2022年12月9日金曜日

洗濯日和

お昼前の天気予報で気象予報士さんが、今日は「洗濯日和」と話していました(^^)v
歩いていても陽ざしがポカポカして気持ちよかったです。
 「●あとは陸海軍の番だ」つづき

 同じころ、モスクワ時間28日午前零時、クレムリンの地下参謀本部では、夜になると生き生きとしてくるソ連軍最高司令官スターリンが、暗い顔で大地図テーブルの前を行ったり来たりしていました。
前線からはいぜんとして、モスクワ陥落近しを告げるような報告ばかりが送られてくるからです。
 ついに意を決したかれは、いまは前線のモスクワ守備軍総司令官になっているジューコフ元帥に電話をかけ、戦術的決定を下します、
「反対するものがあろうとかまわず、戦線東北端のドイツ軍に即刻二個旅団を投入し、犠牲をいとわずこれを撃退せよ」と。
(『世界史のなかの昭和史』半藤一利 平凡社ライブラリー905 2020年)
 しかし、スターリンもジューコフも知らなかったのですが、そのときドイツ軍の多くの師団では、40パーセント以上の将兵が足に凍傷を負って、動きもままならない状況にあったのです。
凍ったのは足ばかりではない。
カービン銃も機関銃も役に立たなかった。
戦車のエンジンも凍って容易にかからなくなっていました。
補給物資がとどかず飢えた兵士たちは、凍死した軍馬を食べはじめます。
ジューコフがのちに語っています。
 「ドイツ兵の捕虜を見たとき、将校も兵も全員がぴったり合う靴をはいていた。ドイツ参謀本部にたいする敬意がいっぺんにぐらついたものである」
 ソ連軍の将兵はひとまわり大きな靴を給与されている。
かれらは冬期にはその隙間にわらや新聞紙をつめて暖かくして、凍傷を防いでいたのです。
 ソ連軍も防戦につぐ防戦で疲労困憊していましたが、わずかに冬将軍の舌で戦う方法を知っていたゆえに、辛うじて持ちこたえている。
戦場全体が降雪ときびしい寒さに凍結してしまっていたのです。
 重慶では、28日朝の5時、蒋介石は早起きもなんら苦とせず、宋子文(そうしぶん)のアメリカからの電報を受けとり、すっかりご機嫌になっていました。
電報は、宋子文が面談したときのスターク作戦部長の言葉を伝えていたのです。
 「中国於此絶対無須顧慮、美方対日所提主要条件之一、即為日本須離脱軸心、此挙日本勢難弁到、恐日本切腹之時非遠矣」(中国は少しも心配することはない。米国は日本につきつけた条件の一つとして日独伊三国同盟からの離脱を要求した。日本はこれを受諾することはできないであろう。結果として日本は切腹〔自殺的戦争〕のときを遠からず迎えることになる)
 アメリカはやっぱり中国を見捨てなかった!
蒋介石にとっては、この事実は最高の老酒をのむよりも美味であったのです。
 その前日の27日、南雲(なぐも)機動部隊はきめられた航程を一路突き進んでいます――この日天候はよかったのですが、波濤のうねりは大きかった。
気温4.5度、針路100度、速力12ノット、戦艦霧島は開距離3万メートルで砲戦訓練を行います。
駆逐艦霞(かすみ)の艦上から水兵1名が海中に転落し、そのまま波にのまれて行方不明となる。
艦隊は事故を見捨てて進む。
あとは異常なし。
この日まで、すでに267海里を航行し、ハワイは刻々と近づいているのです。
 そして12月1日、16年になって4回目の御前会議がひらかれました。
それはまさに儀式そのものといってよいものでした。
それでも長々と『昭和天皇実録』は記録にとどめています。
 「まず首相より、十一月五日の御前会議以降、対米国交調整の成立に努力したが、米国が我が軍の支那よりの無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の死文化等を要求したため、我が国は自存自衛上、米英蘭各国に対して開戦の已むなきに立ち至りし次第を述べた後、本日の議題『対米英蘭開戦ノ件』につき審議を願う旨の表明する。
(中略)
枢密院議長より、我が国は対米交渉において譲歩によって平和維持を希望したが、米国は蒋介石の主張を代弁し、従来主張の理想論を述べ、その態度は唯我独尊にして甚だ遺憾であり、我が国として仮にこれを甘受すれば日清・日露戦役以来の成果を失い、満州事変以来の結果をも放棄することとなるため、到底忍びがたいこと、特に四年以上の支那事変を克服してきた国民にこれ以上の苦難を与えることは忍びないが、我が国の存立を脅かされ、明治天皇の御事跡をも全く失うことになっては、これ以上手を尽くしても無駄であるため、先の御前会議決定のとおり開戦も已むを得ないと考えること、なお今回は長期戦となることは已むを得ないが、その場合には勝利を得つつ民心の安定を図るべきこと、なるべく早期に戦争を終結することを考えておく必要があること等を述べる。
(中略)
最後に首相は、今や皇国は隆替の関頭に立っており、開戦と決定すれば、一同共に政戦一致施策を周密にし、挙国一体必勝を確信し、全力を傾倒して速やかに戦争目的を完遂し、誓って聖慮を安んじて奉らんことを期すと述べ、会議の終了を宣言する。午後三時四十五分、天皇は入御される」
 木戸内大臣は天皇から御前会議の様子を聞いて、「運命というほかはない」といったといいます。
 翌二日、山本連合艦隊司令長官は全軍に命令を発しました。
 「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」
 開戦は12月8日と決したのです。
(『世界史のなかの昭和史』半藤一利 平凡社ライブラリー905 2020年)

