2022年12月1日木曜日

師走になって

今日から12月、師走!
朝、青空が見えていたのに急に雲が空を覆いました。
とたんに風が吹いてきたように感じて寒かったです。

 「近畿 冷え込み 2日にかけ北部山地中心に雪も 体調管理注意」(関西NHK)
氷ノ山で今朝、初冠雪が観測されたそうですが、
昭和60年に記録を取り始めてから最も遅いのだそうです。
だいぶ前に読んだので忘れていたけど、この本を読んでいて思い出しました。
コーラン(中)』を読んでいてビックリしたことを!

 イスラムのマリア

 男性的で抽象的な印象の強いイスラム世界でも、マリアは特別に人気のあるキャラクターだ。
イスラム教にとっては、イエスは神ではないが重要な預言者の独りであり、イスラムの先駆と見なされていて、マリアはその母である。
実際、インドネシアからモロッコまで、イスラム世界にはマリア( MARYAM =マリアム)やイエス( AISSA=アイサ)という名前が広く使われている。
ノートルダムにあたる呼び方( sayidaouna )も存在する。
(『聖母マリア <異端>から<女王>へ』竹下節子 講談社選書メチエ 1998年)
 コーランの第19章はマリアに捧げれているし、モロッコの貴族の家庭では、女子に最低一人はマリアムという名をつけるという強い伝統がある。
ベドウィン族などでは、マリアがキリスト教でも礼拝されているキャラクターであることを知らぬ者さえいるほどだ。
 イスラム世界でのマリアにはもちろん「神の母」という要素はなく、女の徳の化身(けしん)のような意味合いを持たされている。
キリスト教的な公教要理のクラスはないが、コーラン学校ではマリアムという処女が例外的に母親になったということが教えられる。
 教えられる場所が砂漠か山地かによってマリアのイメージも変わってくる。
たとえばアルジェリアの険しい山岳地帯では、マリアは完全な地元の女として描写される。
ピンクの頬を持ち、額とあごに十字の入れ墨をほどこし、編んだ豊かな髪を垂らし、色鮮やかな原色の服を着て、足首には重い銀のリングをしている。
子供たちに「マリアムおばさん」と呼ばれるような親しみ深い存在だ。
 もっとも、「普通のおばさん」ではなくて、すべての子供はサタンに刺されてから生まれるので泣きながら生まれるが、マリアとその子は例外だとされている。
これは、カトリックの無原罪受胎の教えに近い。
 コーランの中には、何人かの重要な女性が登場する。
旧約聖書のモーゼがナイル河に捨てられているのを見つけたファラオの妻アシャ、ノアの妻、ロトの妻、マホメットの養子の妻であり後にマホメットの妻になる女ザニャブなどだ。
 中でも、マリアはミスティックな雰囲気で群を抜いている。
マリアがイエスという預言者を聖霊によって受胎した事実が、自分の体の中に神の言葉を受けいれるという人間の能力を象徴するとされるからだ。
 コーランの中のマリアはイムラン( IMRÂN = JOACHIM = ヨアキム )の娘で、「アロンの姉」とも呼ばれる。
処女マリアに受胎告知をしたのはマホメットにコーランを伝えたのと同じ天使ジブリール(ガブリエル)だ。
 コーランを中心としたイスラム世界でのマリア像を以下にまとめてみよう。
 出産するために、マリアは一人で砂漠(サハラ)にでかけていく。
疲れて休むマリアのもとに奇跡的に泉が湧き、渇いた喉をうるおすことができた。
ナツメヤシの木も頭をたれて、その実をマリアに捧げた。
木の下で、マリアはイエスを出産した。
 赤ん坊をつれて村へ帰ったマリアを見て、人々は不貞をはたらいた身持ちの悪い女だといっせいに非難した。
すると、マリアに抱かれていた赤ん坊が、突然人差し指をあげて、命をくれた「造化の神」にしたがう、と宣言した。
人々は驚いて、奇跡を信じた。
イエスがマリアを弁護したわけだ。
 マリアはユセフ(ヨセフ)とともに12年間エジプトに住んだ。
マリアは綿をつむぎ、カイロの南にある村バナッサで、麦の落ち穂を拾って生計の足しにしていた。
新約聖書のエジプト逃避行ほど劇的ではないが、より慎(つつ)ましく身近なイメージだ。
バナッサには今もイスラムの巡礼者がやってくる。
イランやレバノンのイスラム教徒は、エフェソス(今のトルコ)のテオトコス(神の母)教会、レバノンの「アリッサのノートルダム」、アルジェの「アフリカのノートルダム」などを巡礼に訪れるし、南仏の「ルルドのノートルダム」に足をのばす人もいる。
 イスラム世界では、庶民の家でも車でも店でも、いたるところにキリスト教のマリアとイエスの聖母子像を見ることができる。
十字架さえ目立たなければいい。
基本的には、イエスの受難と復活というキリスト教の根本教義にかかわる図柄でなければいいのだ。
イスラム世界には、十字架にかけられたイエスとともにいる「嘆きの母」像は存在しない。
そもそも神(アラー)の霊力を受けたはずの無原罪の聖母子が、罪に対する懲罰である受難や嘆きを経験するはずはないからだ。
マリアもイエスも、ひたすら神をたたえて生き、人間をあわれみつつ昇天し、世界の終りの日にまたもどってくることになっている。
 マリアが民間信仰の対象になっている点は、イスラム世界でも同じだ。
雄牛のお産、棕櫚の木の病気などの場合にマリアに祈ることがある。
アルジェリアのある村では、金曜日のモスクの説教で、定期的にイエスの福音が語られる。
マリアも重要なキャラクターであり、マホメットの愛娘であるファティマと拮抗する人気を博している。
 マホメットはマリアを「謙虚さの女王」とし、ファティマは彼の分身だと繰り返していた。
マリアはその奇跡的受胎と出産によって傑出した存在であるとされ、一方、ファティマは、イスラムのメッセンジャーである父(コーランによると人間の最良のモデルである)に生き写しであったことがその価値の証しとなる。
マリアとファティマを並べて賛美する伝統は長い。
 イスラム世界でのマリアの「御出現」

