2021年8月6日金曜日

広島平和祈念

今朝は曇り空で風が時々吹いたので助かりました。
でも、台風が三つも発生して、そのうち二つは進路が心配です。

台風10号 7日から8日にかけて東日本に近づくおそれ」(NHK)
広島 松井市長「核兵器と共存ありえない」禁止条約参加求める〟(NHK)

八月六日は、広島の平和記念式典の日です。
安田菜津紀さんのTwitterに

広島での平和記念式典、菅首相は「現実的」「具体的措置」という言葉を並べながら核兵器禁止条約には触れず、
意見の隔たりのある国との「橋渡し」をするとしていたけれど、
「橋渡し役」を務めるならせめて、条約の締約国がどのような議論を行っているのか、
会議にオブザーバーとしての参加が必要では。


記念式典の挨拶を…
菅首相、平和式典あいさつで読み飛ばし 「唯一の戦争被爆国」部分〟(産経新聞)
今回だけでないと、産経新聞まで…
入管収容中に死亡 スリランカ人女性の施設内映像 遺族に開示へ」(NHK)

安田菜津紀さんのTwitterに

ご遺族が名古屋入管を訪れたとき、ウィシュマさんが最後にいた居室にご遺族のみ通され、代理人は認められなかった。
ビデオを見るのは非常に、精神的な負荷が大きいはず。
今回も代理人は排除だろうか。
そもそもなぜ入管はNHKにリークし、ご遺族にも代理人にも連絡がないのか。

「遺族への開示であればプライバシーや収容施設に関する保安上の懸念は少ないとして判断したものとみられ」とあるけれど、
どんなにご遺族が願い出ても「保安上の問題」「死者の名誉尊厳」「最終報告への支障」を盾にし続けた5か月間は一体何だったのだろう。
それ自体が尊厳を踏みにじる態度。

8月6日、ウィシュマさんが亡くなってから、今日で5ヵ月。

〝ウィシュマさんを診療した医師は遺族に何を語ったのか ―「最終報告」に盛り込むべき3つの重要点〟(安田菜津紀 7月5日)