この後、「●モスクワ前面での大反攻」を読むと、12月5日にモスクワを防衛していたソ連軍が、新しい兵力を加えて、突如大反撃に転じました。
アメリカとイギリスの援助があったのです。
今のロシアとドイツ軍、ウクライナとソ連軍が重なっていると思える。
そしてレニングラードのソ連人民と、ウクライナの国民が同じような状況に置かれているような…
プーチンの生い立ち」(名越健郎 文春オンライン)
今朝の父の一枚です(^^)/

 シジュウカラ(四十雀)

 シジュウカラの「シジュウ」の語源は、鳴き声によるというのが定説。
ただし囀りではなく、地鳴きに由来する。
 この鳥の地鳴きには、いろいろな鳴き声があるが、その鳴き声に含まれている「ジュ」とか「ジュク」という声が語源であるという。
 漢字名は四十雀。
雀は主に小鳥を指す鳥の意。
昔は四十歳は初老、五十歳は老人である。
ゴジュウカラの淡い灰色のすっきりした羽衣(うい)は老人にふさわしい。
漢字名は五十雀。
 五十雀とあわせて考えると、四十雀の四十は、その鳴き声に合わせた単なる当て字であろうか。
…後略…
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』文:安部直哉、写真:叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)
午後から心臓リハビリ、病院への行き帰り、暑いくらいでした。

先日、NHKスペシャル「ワイルドファイア ~人類vs.森林火災~」を見たときに
その森林火災に凄まじさに圧倒されました。
今のところ、日本は雨が多いのでアメリカなどのような大規模な森林火災はないと思うのだけど…
番組の最後の方でユロック族のマーゴ・ロビンズさんたちが
5月、年に一度の行事「Family Burn(野焼き)」、
山火事シーズンの夏が来る前に一族総出で野焼きを行っていました。
Family Burnは、野焼きのやり方を子孫に伝える大切な機会。
山火事の燃料となる下草を燃やすのがねらい。
こうして自分たちの土地を野焼きで守ってきた。
しかし100年余り前、先住民でない人たちがやってくると
彼らは火を恐れたため野焼きをしようとした人たちは銃撃されました。
その後、野焼きは正式に法律で禁止され、人々は投獄されるようになった。
そのため伝統的な火の扱いを継続すべく野焼きは秘密裏に教えられ、
秘密裏に行われるようになった。
そして、伝統的な方法が今、森林火災の被害を減少させると見直されていました。

待ち時間に読んでいたのが
日本らしい自然と多様性 身近な環境から考える
この本の中に「3章 日本人は自然をどのように利用したか
で「1 焼畑から野焼きまで」が載っていました。
後日、紹介したいと思っています。