2022年12月15日木曜日

氷がはっていました

昨日は冷たい北風が吹いていたけど
今朝は、青空が広がっていました。
東屋の温度計を見ると0度近く…
田んぼを見に行くと薄い氷がはっていました。

近畿各地で今季一番の冷え込み 初氷の観測も」(関西NHK)
12月15日 元禄15年(1703.1.31) 
赤穂浪士大石良雄(よしたか)ら、吉良義央(よしなか<62、高家>)を討つ(実紀)。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)

大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入り」(WEB歴史街道 2017年12月14日)
現在の感覚では日付が変わって12月15日

浮世絵EDO-LIFE「年末は大忙し!歌麿“煤掃き(すすはき)
この浮世絵にはもう一つ隠しテーマが描かれているのです(^_-)

子どものころ、映画やテレビで赤穂浪士の討ち入りを見るのが好きでしたが、
大人になって吉良上野介ってそんなに悪い人間だと思えないなぁと…
「吉良上野介」は悪人だったのか~「忠臣蔵」敵役の真実……〟(砂原浩太郎 サライ 2019年12月14日)
  私、忠臣蔵はわかりたくありませんという話

 私は江戸時代が大好きで、時代モノのマンガばっかり描いています。
 江戸というのはジジムサク思われるようで、若い読者の方から、キンチョーしたお手紙を度々いただきます。
おっかない偏屈なオバチャンがマンガ描いとるように思われるのでしょうか、初対面の方なんかも「イガイとお若いんですね」などとおっしゃいます。
私は若づくりのバケモノかなんて、いじけちゃいますが、実際、若いんです。
二十五です。(もうすぐ二十六だけど)
(『お江戸暮らし―杉浦日向子エッセンス』松田哲夫編 ちくま文庫 2022年)
 なぜ江戸が好きなんだろう、というと、これは、なんといっても、オモシロイから好きなんです。
 私達は江戸を生きた人から五代目にあたります。
つまり、完全なる隔世の世代です。荷風や潤一郎のように、江戸のシッポもなければ、懐古も感傷もありません。
 そういう私が、オモシロイ、というのだから、これは、マチガイなくオモシロイんです(ああ、ついリキが入ってしまうッ)。
 江戸がジジムサク思われるのは、ひとえに、時代劇がヘンチクリンなのが悪いッ、と言い切ってしまいます。
ソコから、江戸をイメージしたら、やっぱりジジムサイ以外の何モノでもないなあなんて、ナットクしてしまうのです。
「時代劇なりのオモシロサ」は認めます。
私だって、あれやこれや言いつつも「桃太郎侍」の再放送を見たりするんです。
けれど、「足下の過去」としての「江戸という時代」はどこへ行ってしまったんだろうと思うのです。
「時代劇」のモンダイは、ムツカシイ問題です。
高名な時代考証の先生方が「あれはいかん、これはいかん」と十年来、叫びつづけても、あんまり効果はあらわれないんです。
作り手と受け手の「慣例」のスクラムが、ガッチリしすぎて、くずせないんです。
 こうなったら、いま、時代劇の低迷期だなんていわれますが、とことん視聴率下がって、イッソ、きれいにツブレテ、しばらく間を置いて、全く新しく入れ替わった、作り手と受け手の時代を待つほかないんだ、などと、カゲキに考えています。
 それは、サテオキ、年末になると、コダワル事が、ひとつ、あります。
そうです、アノ忠臣蔵なるものです。
忠臣蔵とは何か』という名著が上梓(じょうし)されたりして、今年もナカナカ忠臣蔵していますが、私は、やっぱり、わかりたくありません。
 私自身は東京生れですが、親の代までは、ずうっと米沢人で、米沢といえば、忠臣蔵の敵役(かたきやく)、吉良の血縁であります。
そんなわけで、米沢は昔、忠臣蔵の上映されない町であって、祖父や父なんかも、年末恒例の、忠臣蔵のテレビ映画は絶対見ないという具合なのです。
 元禄十五年十二月十五日早朝に、浅野家の浪士四十七名が、吉良家主従四十名を殺傷したという事実だけが、頭に残るのです。
吉良上野介は、たとえば、殺されても仕方のない因業(いんごう)ジジイだったとしても、吉良の家臣たちは、どう考えても可哀相です。
忠臣蔵浪士の一人、原惣右衛門によれば「敵対して勝負仕(つかまつ)り候者(そうろうもの)は三、四人許(ばか)り、残りの者どもは立合(たちあい)に及ばず、通り合せに討捨て」たというのですから後味が悪いです。
女たちの忠臣蔵」なるオシバイもあります。
忠臣蔵を裏から見たというので、うっかり期待してしまったのですが、やっぱり、表からしか見ていませんでした。
これは、四十七名の浪士の妻や恋人たちのことを、可哀相だ、とする話で、ついに、吉良方は可哀相だとは言ってくれませんでした。
 いちばん可哀相なのは、ついでに斬られて死んだ、吉良家の家臣の妻や子ではないでしょうか。
そういった、ネッから損な役割の人々の前で、悲劇のヒロインを演じても、私は、やっぱり、冷ややかにならざるをえません。
 テレビ時代劇だってソウです。
ヒーローが悪者の屋敷へ突入すると、悪者の親玉が、家来に「斬れッ斬れッ」とかどなって、家来はバッタバッタと斬られて、最後に親玉が斬られる。
悪者の家来そのものは悪くないのに、たまたま、主人が悪かったおかげで、ついでに斬られてしまう。
彼らにも、妻や子があるのです。
あんまりじゃありませんか。
 不幸の星というのは、あるものです。
 吉良上野介の養子、左兵衛義周(さひょうえよしちか)、まったく、不幸の星としか言いようがありません、
米沢藩上杉家十五万石の若君として生れたが、祖父にあたる上野介の養子となる。
そして、あの討入りがあって、家中の半数は死傷、義父(おや)は首を取られ、自分も、額と脇腹へ二、三ヵ所の傷を負う。
そればかりか、むざむざ親を討たれた甲斐性(かいしょう)なしと咎(とが)められて、信州諏訪に幽閉され、そこで悶々と日々を送るうちに、ノイローゼに陥り、三年後に十九歳十一ヵ月の短い生涯を閉じるのであります。
 左兵衛は、ほんとうにツイていない。
後々の世まで、誰も同情すらしてくれない。
 泉岳寺の赤穂浪士の墓所は、未だに名所で花や線香が絶えないのに、片や、斬られた側の、吉良の家臣は、埋骨の地点さえわからない。 
損な役廻りは、いつまでも損だということです。南無(なむ)
       (1984.12「ザ・テレビジョン」)
(『お江戸暮らし―杉浦日向子エッセンス』松田哲夫編 ちくま文庫 2022年)
途中で、作品や劇にリンクを貼っていますが、題名から検索したものなので間違っているかもしれません。

「 華蔵寺(けぞうじ)」(愛知県西尾観光)

吉良義周の諏訪流し」(日本ペンクラブ 電子文藝館)