2022年12月12日月曜日

日向は…

朝のニュースで気象予報士の近藤奈央さんが外から解説していましたが
冷たい風が吹いていて寒そうでした。
一方、こちらは青空が広がり、日向は暖かったです(^^)v
今朝のNHKニュース おはよう日本の「NEWSWEBチェック」で取り上げられていたのが

最近手に取りましたか?文庫本の現在地」(NHK 12月7日)

本との出会いの間口を広げたのが文庫本」(堀口剛特命講師 東京経済大学
オーディオブックも登場していますが、私は、紙媒体の文庫本がいいなぁ…
 〝オミクロン株「BQ.1.1」 “病原性 同程度か低い可能性” 東大〟(NHK)
かつて日本は、テロ容認国とみなされたことがあります。

第5章 ウイルスとともに生きる
 3 病原体の管理基準
 危険度分類の作成


 病原体は数限りなくあり、それらの多くはわれわれの身近にも存在している。
そのため、一律に対策することは現実的ではない。
病原体の危険度を分類して、それぞれの危険度に応じた対策を実施する必要がある。
また、分類ごとに対応をマニュアル化しておけば、未知のウイルスが出現した際に、危険度分類を行うことで速やかに対応することができる。
危機管理体制を整備するためには、建物・設備というハード面だけではなく、こうしたソフト面についても準備する必要があった。
危険度分類作成の中心になったのはCDCであり、そのきっかけになったのは1967年に発生したマールブルグ病である。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)
 1969年にCDCは病原体の危険度分類を初めて作成し、クラス1から4にそれぞれの病原体を分類した。
クラス1は、人間に実際に接種されている生ワクチンのウイルスや学生実習にも使用できるもの、すなわちほとんど危険性のない病原体である。
クラス2は、危険性は若干あるが多くの場合それほど重症とはならないもので、ほとんどの細菌が含まれる。
また、ウイルスでも麻疹、ヘルペス、インフルエンザなど数多くの種が含まれている。
現実に実験に用いられている病原体の9割がクラス2と言ってよい。
クラス3は、重症になることが多く、より危険度の高い病原体で、細菌はペスト菌や炭疽菌など、ウイルスではエイズの原因であるヒト免疫不全ウイルスなどが含まれる。
クラス4はもっとも危険性の高いもので、マールブルグウイルス、エボラウイルス、ラッサウイルスなどがこれに属する。
細菌ではレベル4に相当するものはない。
 この分類にしたがって、クラス1の病原体を扱う実験室はP1、クラス2がP2、クラス3がP3、クラス4がP4と呼ばれるようになった。
Pは物理的封じ込め( Physical containment )に由来するものである。
現在BSL1-4( biosafety level 1-4)という名称に変わっている。
 日本では、ソフト面の整備にも非常に長い時間がかかった。
1974年、私はCDCでこの分類に関する資料をもらって帰国し、1976年、これをもとに予研の内部指針として病原体の危険度分類が作られた。
その後、何回かの修正を経て、現在では「病原体等安全管理規定」という名称に変えられている。
これは予研の自主規制のためのものであったが、国内の多くの研究機関がこれに準拠した対策をとるようになり、実質的に国の指針のような役割を果たしてきた。
 1976年から、WHOは国際的な指針を作成する作業を開始した。
当時、危険度分類が作成されていたのは米国のほかには日本と英国だけであり、この三カ国の分類をもとに国際的整合性を考慮した指針が1983年に作成された。
なおその際、危険度という用語はバイオセーフティ・レベルに変えられた。
 日本では、1979年に国が組換えDNA実験指針を作成した。
組換え対象になるDNAは、供与体DNAといって、主に病原体から分離されたものである。
元の病原体の分類に従って供与体もレベル1-4に分類され、それに応じて実験室はP1-4に分類された。
組換えDNA実験指針は、すべて自主規制の病原体分類の基づいて作られていたたいめ、私たちは、組換えDNA実験指針の基盤として、国としての病原体安全管理指針を作成する必要性を指摘した。
しかし、そのまま長い年月が過ぎ去った。
そして1995年、地下鉄サリン事件が発生した。
これがきっかけで、麻原彰晃と教団医師たちがアフリカ救済と偽ってザイールに出かけてエボラウイルスの入手を試み、失敗していたことが明らかにされた。
これ以後、病原体管理が野放しの日本は、CDCからテロ容認国とみなされ、病原微生物を譲り受けることができなくなってしまった。

 実は、国が病原体安全管理指針を作成しようとしたことが一度あった。
阪神・淡路大震災のあと、国会で病原体管理についての質問が出て、文部省(現、文部科学省)が取り組んだのである。
その結果、「大学等における研究用微生物安全管理マニュアル(案)」が1998年に作成されたが、その後国会での論議もなかったためか、この案は埋もれてしまった。
そして2003年に、生物多様性条約の発効を受けて、組換えDNA実験指針にかかわる法律が制定された。
基盤のない法律ができたことになった。
 2009年9月、7月にSARSの発生が終息した直後に、シンガポールのBSL3実験室でSARSコロナウイルスに感染する事故が起きた。
その日にはSARSコロナウイルスの実験は行われていなかったが、管理体制に不備があった。
同年12月、台湾のBSL4実験室で同じく実験者の感染事故が起きた。
これは、安全管理手順が順守されていなかったためであった。
2004年には中国でも同様の事故が起きていた。
一連の事故により、実験室からSARSが再発生するおそれが問題になった。
WHOは調査団を派遣し、シンガポールの事故について、シンガポール環境省の実験室安全管理基準の改善を含めていくつかの勧告を行った。
この調査団には、国立感染症研究所のバイオセーフティ担当者も加わっていた。
 2004年に厚生労働省が調査したところ、国内の八つの研究施設がSARSウイスるを保管していることが明らかになった。
日本では、病原体安全管理指針が存在していなかったので、実験室の基準も病原体の管理もすべて研究施設に任せられていた。
したがって、実験者の訓練や実験室の整備がどのようになっているのかはまったくわかっていなかった。
もしも、シンガポールのような事故が起きた場合には、実験室安全管理基準の改善ではなく、基準のそのものの作成が勧告されたであろう。
 日本では、次に述べるように、1998年に感染症法が制定された、2006年、この法律が一部改正されて、病原体等の管理体制が付け加えられた。
ここでやっと、国の病原体安全管理指針ができたのである。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)

地下鉄サリン事件」(NHKアーカイブス 1995年)

病原体等安全管理規程(改訂第三版)」(国立感染症研究所)
今朝の父の一枚です(^^)/

カワラヒワ(アトリ科)
 のどかな農村の菜の花畑などで草の実ばかり食べているベジタリアン。
都会の街路樹などでも巣を営む。
繁殖後の真夏の換羽(かんう<羽のはえかわり>)の頃は、河原などで集団生活をしている。
鳴き声
キリリリ コロロロという声がふつう。
さえずりはこの声にチョンチョンチョンという声やジューイとかビィーンと聞かれる声を組み合わせたもの。
チュイーンという甘くてよく通る声も出す。
みつけ方
キリリリと鳴きながら飛んできて、こずえにとまる小鳥。
飛び立つとき、翼の黄色い模様を確認したい。
…後略…
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)