2022年12月2日金曜日

冬の空

西の空に青空が見えているけど雲が陽ざしを隠して寒さが増しています。
この寒さは、当分続きそうですね
明日は、天気はもちそうですが、日曜日は雨かな?
ワールドカップ 日本がスペインに逆転勝利 決勝T進出決定」(NHK)
ドイツを破った時は〝奇跡〟だと思ったけど
スペインを逆転した粘りは世界に通用する!
三笘薫選手のゴールラインぎりぎりからの折り返しについて
「VAR」って何? サッカーワールドカップ 日本の決勝点でも〟(NHK)
唯一無二の自己表現 ~小平奈緒さんがたどり着いたもの」(NHK 12月1日)
目標に順位や記録があったとは思うが、それは手段にすぎなくて、
目的には唯一無二の自己表現というのがあったように感じている

小平奈緒さんは、言葉を大事にする人だと思います。

札幌五輪に対しての発言は、勇気がいっただろうと思う。
スポーツ選手が思いを発言できない日本は変だよね

札幌五輪とJOC 反省ないまま未来語るな」(産経新聞 11月7日)
そもそも東京大会までの8年間で意思決定に関与できなかったスポーツ界が、
大事な議論をリードできるとは思えない。
 『コーラン』を読んでいるとアフガニスタンのように女性を苦しめるのは、
ムハンマドのイスラム教とは思えないのです(私が習ったときは「マホメット」でしたが)。

Ⅲ 「ベール」の下の女の世界
 抑圧された女性たち?

 
 アラビアの街角で、アバーヤとよばれる黒装束の女性たちに出あうと、ある人はカラスのおばけのようだと気味悪がり、ある人は神秘的な優雅さを感じるという。
いずれにしろ、わたしたちとは一種異なった遠い存在のように思いこんでしまっている人が多い。
 無理やり黒い衣を着せられ、ひそかに涙を流しているのではあるまいか。
イスラーム世界の女性ほど誤解されている人たちも少ない。
四人妻だとか、「ハーレム」など、男に都合のいい制度がはばをきかせているというイメージだけが先行しているようだ。
(『イスラムの日常生活』片倉もとこ 岩波新書 1991年)
 もちろん、世界中どこの社会にも、わがままな亭主や男性群におさえつけられている女性たちはいる。
ムスリム社会も、例外ではない。
しかし、黒装束やベールなどを、はらりと脱いだ女たちの姿が、目もあやな色とりどりの衣裳をまとっていることに象徴されるように、この社会の女性たちの生き方も色とりどりなのである。
 男たちのいいなりになるどころか、男をぎゅうじるよう女もいれば、女性の地位が高いといわれるスウェーデンやアメリカの女性たちのように自立度の高い生き方をしている人もいる。
女性の社会進出も、日本よりすすんでいるところもあるようだ。
ムスリム人口がほとんどをしめるインドネシア、マレーシア、パキスタンなどで、ムスリムの女性首相や大臣、政府高官の輩出をみている事実は、もうよく知られていることだ。
 ここでは、イスラームの発祥地であるアラビアにおける女性たちの様子をみてみよう。
 意気さかんな女性たち

