吉田孝 岩波ジュニア新書332 1999年)
 たとえば、733(天平5)年10月に、平城(へいぜい)京に向って出雲(いずも)国を出発した国司が持参した文書は、「四五巻六紙」(紙を長くつないで軸に巻いたものが1巻)にものぼり、その二ヵ月前の8月に出発した国司は、税の徴収に関係の深い「大帳(だいちょう)」2巻とその付属文書「十八巻三紙」を持参している。
 納税者と非納税者の集計とその内訳を示した「大帳」2巻をはじめ、脱税者を摘発した「括出(かっしゅつ)帳」1巻、逃亡してから6年経った者を記した「逃亡満六年帳」1巻、奴婢(ぬひ)の所有者の変更を記した「割付(かっぷ)奴婢帳」1巻、親の喪(も)に服している者の徭役(ようえき)を免除する「遭服人(そうふくじん)帳」1巻、高齢者のいる家族と身体障害者に対して税を軽減する「高年及残疾(ざんしつ)以上帳」1巻など税の徴収についての驚くべき詳細な報告書が、作成・上申されている。
他の分野についても、たとえば「干菜(ほしな)帳」「鶏(にわとり)帳」「種馬(たねうま)帳」など興味深い文書がたくさん作られている。
 文書は紙だけでなく、木の札(木簡<もっかん>)にも書かれ、紙と木が併用された。
木簡には、召喚(しょうかん)文、宿直(しゅくちょく)札、食料など物資の請求文書など、人と物の移動に関するものが多い。
また物資の出納(すいとう)に関する覚書(おぼえがき<メモ>)もあり、それらの木簡を整理して紙の文書が作成された例をある。
木簡は物資の付札(つけふだ<荷札>)としては、雨や風に弱い紙文書よりも適しており、調庸(ちょうよう)や贄(にえ<朝廷への海産物>)の付札として大量に作られた。
 使用済みとなった木簡は破棄されたが、木簡は水に強く、低湿地では腐らないので、藤原京や平城京をはじめ、全国の各地(主に官衙<かんが>遺跡)から大量の木簡が出土している。
なかでも第5章で話題とする長屋王(ながやおう)邸宅の跡からは、数万点の木簡が出土し、長屋王やその家族の日常生活を生々しく伝えている。
 紙が高価で貴重な古代には、木の板に習字した例も多い。
木は削れば何度でも字を書ける。
習字した削り屑(くず)も、たくさん出土している。
 ロンドンの大英図書館には、中国の敦煌(とんこう)の子供が毎日、『千字文(せんじもん)』(文字の教科書)を数字ずつ手習いし、その終わりに先生の褒(ほ)め言葉を記した興味深い紙文書が保管されているが、日本の役人の子供たちは、木の板で字を習ったことだろう。
 日本の古代国家が、文書行政のシステムをとる律令国家として成立したことは、日本の社会に文字が普及していく重要な契機(けいき)となった。
人類の歴史のなかで、文字の出現は、社会の成員の意識を多様化し、個別化する機能をもつといわれる。
文字の普及は、この列島の社会のあり方を、どのように変えていったのであろうか。
(『日本の歴史2 飛鳥・奈良時代』吉田孝 岩波ジュニア新書332 1999年)
遠い古代国家の文書が残されていて、当時のことを知る手掛かりとなっています。
一方、現在の日本は、都合の悪い文章は隠蔽されたり、消去されるそうです。
以前、出版されたご著書も都合の悪い個所を削除するとバレるのに平気なのでしょう。

財務省、「赤木ファイル」提出に応じず 森友改ざん問題〟(朝日新聞 11月19日)

試算巡る公文書、財政局が廃棄 大阪市」(毎日新聞 11月20日)

中国政府となんらかわりませんね。