2022年12月5日月曜日

穏やかな朝

予報では曇りでしたが、歩いている間は
シジミチョウが日向ぼっこするくらい晴れて暖かかったです。
(成虫は冬を越せないようです)
帰る頃には雲が広がってきました。
サイエンスZERO「睡眠・持久力・肥満まで!腸内細菌がもたらす驚異のパワー
うんちのおよそ1割は腸内細菌だとか!
腸内細菌が生み出す物質が人間のパフォーマンスに与える影響を研究がされています。
長距離ランナーのタイムが速く持久力のある選手の腸内細菌を調べると
タイムが速い選手ほどある腸内細菌を多く持つ傾向が見えてきたそうです。

腸内細菌の一種が日本人の肥満に関与していることもわかってきています。
腸内細菌は互いに補い合ってるので、その多様性を保つために環境を整えることが大事だそうです。
多様な菌がいることで悪い菌が来てもブロックする力(抵抗力、免疫力)を維持できる。
多様性が少なくなると下痢になることもあるようです。

1000年、2000年前の古代人の便が見つかり、その便を調べると
現代人よりも圧倒的に多様な腸内細菌を持っていることがわかりました。
腸内細菌と違って…

終章 医学か宗教か
 †ウイルスと魔女狩り


 新型コロナウイルスは、そのような新時代の「未知の悪」として人々を襲い、近代医学の聖域を揺さぶった。
その結果、悪が顕在化していないところまで、人々は罪を見つけ出す。
その罪を免償するはずのワクチンも治療薬もないとなれば、感染した人は途端に罪と一体化して排除される。
つまり、「魔女狩り」と同じ心理構造が生れるのだ。
(『疫病の精神史 ―ユダヤ・キリスト教の穢れと救い』竹下節子 ちくま新書 2021年)
 顕在化していない悪の自己申告である「告解」とその免償というシステムの外側に、魔女狩りという密告によって炙り出される悪と罪が共同体を席巻するとこが、キリスト教の歴史にもしばしばあった。
その多くは飢饉や災害、戦乱、疫病などで人々が危機に陥った時に、それをもたらした悪魔、またはその共犯者というスケープゴートを探すという営みの中で起こった。
 新型コロナウイルスを、人間に内在する「罪」とみなし、感染者を炙り出して断罪する現象は、パスツールによって退けられたはずの「病=原罪」観に立ち返るものだった。
 西洋医学が、ロックダウンによる自由の制限を正当化するために打ち出した、「あなた自身が既に感染している前提でふるまいなさい」というアドバイスは、確かにウイルスの感染拡大を阻むためのものだ。
しかし、それはまるで身に覚えがなくても原罪を負っているかのような罪悪感を生むことであり、パスツールの近代医学の路線からは明らかに外れている。
 もとよりヒトゲノムは単独に進化したものではなく、ウイルスのような侵入者と共に進化したのだろうし、様々な細菌との共生が人間の生命活動に密接に関わっていることも、今では明らかになっている。
その意味では、ウイルスも細菌もすべて含み持つのが被造物なのだから、害を及ぼす特定のウイルスだけが原罪を構成するというのはあり得ない。
 パスツールは、「不浄=穢れ」の存在として共同体から隔離されることから病者を解放するキリスト教的治癒を目指した。
病は悪霊のように外からやってくるものであり、医学によって制御できるものであり、患者には「罪」はない。
病人とは、共同体から隔離されるべき不浄の体現者ではなく、病院という聖域で医師という「司祭」によって治療される祝福を受ける存在になったはずだった。
 ところが、ワクチンや治療薬もない未知の疫病が、独裁政治体制の非キリスト教文化圏に発生した場合に、大規模集団の隔離とという対策がとられた。
そのなかで、他の病気や障害を抱えた人々がどのような運命をたどったのかは闇の中だ。
感染者が謝罪を要求されたり、差別の対象になったりという現象も起こった。
 感染者を隔離するための大規模病床の建造も喧伝されたが、感染者、発症者ではない他の高齢者など、相対的な弱者を守る積極的な対策については聞こえてこなかった。
結果的に、新型コロナ感染症による犠牲者数は、後に感染が広がった欧米よりもずっと少なかったため、封鎖され取り残された新型コロナ感染者以外の病気、老い、障害を持った人たちから出たであろう犠牲の実態はわからないままだ。
 それに対して、「中国発の疫病」が西洋キリスト教文化圏を襲った時、集団隔離による自由の制限という文化のない国々は、「あなた自身が感染している前提で謹慎して、弱者、高齢者への感染を防ぎなさい」という「弱者保護」のレトリックを繰り出した。
 自由や平等という人権意識の強い国々の民衆が、突然に課せられた隔離を比較的すんなりと受け入れたのは偶然ではない。
強者に従う世界において、弱者を守ることの絶対価値を説かれたことが、権力者によって殺されたイエスを救世主として出発したキリスト教文化圏の集団無意識に刷り込まれている防疫観に合致したからだ。
 自国民を守るという名目で、世界中で行なわれた国境封鎖や水際作戦などは、主として政治的判断によるものだったが、それに対する自国民の間での制限と反応には、それぞれの文化圏に従来からある流儀や作法が反映された。
日本で発せられた各種の自粛要請に「あなたは無症状でも感染者かもしれない、お年寄りや持病を持っている人にうつしてはいけない」という理由づけがあったのは、中国や韓国の対策とは違う欧米型キャンペーンに影響されたものだ。
日本ではそれが同調圧力として増殖繁茂していった。
「高齢者の親との同居には要注意、田舎の祖父母に会いに行くなどは自粛するように」などと繰り返されるだけではなく、それに従わない「無責任な若者」たちは諫(いさ)めるべき対象となった。
(『疫病の精神史 ―ユダヤ・キリスト教の穢れと救い』竹下節子 ちくま新書 2021年)

竹下節子・新・公式サイト
今朝の父の一枚です(^^)/
女の子です。

ジョウビタキ 常鶲、上鶲、尉鶲

 ジョウビタキの漢字名は、常鶲、上鶲、尉鶲。
常鶲は「秋になると、毎年、必ずやって来るヒタキ」といった意味の名。
上鶲は「ほかの鶲(あるいは、ほかの飼い鳥)より上等のヒタキ」の意味。
尉鶲はこのふたつより古い名前である。
尉は「能楽の白髪の老人」のこと、あるいは「下に残り火があり、上のほうは白い灰になっている炭火」のこと。
この鳥の「雄の頭部が灰白色であること」に注目して、尉の字が使われている。
これがよい名前と思う。
なお、尉の音はイ。
ジョウは国訓(日本独特の訓<よ>み)。
これにともない「おきな、老翁」の意が生れた。
…後略…
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』文:安部直哉、写真:叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)