2022年12月3日土曜日

霜が降りていました

家を出るときに冷たい空気で息を吸うと鼻の中が痛くなるほど…
こういう時は、マスクがありがたいと思います。
風はなく青空が広がっていて霜も降りていました(初霜?)
今朝のNHK NEWS おはよう日本で紹介されていました。

ヨガウエアを日本の大手精密機器メーカーに勤める女性たちが企画して、インドの女性たちと共に作り上げていました。
インドの農村部では、今も男性優位の風潮が残る所も多く、外に働きに出る女性は多くないというのが現状。
その状況を変え、女性の地位向上につなげたいと、日本の女性たちが作った小さな工房。
インド東部ビハール州にある村に日本の企業が地元のNGOと共同で立ち上げたのです。
働くのは村の女性たち9人。

工房を作った背景には、農村部の女性たちが置かれている厳しい環境があります。
女性は結婚して、家で家族の世話をするものという考え方が根強く残り、
外に働きに出ることが許されないケースも珍しくありません。
そこで思いついたのが、女性たちが得意な裁縫を生かせる工房の設立でした
インド市場での販売も視野に、会社の新規事業とすることを目指して、3年前にプロジェクトがスタート。
新型コロナウイルスの影響もあり、今年になって、ようやく生産にこぎ着けました。

内海知子さんの思いは、
家から出て自分たちでも何かできると分かってくれたというのと日本だけではなく世界、
インド市場にもちゃんと出せるように、ちょっとでも収入の助けになれば


工房で働くリズワナさんたちの姿を見て、若い世代も影響を受けています。
18歳の女性は、自分も将来は外で働いたり、ビジネスを立ち上げたりしたいと、夢を膨らませています。
ここに来てから私は変わりました。
以前は、早く結婚させられて家族の世話をするのだろうと思っていましたが、何にでも挑戦できるんだと分かったんです。


Rangorie最新情報まとめ

内海知子さんのInstagram
意気さかんな女性たち」つづき

 ムハンマドが、メッカでイスラームをおこした7世紀のはじめころは、メッカの経済は最盛期をむかえていた。
その結果、利己主義的傾向が出現し、利潤追求が至上目的となった。
女性の生理的条件、妊娠、出産、授乳は、ハンディキャップとみなされるようになり、さきにのべたようなキャリアウーマンたちは、後退を余儀なくされるようになった。
男性たちは有利な立場にたち、私腹をこやすことにうつつをぬかしはじめた。
当時の記録には、母系集団のもつ財産を男たちが要求する例が多い。
子どもにどちらの名をとらせるかでいざこざが絶えなかったり、いかにも人工的に不自然な父系図がつくられたりした。
男たちや女たちがつぎつぎにムハンマドを訪れて、それぞれに苦情を述べていることが、クルアーンにもよくあらわれている。
(『イスラムの日常生活』片倉もとこ 岩波新書 1991年)
 私有財産観念の出現とともに父系制社会への移行がはじまった当時の社会経済的混乱を何とか規制しようと、政治家でもあったといわれるムハンマドは、数々の現実的妥協を重ねた。
反イスラーム勢と戦うために男たちの力を必要としたムハンマドは、男たちの要求に対しても妥協せざるをえなかった。
 相続に関して、「女は男の半分」としたことも、その一つである。
中根千枝氏が、「中国で、その昔〝男尊女卑〟といわれたのは、それ以前の女性の地位が高かったからではないか。そうでなければ、わざわざそのようなことをいい出すはずはない」という事情は、アラブの場合にも、あてはまるようである。
女の相続権がまったくなかったのに対し、イスラームが男の半分までをみとめたという説もあるが、女の相続は男の二分の一だとわざわざいわなければ、女が全部相続してしまった、二分の一にされても、女の方はなおかつまだ余裕があるという背景があったということの方が史実に近いといわれる。
 男の半分とクルアーンでいわれた相続分は13世紀の完成したイスラーム法において、細部にまでわたる複雑な相続法として定められた。
他の条件もあわせて、くわしく計算すると、女が損をするということにはなならないともいわれる。
夫婦は別々の財産をもつものとされ、妻の財産も明瞭にされている。
家畜にいたるまで、「あの羊たちとこの山羊たちは、わたしのもの」といった風に、日常の生活のなかで、いつもはっきりとさせている。
自分の羊に子をうませ、それをもとでにして、自分の財産をがっちりつくっているおかみさんもけっこう多い。
 生活費は、すべて男性の義務とされているから、仕事をもっている女性はもちろんのこと、一般に女性の方が金持ちだともいわれる。
あとにのべる女性銀行には、女性たちが財産をもちこみ、「これは、家族のだれにも内緒にしておいてな」という人が多いと、女性支店長が語っていた。
これらを資本にして、男性をエイジェントにたて、大がかりなビジネスをしている女性も、サウディアラビアをはじめ、あちこちでみられる。
 私有財産制をみとめ、男は女の2倍を相続するということをみとめたかわりに、家族の経済生活は男がうけもつこととされ、これもイスラームにおいて法律上の義務としてとりきめられた。
家族の生活を保障できなければ、多額の費用がかかるメッカへの巡礼も、してはならないと禁止されている。
1962年にエジプトには、すでに女性大臣が誕生しているが、彼女は、「夫の収入より、自分の方が多いけれども、家計はすべて夫がまかないます。それは、イスラームにおける男の義務ですから」と話していた。
 結婚するときには男が女に結納金を提供することも、男たちに納得させた。
あわせて離婚のときにも、男は女に支払うこととされた。
江守五夫氏なども指摘するように、結納金を女がもらうしきたりは、かつて女が男より上位にあり、そのギャップをうめるために出てきたものであろう。
この結納にしても、イスラーム法にうけつがれ、制度化された。
 イスラーム法の中心をなすとされる家族法には、結婚は、一人の男と一人の女のあいだでなされる契約であると、はっきり宣言されている。
さきにふれたように契約のときに、男から女に支払うマハル(結納金)の額、および離婚のときに支払うマハルの額がとりきめられ、契約書のとりかわしがなされるべきとされる。
離婚のときのマハル、すなわち、後ばらいのマハルは、結婚のときのマハルより、はるかに多額であるのが普通であり。
子どもをはらむ性としての女性にとって、これは、離婚保険のような役割もはたしている。
社会保障制度のはしりともいえよう。
 結婚のとき支払うマハルは、近年インフレの傾向にあり、ひげづらの中年男が、「まだ結婚できないんだ」とこぼすことも多い。
イスラームにおける契約結婚は、ムスリムに共通のものとしてうけつがれている。
イスラーム法の施行されていない国に住んでいる物も、図5(省略)にあるようなイスラームによる結婚契約書とその国の法による結婚届出書との両方をつくるのがふつうである。
 イスラームには、結婚にかぎらず、商業取引きなど日常生活のさまざまなところには社会契約の思想がもちこまれ、実践されているのをみる。
近代のヨーロッパにおけるロックやホッブスの社会契約が出てくるはるか昔からのことである。
(『イスラムの日常生活』片倉もとこ 岩波新書 1991年)