スリランカ人女性死亡「入管の医療体制に問題」…最終報告書公表へ〟(読売新聞 8月5日)
鎮魂歌
  <伊作の声>

 世界は割れてゐた。
僕は探してゐた。何かをいつも探してゐたのだ。
廃嘘の上にはぞろぞろと人間が毎日歩き廻つた。
人間はぞろぞろと歩き廻つて何かを探してゐたのだらうか。
新しく截りとられた宇宙の傷口のやうに、廃墟はギラギラ光つてゐた。
巨きな虚無の痙攣は停止したまま空間に残つてゐた。
崩壊した物質の堆積の下や、割れたコンクリートの窪みには死の異臭が罩(こも)つてゐた。
真昼は底ぬけに明るくて悲しかつた。
白い大きな雲がキラキラ光つて漾(ただよ)つた。
朝は静けさゆゑに恐しく悲しかつた。
その廃墟を遠くからとりまく山脈や島山がぼんやりと目ざめてゐた。
夕方は迫つてくるもののために侘しく底冷えてゐた。
夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だつた。
人肉を啖(くら)ひはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨してゐた。
すべてが新しい夢魔に似た現象なのだらうか。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
廃墟の上には毎日人間がぞろぞろと歩き廻つた。
人間が歩き廻ることによつて、そこは少しづつ人間の足あとと祈りが印されて行くのだらうか。
僕も群衆のなかを歩き廻つてゐたのだ。
復員して戻つたばかりの僕は惨劇の日をこの目で見たのではなかつた。
だが、惨劇の跡の人々からきく悲話や、戦慄すべき現象はまだそこここに残つてゐた。
一瞬の閃光で激変する人間、宇宙の深底に潜む不可知なもの……僕に迫つて来るものははてしなく巨大なもののやうだつた。
だが、僕は揺すぶられ、鞭打たれ、燃え上り、塞(せ)きとめられてゐた。
家は焼け失せてゐたが、父母と弟たちは廃墟の外にある小さな町に移住してゐた。
復員して戻つたばかりの僕は、父母の許で、何か忽ち塞きとめられてゐる自分を見つけた。
今は人間が烈しく喰ひちがふことによつて、すべてが塞きとめられてゐる時なのだらうか。
だが、僕は昔から、殆どもの心ついたばかりの頃から、揺すぶられ、鞭打たれ、燃え上り、塞きとめられてゐたやうな記憶がする。
僕は突抜けてゆきたくなるのだ。
僕は廃墟の方をうろうろ歩く。
僕の顔は何かわからぬものを嚇と内側に叩きつけてゐる顔になつてゐる。
人間の眼はどぎつく空間を撲りつける眼になつてゐる。
のぞみのない人間と人間の反射が、ますますその眼つきを荒つぽくさせてゐるのだらうか。
めらめらの火や、噴きあげる血や、捩がれた腕や、死狂ふ唇や、糜爛(びらん)の死体や、それらはあつた、それらはあつた、人々の眼のなかにまだ消え失せてはゐなかつた。
鉄筋の残骸や崩れ落ちた煉瓦や無数の破片や焼け残つて天を引裂かうとうする樹木は僕のすぐ眼の前にあつた。
世界は割れてゐた。
割れてゐた、恐しく割れてゐた。
だが、僕は探してゐたのだ。
何かはつきりしないものを探してゐた。
どこか遠くにあつて、かすかに僕を慰めてゐたやうなもの、何だかわからないとらへどころのないもの。
消えてしまつて記憶の内側にしかないもの、しかし空間から再びふと浮び出しさうなもの、記憶の内側にさへないが、嘗てたしかにあつたとおもへるもの、僕はぼんやり考へてゐた。
  世界は割れてゐた。
恐ろしく割れてゐた。
だが、まだ僕の世界は割れてゐなかつたのだ。
まだ僕は一瞬の閃光を見たのではなかつた。
僕はまだ一瞬の閃光に打たれたのではなかつた。
だが、たうとう僕の世界にも一瞬の大混乱がやつて来た。
そのときまで僕は何も知らなかつた。
その時から僕の過去は転覆してしまつた。
その時から僕の記憶は曖昧になつた。
その時から僕の思考は錯乱して行つた。
知らないでもいいことを知つてしまつたのだ。
僕は知らなかつた僕に驚き、僕は知つてしまつた僕に引裂かれる。
僕は知つてしまつたのだ。
僕は知つてまつたのだ。
僕の母が僕を生んだ母とは異つてゐたことを……。
突然、知らされてしまつたのだ。
突然?……だが、その時まで僕はやはりぼんやり探してゐたのかもしれなかつた。
叔父の葬式のときだつた。
壁の落ち柱の歪んだ家にみんなは集つてゐた。
そのなかに僕は人懐こさうな婦人をみつけた。
前に一度、僕が兵隊に行くとき駅までやつて来て黙つたまま見送つてくれた婦人だつた。
僕は何となく惹きつけられてゐた。
叔父の死骸が戸板に乗せられて焼場へ運ばれて行く時だつた。
僕はその婦人とその婦人の夫と三人で人々から遅れがちに歩いてゐた。
その婦人も婦人の夫も僕は何となく心惹かれたが、僕は何となく遠い親戚だらう位に思つてゐた。
突然、夫人の夫が僕に云つた。
「君ももう知つてゐるのだね、お母さんの異ふことを」
 不思議なこととは思つたが、僕は何気なく頷いた。
何気なく頷いたが、僕は閃光に打たれてしまつてゐたのだ。
それから僕はザワザワした。
揺れうごくものがもう鎮まらなかつた。
それから間もなく僕の探求が始つた。
僕はその人たちの家をはじめてこつそり訪ねて行つた。
山の麓にその人たちの仮寓はあつた。
それから僕は全部わかつた。
あの婦人は僕の伯母、死んだ僕の母の姉だつたのだ。
僕の母は僕が三つの時死んでゐる。
僕の父は僕の母を死ぬる前に離婚してゐる。
事情はこみ入つてゐたのだが、そのため僕には全部今迄隠されてゐた。
僕は死んだ母の写真を見せてもらつた。
僕には記憶がなかつたが……。
僕の父もその母と一緒に僕と三人で撮つてゐる。
僕には記憶はなかつたが……。
僕は目かくしされて、ぐるぐるぐる廻されてゐたのだつた。
長い間、あまりに長い間、僕ひとり、僕ひとり……。
僕の目かくしはとれた。
こんどは僕のまはりがぐるぐる廻つた。
僕もぐるぐる廻りだした。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
ムクドリの集合写真です。

椋鳥[むくどり]
(前略)

文学で扱われ方もどうも旗色の良くないムクドリでしたが、大正時代に発表された童話『椋鳥の夢』で様相は一変します。
帰らぬ母を想うムクドリの子と、それを見守る父親の愛情が描かれた切ない物語で、大きな反響を呼びました。
実際のムクドリの生態にはそぐわない部分もありますが、作者の濱田廣介(はまだひろすけ)は、なぜムクドリを主人公に据えたのでしょうか。
私見ですが、ムクドリにはどこか憎めない雰囲気があります。
群れの仲睦まじい様子や、そこからイメージされる情愛の深さ。
そんなムクドリの一面がこの物語にぴったりだと考え、選んだのだと思われてなりません。
(『日本野鳥歳時記』大橋弘一 ナツメ社 2015年)