 キリスト教社会の場合と同じく、マリアは危機の時代に人々に求められて、突然、力を発揮する。
中東戦争の後、1968年、カイロ郊外のザートゥーンで有名な「聖母御出現」があって世間を騒がせた。
コプト教会の屋根に修道女のような姿をしたマリアが現れて、4月から次の年の6月にかけて多くの人の目に触れて写真まで撮られた。
白鳩が舞い、輝く雲がたなびく華やかものだった。
大騒ぎにもかかわらずマリアは留まり、難病治癒の祈りをした多くの人々に奇跡的な回復をもたらしたといわれる(そのうちのいくつかは医師による診断と確認の調査報告がなされた)。
この事件は、コプト教徒(エジプトのキリスト教徒)とイスラム教徒の双方に祈りと希望をもたらして、霊的な接近と交流に役立ったといわれる。
 マリアは1986年(1983年に始まり、86年3月から頻繁になる)にも、再びカイロ近辺ショブラ・ババドゥブルに現れた。
これもコプト教会の屋根の上である。
4月10日の夜遅く調査団が屋根にのぼった。
11日の午前3時40分、まばゆい光に包まれたマリアが現れ、5時まで留まったのを全員が確認した。
 調査班は、エジプトの民衆をこのような霊的現象で祝福した神への感謝を呼びかけ、つめかける巡礼者を整理する警備陣を慰労し、人々が落ち着きと平穏のうちに祈ればマリアや聖人聖女(御出現があったのは聖女ドミアナ教会の屋根である)の加護が得られるだろう、我々はこの現象が善きことへの証(あか)しであり、神がエジプトとその民を成功に導くことを祈る、と報告した。
 この時、マリアは一人だけで現れたのだが、イスラムのイメージに合うようにか、1950年代にアメリカで撮られたされる、薔薇の冠を戴き子供を抱いた写真がコピーされ、「御出現の写真」として、コプト教会の印を押されて出まわった(アメリカのその「御出現」は地元の司教によって否定されたものだが)。
 イスラム教とキリスト教は、もともと同じ神を戴いている。
神の子イエスについては互いに異論はあるとしても、同じ神に祝福された人間として特別の存在であるマリアの姿の上に、共通の夢と希望を託したのだろう。
(『聖母マリア <異端>から<女王>へ』竹下節子 講談社選書メチエ 1998年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ザクロの果実を写していました。

薬用にも食用にもなるザクロの果実
仏教の「宝珠」に似た形からか中国で「吉祥果」として認識された。
果実の中に小さな赤い種子が集まることから多産・子孫繁栄の象徴とされ、仏教で子どもの守護神とされる鬼子母神の像は、手に「吉祥果」としてのザクロを持っていることが多い。
ザクロの種子には卵胞ホルモンであるエストロゲンが含まれ、女性ホルモン活性化作用が期待できるという説もあるので、母性を象徴する鬼子母神に相相応しい果実であるといえよう。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)