2021年8月13日金曜日

梅雨に逆戻りしたのかな?

 小雨だったので出かけました。
まるで梅雨が戻ったみたいですよね…

ニュース特設 大雨情報(8月)」(NHK)

近畿 前線停滞 局地的に激しい雨のおそれ 土砂災害など警戒」(関西NHK)
 国立公文書館のTwitterに

今日13日からは旧盆ですね。
江戸時代の秋田の風俗についてまとめた
風俗問状答によると、
迎え火では「来たふらへ」、送り火では「往たふらへ」と言いながら、松を焚いていたようです。
みなさんの地域にはどのような風習がありますか?

画像

そして13日の金曜日は…
Eテレ0655、金曜日はリクエストコーナーがあり「気にしないの助音頭」が流れました♪

2番の歌詞に「13日の金曜日かとか 気にしないここは日本!)」
でも、これは無視できない…。

安田菜津紀さんのTwitterに

DaiGo氏の動画、「辛口」云々の問題にすり替えないでほしい。
生産性で命の価値をはかる、優生思想に直結する発言。
「たかが言葉」と見過ごしていくことが、やがて巨大な暴力につながっていくのだと、アウシュビッツでガイドの方が教えてくれたことがある。
それを今、思い返している。



  岩崎航さんのTwitterには、

著名人によるあまりにも低劣で幼稚な発言。
こうした暴言は、またかとスルーせずに、いちいち退けなくてはいけない。


「ホームレスの命はどうでもいい」人間と猫の命を比較し… メンタリストDaiGo氏の発言に批判殺到〟(籏智広太 BuzzFeed)

動画を見ていないのに決めつけるのは危険なんだけど、植松聖(事件当時26)被告と発想が同じなんだとおもった(アクセスすると彼の利益になるのだろうな…)。

19のいのち」(NHK)
 (『鎮魂歌』、「<お絹の声>」つづき)

 お絹の声がぷつりと消えた。
僕はふらふら歩き廻つてゐる。
僕のまはりを通り越す群衆が僕には僕の影のやうにおもへる。
僕は僕を探しまはつてゐるのか。
僕は僕に迷はされてゐるのか。
僕は伊作ではない。
僕はお絹ではない。
僕ではない。
伊作もお絹も突離された人間なのか。
伊作の人生はまだこれから始つたばかりなのだ。
お絹にはまだ息子があるのだ。
そして僕には、僕には既に何もないのだらうか。
僕は僕のなかに何を探し何を迷はうとするのか。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
  地球の割れ目か、夢の裂け目なのだらうか。
夢の裂け目?………さうだ。
僕はたしかにおもひ出せる。
僕のなかに浮んで来て僕を引裂きさうな、あの不思議な割れ目を。
僕は惨劇の後、何度かあの夢をみてゐる。
崩れた庭に残つてゐる青い水を湛へた池の底なしの貌つきを。
それは僕のなかにあるやうな気がする。
僕がそのなかにあるやうな気もする。
それから突然ギヨツとしてしまふ。
骨身に沁みるばかりの冷やりとしたものに……。
僕は還るところを失つてしまつた人間なのだらうか。
……自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのために生きよ。
僕は僕のなかに嘆きを生きるのか。
  隣人よ、隣人よ、死んでしまつた隣人たちよ。
僕はあの時満潮の水に押流されてゆく人の叫声をきいた。
僕は水に飛込んで一人は救ひあげることができた。
青ざめた唇の脅えきつた少女は微かに僕に礼を云つて立去つた。
押流されてゐる人々の叫びはまだまだ僕の耳にきこえた。
僕はしかしもうあのとき水に飛込んで行くことができなかつた。
……隣人よ、隣人よ。
さうだ、君もまた僕にとつて数時間の隣人だつた。
片手片足を光線で捩がれ、もがきもがき土の上に横はつてゐた男よ。
僕が僕の指で君の唇に胡瓜の一片を差あたへたとき、君の唇のわななきは、あんな悲しいわななきがこの世にあるのか。
……ある。
たしかにある。
……隣人よ、隣人よ、黒くふくれ上り、赤くひき裂かれた隣人たちよ、そのわななきよ。
死悶えて行つた無数の隣人たちよ。
おんみたちの無数の知られざる死は、おんみたちの無限の嘆きは、天にとどいて行つたのだらうか。
わからない、わからない、僕はそれがまだはつきりとわからないのだ。
僕にわかるのは僕がおんみたちの無数の死を目の前に見る前に、既に、その一年前に、一つの死をはつきり見てゐたことだ。
 その一つの死は天にとどいて行つたのだらうか。
わからない、わからない、それも僕にはわからないのだ。
僕にはつきりわかるのは、僕がその一つの嘆きつらぬかれてゐたことだけだ。
そして僕は生き残つた。
お前は僕の声をきくか。
  僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。
僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。
一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。
無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。
僕はここにゐる。
僕はこちら側にゐる。
僕はここにゐない。
僕は向側にゐる。
僕の僕の嘆きを生きる。
僕は突離された人間だ。
僕は歩いてゐる。
僕は還るところを失つた人間だ。
僕のまはりを歩いてゐる人間……あれは僕 で は な い。
  僕はお前と死別れたとき、これから既に僕の苦役が始ると知つてゐた。
僕は家を畳んだ。
広島に戻つた。
あの惨劇がやつて来た。
飢餓がつづいた。
東京へ出て来た。
再び飢餓がつづいた。
生存は拒まれつづけた。
苦役ははてしなかつた。
何のために何のための苦役なのか。
わからない、僕にはわからない、僕にはわからないのだ。
だが、僕のなかで一つの声がかう叫びまはる。
  僕は堪へよ、堪へてゆくことばかりに堪へよ。
僕を引裂くすべてのものに、身の毛のよ立つもに、死の叫びに堪へよ。
それからもつともつと堪へてゆけよ。
フラフラの病ひに、飢ゑのうめきに、魔のごとく忍びよる霧に、涙をそそのかすすべての優しげな予感に、すべての還つて来ない幻たちに……。
僕は堪へよ、堪へてゆくことばかりに堪へよ、最後まで堪へよ、身と自らを引裂く錯乱に、骨身を突刺す寂寥に、まさに死のごとき消滅感にも……。
それからもつともつと堪へてゆけよ、一つの瞬間のなかに閃く永遠のイメージにも、雲のかなたの美しき嘆きにも……。
  お前の死は僕は震駭させた。
病苦はあのとき家の棟をゆすぶつた。
お前の堪へてゐたものの巨きさが僕の胸を押潰した。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…