2021年8月31日火曜日

二百十日

 

今年は、「立春」が例年より一日早く2月3日だったので、今日が「二百十日」。
今日の天気は「貴重な晴れ」とか、木曜日くらいから天気が悪くなるみたい…

二百十日(にひゃくとおか)
 立春から数えて210日目で、9月1にか2日に当たる。
この前後は台風がよく来るといわれ、江戸時代の天文暦学者の渋川春海(しぶかわはるみ)が、暦に採りあげたという。
また<二百十日>ごろは稲の出穂時期にあたり、このころ暴風雨に見舞われると籾(もみ)の中の雄蕊(おしべ)や雌蕊(めしべ)が傷つき、葯(やく)や花粉が被害を受けて受粉しにくくなり、米のできが悪くなる。
それを警戒する農民たちの間で「二百十日」が意識されるようになった(『風の世界』吉野正敏、東京大学出版会)。
秋の季語。

  枝少し鳴らして二百十日かな 尾崎紅葉
(『風と雲のことば辞典』倉島厚監修 2016年 講談社学術文庫)
厄日(やくび)

 農家にとって、<二百十日><二百二十日>など、大風が農作物に被害をもたらす忌まわしい日をいう。
各地で風鎮めの祭りが行われ、風神に豊作を祈った。
秋の季語。

  よべの雨あがり厄日の恙(つつが)なし  江島つねお
(『風と雲のことば辞典』倉島厚監修 2016年 講談社学術文庫)

阿蘇の農耕祭事 火の神の住む阿蘇に伝わる伝統行事」(みちしる NHK)
昨日の蓮の花、今朝は花びらを全部散らしていました。
明日は、関東大震災が発生した日(防災の日)。
芥川龍之介の『大正十二年九月一日の大震災に際して』を転記したいと思います。

地震ではありませんが、サイエンスZERO「富士山 噴火の歴史を読み解け」で富士山の噴火は必ず起きる。
そのためにも歴史に学び備える必要があると教えてくれていました。
関東大震災では、デマが飛び交い朝鮮の人々だけでなく
標準語がうまく話せない地方出身者や障碍者たちも自警団によって殺害されました。
デマを信じた人々の中には…

「朝鮮人虐殺事件」の真相 何が群衆をあおったのか〟(産経新聞 2018.11.18)
 大正十二年九月一日の大震災に際して
 一 大震災雑記
  一


 大正十二年八月、僕は一游亭(いちゆうてい)と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となった。
僕らの座敷の軒先(のきさき)はずっと藤棚になっている。
そのまた藤棚の葉の間にはちらほら紫の花が見えた。
八月の藤の花は年代記のものである。
そればかりではない。
後架(こうか)の窓から裏庭を見ると、八重の山吹も花をつけている。

  山吹を指(さ)すや日向(ひなた)の撞木杖(しゅもくづゑ)  一游亭

   (註に曰<いわく>、一游亭は撞木杖をついている)
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)
 その上また珍しいことは小町園(こまちえん)の庭の池に菖蒲(しょうぶ)も蓮も咲き競(きそ)っている。

  葉を枯れて蓮(はちす)と咲ける花あやめ  一游亭
 藤、山吹、菖蒲と数えて来ると、どうもこれはただこごではない。
「自然」に発狂の気味のあるのは疑い難い事実である。
僕は爾来(じらい)人の顔さえ見れば、「天変地異が起りそうだ」と言った。
しかし誰も真(ま)に受けない。
久米正雄(くめまさお)のごときはにやにやしながら、「菊池寛(きくちかん)が弱気になってね」などと大いに僕を嘲弄(ちょうろう)したものである。
 僕らの東京に帰ったのは八月二十五日である。
大地震はそれから八日目に起った。
「あの時は義理にも反対したかったけれど、実際君の予言はあたったね」
 久米も今は僕の予言に大いに敬意を表している。
そういうことならば白状してもよい。
――実は僕も僕の予言を余り信用しなかったのだよ。


平野屋別荘 京都の有名な割烹旅館平野屋の支店。鎌倉駅近くにあった。
  二

 「浜町河岸(はまちょうがし)の舟の中におります。桜川三孝(さくらがわさんこう)
 これは吉原(よしわら)の焼け跡にあった無数の貼り紙の一つである。
「舟の中おります」というのは真面目に書いた文句(もんく)かも知れない。
しかし哀れにも風流がある。
僕はこの一行の中に秋風(しゅうふう)の舟を家と頼んだ幇間(ほうかん)の姿を髣髴(ほうふつ)した。
江戸作者の写した吉原は永久に還(かえ)っては来ないであろう。
が、とにかく今日(こんにち)といえども、こういう貼り紙に洒脱(しゃだつ)の気を示した幇間のいたことは確かである。


桜川三孝 江戸時代、吉原の幇間。実在の人物。なお、東京の幇間には桜川姓の者が多かった。大正時代にも同名の人がいたのか。
  三

 大地震のやっと静まった後(のち)、屋外に避難した人々は急に人懐しさを感じ出したらしい。
向う三軒両隣を問わず、親しそうに話し合ったり、煙草や梨をすすめ合ったり、互いに子供の守(も)りをしたりする景色は、渡辺町(わたなべちょう)、田端(たばた)、神明町(しんめいちょう)、――ほとんど至る処に見受けられたものである。
ことに田端のポプラア倶楽部(クラブ)の芝生に難を避けていた人々などは、背景いポプラアの戦(そよ)いでいるせいか、ピクニックに集まったのかと思うくらい、いかにも楽しそうに打ち解けていた。
 これは夙(つと)クライストが「地震」の中に描いた現象である。
いや、クライストはその上に地震後の興奮が静まるが早いか、もう一度平生の恩怨(おんえん)が徐(おもむ)ろに目ざめて来る恐しささえ描いた。
するとポプラア倶楽部の芝生に難を避けていた人々もいつなんどき隣の肺病患者を駆逐(くちく)しようと試みたり、あるいはまた向うの奥さんの私行を吹聴(ふいちょう)して歩こうとするかも知れない。
それは僕でも心得ている。
しかし大勢の人々の中にいつにない親しさの湧(わ)いているのはとにかく美しい景色だった。
僕は永久にあの記憶だけは大事にしておきたいと思っている。


ポプラア倶楽部 有名な庭球のクラブ。田端の高台地にコートがあった。

クライスト Heinrich von Kleist (1777~1811)。ドイツの作家。「壊れ甕」「ペンテジレーア」「地震」( Das Erdbeben in Chlli )など。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
ハクセキレイがハクセキレイがスズメガを駆除していましたp(^^)q

ハクセキレイは飛ばなくていいなら飛ばない

 ハクセキレイは、近年、都市部で増えている鳥です。白っぽいからだにピコピコ動く長い尾羽が特徴ですが、「ほら、駐車場とかでチョコマカ走っている細長い鳥だよ!」といったほうが伝わりやすいかもしれません。
ハクセキレイは流麗な体型で、それほど飛ぶのが苦手そうでもありませんが、よく地面を歩きまわっています。
 じつは、鳥にとっても飛ぶことはたいへんなエネルギーを使う移動方法。
飛んでばかりいては疲れるので、ハクセキレイにかぎらず、多くの鳥は飛んでいる時間より、地面や木の上にいる時間のほうが圧倒的に長いのです。
ハクセキレイはたまたま人の足下で見かけることが多く、その上、走ってはとまり、走ってはとまりと動作が目立つので「鳥なのに飛びもしないで歩いてばっかり」という印象が強いのです。
……後略……
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)