片倉もとこプロフィール」(片倉もとこ記念沙漠文化財団)
今日12月3日は

◆聖フランシスコ・ザビエルの日(12月3日)

「東洋の使徒」と呼ばれ、日本にはじめてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師を記念する日。
本書にとりあげた聖人のなかで、ザビエルは間違いなく日本人にもっともよく知られた人物だろう。
「日本宣教の保護者」としてわが国のローマ・カトリック教会では祝日となっており、1949年と1999年にその聖腕(遺体から切りとった右腕の一部)がローマから運ばれ、日本各地で巡回顕示された。
ザビエルはバスク語で「新しい家」の意味で、表記にはシャビエル、ザベリオ、サベリヨ、ザヴエリヨ、ザヴィアー、クサーヴァー、グザヴィエ、沙勿略などがある(山口県のカトリック教会ではサビエルと呼ぶ)。
名のフランシスコについてはアッシジの聖フランシスコの項目参照(→10月4日)。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷涼子 講談社学術文庫 2016年)
 ザビエルは1506年、スペイン・バスク地方(ナバラ国)の貧しい貴族の家に五人兄弟の末子として生まれた。
パリ大学で哲学を学んでいるとき、同じバスク人のイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、イエズス会の創設に参加。
司祭叙階後、1541年にポルトガル国王の援助を受けて東洋宣教に旅立つ。
翌年インドのゴアに到着し、当地で宣教活動に従事した。
マラッカで日本人ヤジロと出会ったことをきっかけに、日本宣教を決意し、1549年8月15日(天文18年7月22日)鹿児島に上陸。
島津貴久公に謁見し、日本におけるキリスト教の宣教許可を得た。
2年3ヵ月の滞在中、平戸、山口、大分で宣教を行い、約7百名に洗礼を授けたといわれる。
 その後中国上陸を志すも、病に倒れ、1552年のこの日に広東沖の上川(サンチャン)島でその生涯を終えた。
遺体はインドのゴアに移されて、現在もそこに安置されている。
1622年、教皇グレゴリオ15世により、イグナチオとともに列聖された。
2002年には、使徒聖トマス(→12月21日)来印1950周年と聖フランシスコ・ザビエル帰天450周年の記念祭がインドのケララ州のエルナクラムで行なわれている。
 日本、中国、ボルネオ島、東インド諸島、モンゴル、インド、オーストラリア、ニュージーランド、スペインのナバラ地方などの守護聖人。
宣教に携わる者すべて、旅する者、航海士、伝染病患者も彼の庇護を受ける。
ザビエルの出身地であるナバラ州では、12月3日を公休日としている。
イエズス会が創立した日本の上智大学も、この日はザビエル祭として全学休業になる。
また、ザビエル日本上陸の日(8月15日)には鹿児島市内で記念行事が行われる。
(『キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化』八木谷涼子 講談社学術文庫 2016年)

聖フランシスコ・ザビエル」(カトリック中央協議会)

昨日紹介した『日本に住んでる世界のひと』を読むと、「ザビエルはせっかちだった」そうです。
せっかちだったおかげで日本に上陸したそうですし、せっかちな性格が災いして肺炎で亡くなったそうです。