 アラビアでもっとも古くから栄えた南アラビアにはシバの女王、北方にはパルミラのゼノビア女王(アラビア名はザイナブ)などの傑出した女性がいたことは、歴史に記録されてよく知られている。
ふつの女性のふつうの姿は、なかなか歴史に記録され難いが、イスラームの発生前後に生きていたアラビアの女性の大勢のようすは、「シーラ(ムハンマド伝)」、「キターブ・アルアガーニ」、「キャミール」などという、信頼のできる史料から、知ることができる。
これらに登場してくる女性の数は非常に多く、しかもおどろくほど自由、活発に生きた女性が多い。
 預言者ムハマドが結婚した15歳年上のハディージャは、さきにふれたように、大実業家であった。
北方シリア方面との交易をしているうちに、雇い人の一人であったムハンマドの人柄や能力をみこみ、彼女の方からムハマンドに結婚を申しこんだと伝えられている。
孤児として育ち、小さいときから苦労して働いていたムハンマドは、この結婚により、経済的にも安定し、ヒラーの洞窟にこもって瞑想にひたることができるようになった。
 そんなある日、とつぜん神の啓示をうけたムハンマドは、つきものにとりつかれたような恐怖に襲われ、ヒラーの洞窟から転げおちるようにしてうちに戻り、姉さん女房のハディージャのひざにしがみついて、わなわなとふるえていたという。
しかし彼女にはげまされ、やがてムハンマドはイスラームの旗じるしをかがげて敢然とのり出していく。
ハディージャは、イスラームに対するさまざまの迫害に対してムハンマドとともに闘ったという。
「イスラーム勃興に女性の力あり」である。
 ハディージャの死後、ムハンマドが結婚した年若い女性アーイシャは、ムハンマドとともに戦場に出かけていったと記録されている。
イスラームを否定し、ムハンマドに反対した敵方の大将、アブー・スフヤーンの妻であったヒンド・ビント・ウトバは、ふだんはシリアの大商人と交易をしていたが、歴史に残るバドルの戦い、ウフドの戦いなどに加わり、手柄をたてたという記録が残っている。
 このような女性のほかにも、香水をあつかう大商人であったアスマ・ビント・ムハリバら、今風にいえば、キャリアウーマンたちについての記録が、イブン・サアドの「ムハマンド伝」第7、8巻などに枚挙にいとまがないほど記録されている。
 アラビアでは、昔も今も、詩人は、たいへん尊敬される存在なのであるが、女性の詩人たちも多く、名医として名高かった女医もおり、みないきいきと自由奔放に生活していたことがうかがえるのである。
 彼女たちは男たちに自由に結婚を申しこみ、また、悪びれずに離婚している。
たとえば先のヒンド・ビント・ウトバは、ファキハ・ビン・ムギーラという男や、サーフィル・ビン・アムルとよばれる男性と結婚し、離婚し、のち、ムハンマドの最大の敵であったアブー・スフヤーンと結婚している。
ムハンマドの妻ハディージャも、かれと結婚する前に、すでに少なくとも二人の男と結婚し、子どもももうけている。
 このような女性たちが生きていた社会が、全体としてはどのようなものであったのか、いまだ解明されていない部分が多いけれども、おそらく母系的傾向の強い社会であったらしい。
結婚した男女は妻の実家のそばに、すまいをつくるというように、母方居住に近い形をとった。
1968年以来、わたしが調査したメッカに近い地域では、父系制社会が確立した現在でもこの形が残っている。
 当時は、妻問婚のような形も、多かったらしい。
たとえば、預言者ムハンマドの母のところに父がかよったという記録があり、ムハンマド自身も妻ハディージャのうちへ、おもむいたという史実がある。
女たちが、すまいの所有権をもっていたらしい。
現在のアラビアでも、すまいが女性の所有になることは、アメリカの文化人類学者ドナルド・コウルも報告しているし、わたしの調査地でもそうであった。

 「あれは、だれのすまいか」ときくと、そこに住んでいる男の名をつかって、「ハッサンのうちだよ」などという返事がかえってくる。
しかし、これはハッサンの所有しているうちだという意味ではない。
女性家族員の名は、声高にいわないという慣習があるので、男の名が使われるだけである。
女の性は大事にするべきものとされている。
したがって、「ここにこういう大事なものがあるよ」と声高にはいわない。
貴重な存在は、なるべくかくしておく方がよいとされるのだ。
 しかし、すまいは女性の所有であり、一夫多妻の場合でも、女たちはそれぞれ自分のすまいをもっている。
そこへ男が通うような形になる。
羨望をまじえて想像されているように、一人の男のまわりに女がはべるというのではない。
6、7世紀においては、財産の所有の仕方も母方の共同体によるものであったということが、史料からよみとれるのである。

 …つづく…

(『イスラムの日常生活』片倉もとこ 岩波新書 1991年)
今朝の父の一枚です(^^)/

 カエルの手・鶏のトサカ

 カエデ科の植物の葉の多くは五裂しています。
これをカエルの手に見立てて「かえるで」と名付けたことは、『万葉集』東歌(あずまうた)

 子持山(こもちやま) 若かへるでのもみつまで
  寝
(ね)もと我は思ふ 汝(な)はあどか思ふ

の「かへるで」を万葉仮名で「加敝流弖」と書いたことでわかります。
これはのちに「蝦手」と書かれるようになります。
 漢字では中国風に「鶏冠木」と書かれることも多くありました。
これは葉の形を鶏のトサカに見立てたことからの字です。
そう書いても読みは「カエルデノキ」だったことは『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』からわかります。
…後略…
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)
午後から心臓リハビリでした。
待ち時間に読んでいたのが『日本に住んでる世界のひと
外国人でなく「世界のひと」というのがいいです。
長崎のキリスト者たちの中には、あのザビエル家の末裔がいるのですよ!
他日、紹介したいなと思います。