2021年8月12日木曜日

川になった…

歩き始めは傘が必要なかったのですが…
途中でザンザカ降り出して、雨水で道が川になった…。

近畿 前線停滞で15日ごろにかけ大雨のおそれ」(関西NHK)
日航ジャンボ機 墜落」(NHKアーカイブス 1985年)

日航機墜落事故から36年 遺族や関係者に限って慰霊の登山」(NHK)

36年も経てば遺族の方もご高齢になられている。

8・12連絡会 日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会」(Twitter)

8・12連絡会」(HP)
チリ 欧米製ワクチンの追加接種 中国製ワクチン効果低下として」(NHK)
チリなどで中国製ワクチンが使われている理由の一つに

「(中国製)ワクチンは、摂氏2~8度という通常の冷蔵庫の温度で保管できる利点がある。
そのため、超低温で大量のワクチンを保管するのが難しい途上国などで有用だとされている。

中国シノヴァク製ワクチン、WHOが緊急使用を承認 新型コロナウイルス」(BBCニュース 6月2日)

日本でも温度管理が原因で廃棄されるというニュースがあるくらいですから
たとえ欧米のワクチンが有効だとわかっていても
中国製のワクチンが使われるのは無理ないと思います。

粉末ワクチン、量産技術を開発 来年実用化へ―大阪の医薬ベンチャー」(JIJI.COM 8月11日))

粉末ワクチン・連続凍結乾燥装置について」(モリモト医薬 2月21日)
実用化されたらアジアやアフリカ、南米などの国でもワクチン接種が簡単にできると思うのだけど。
(『鎮魂歌』 「<お絹の声>」つづき)

 家に戻つても落着けなかつた。
わたしはよほどどうかしてゐる。
わたしはよほどどうかしてゐる。
今すぐ今すぐしつかりしないと大変なことになりさうだつた。
わたしはわたしを支へようとした。
わたしはわたしに凭れかかつた。
ゆるくゆるくゆるんで行く睡い瞼のすぐまのあたりを凄い稲妻がさツと流れた。
わたしはうとうと睡りかかるとハツとわたしは弾きかへされた。
後姿がまだチラついた。
青いわたしの脊髄の闇に……。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
 わたしはわたしに迷はされてゐるらしい。
わたしはわたしに脅えだしたらしい。
何でもないのだ、何でもないのだ、わたしなんかありはしない。
昔から昔からわたしはわたしをわたしだと思つたことなんかありはしない。
お盆の上にこぼれてゐた水、あの水の方がわたしらしかつた。
水、……水、……水、……わたしは水になりたいとおもつた。
青い蓮の葉の上でコロコロ転んでゐる水銀の玉、蜘蛛の巣をつたつて走る一滴の水玉、そんな優しい小さなもの、そんな美しい小さなものに、わたしはなれないのかしら。
わたしはわたしを宥めようとおもふと、静かな水が眼の前をながれた。
静かな水は苔の上をながれる。
小川の水が静かに流れる。
あつちからもこつちからも川が流れる。
白帆が見える。
燕が飛んだ。
川の水はうれしげに海にむかつて走つた。
海はたつぷりふくらんでゐた。
たのしかつた。
うれしさうだつた、懐しかつた。
鷗がヒラヒラ閃いてゐた。
海はひろびろと夢をみてゐるやうだつた。
夢がだんだん仄暗くなつたとき、突然、海の上を光線が走つた。
海は真暗に割れて裂けた。
わたしはわたしに弾きかへされた。
わたしはわたしにいらだちだした。
わたしはわたしだ、どうしてもわたしだ。
わたしのほかにわたしなんかありはしない。
わたしはわたしに獅嚙(しが)みつかうとした。
わたしは縮んで固くなつてゐた。
小さく小さく出来るだけ小さく、もうこれ以上は小さくなれなかつた。
もうこれ以上は固まれさうになかつた。
わたしはわたしだ、どうしてもわたしだ。
小さな殻の固いかたまり、わたしはわたしを大丈夫だとおもつた。
とおもつた瞬間また光線が来た。
わたしは真二つに割られてゐたやうだ。
それから後はいろいろのことが前後左右縦横に入乱れて襲つて来た。
わたしは苦しかつた。
わたしは悶えた。
  地球の裂け目が見えて来た。
それは紅海と印度洋の水が結び衝突し渦巻いてゐる海底だつた。
ギシギシと海底が割れてゆくのに、陸地の方では何も知らない。
世界はひつそり静まつてゐた。
ヒマラヤ山のお花畑に青い花が月光を吸つてゐた。
そんなに地球は静かだつたが、海底の渦はキリキリ舞つた。
大変なことになる大変なことになつたとわたしは叫んだ。
わたしの額のなかにギシギシと厭な音がきこえた。
わたしは鋏だけでも持つて逃げようかとおもつた。
わたしは予感で張裂けさうだ。
それから地球は割れてしまつた。
濛々と煙が立騰るばかりで、わたしのまはりはひつそりとしてゐた。
煙の隙間に見えて来た空間は鏡のやうに静かだつた。
と何か遠くからザワザワと潮騒のやうなものが押よせてくる。
騒ぎはだんだん近づいて来た。
と目の前にわたしは無数の人間の渦を見た。
忽ち渦の両側に絶壁がそそり立つた。
すると青空は無限の彼方にあつた。
「世なほしだ! 世なほしだ!」と人間の渦は苦しげに叫びあつて押合ひ犇めいてゐる。
人間の渦は藻掻きあひながら、みんな天の方へ絶壁を這ひのぼろうとする。
わたしは絶壁の硬い底の窪みの方にくつついてゐた。
そこにをれば大丈夫だとおもつた。
が、人間の渦の騒ぎはわたしの方へ拡つてしまつた。
わたしは押されて圧し潰されさうになつた。
わたしはガクガク動いてゆくものに押されて歩いた。
後から後からわたしを小衝いてくるもの、ギシギシギシギシ動いてゆくものに押されて歩いてゐるうち、わたしの硬かつた足のうらがふはふはと柔かくなつてゐた。
わたしはふはふは歩いて行くうちに、ふと気がつくと沙漠のやうなところに来てゐた。
いたるところに水溜りがあつた。
水溜りは夕方の空の血のやうな雲を映して燃えてゐた。
やつぱし地球は割れてしまつてゐるのがわかる。
水溜りは焼け残つた樹木の歯車のやうな影を映して怒つてゐた。
大きな大きな蝙蝠が悲しげに鳴叫んだ。
わたしもだんだん悲しくなつた。
わたしはだんだん透きとほつて来るやうな気がした。
透きとほつてゆくやうな気がするのだけれで、足もとも眼の前も心細く薄暗くなつてゆく。
どうも、わたしはもう還つてゆくところを失つた人間らしかつた。
わたしは水溜りのほとりに蹲つてしまつた。
両方の掌で頬をだきしめると、やがて頭をたれて、ひとり静かに泣き耽つた。
ひつそりと、うつとりと、まるで一生涯の涙があふれ出るやうに泣いてゐたのだ。
ふと気がつくと、あつちの水溜りでも、こつちの水溜りでも、いたるところの水溜りにひとりづつ誰かが蹲つてゐる。
ひつそりと蹲つて泣いてゐる。
では、あの人たちももう還つてゆくところを失つた人間なのかしら、ああ、では、やつぱし地球は裂けて割れてしまつたのだ。
ふと気がつくと、わたしの水溜りのすぐ真下に階段が見えて来た。
ずつと下に降りて行けるらしい階段をわたしはふらふら歩いて行つた。
仄暗い廊下のやうなところに突然、目がくらむやうな隙間があつた。
その隙間から薄荷の香りのやうな微風が吹いてわたしの頬にあたつた。
見ると、向うには真青な空と赤い煉瓦の塀があつた。
夾竹桃の花が咲いてゐる。
あの塀に添つてわたしは昔わたしの愛人と歩いてゐたのだ。
あの学校の建ものはまだ残つてゐたのかしら。
……そんな筈はなかつた、あそこらもあの時ちやんと焼けてしまつたのだから。
わたしのそばでギザギザと鋏のやうな声がした。
その声でわたしはびつくりして、またふらふら歩いて行つた。
また隙間が見えて来た。
わたしの生れた家の庭さきの井戸が、山吹の花が明るい昼の光に揺れて。
……そんは筈はなかつた、あそこはすつかり焼けてしまつたのだから。
またギザギザの鋏の声でわたしはびつくりしてゐた。
また隙間が見えて来る。
仄暗い廊下のやうなところははてしなくつづいた。
……それからわたしはまたぞろぞろ動くものに押されて歩いてゐた。
わたしは腰を下ろしたかつた。
腰を下ろして何か食べようとしてゐた。
すると急に何かぱたんとわたしのなかで滑り墜ちるものがあつた。
わたしは素直に立上つて、ぞろぞろ動くものに随いておとなしく歩いた。
さうしてゐれば、さうしてゐれば、わたしはどうにかわたしにもどつて来さうだつた。
みんな人間はぞろぞろ動いてゆくやうだつた。
その足音がわたしの耳には絶え間なしにきこえる。
無数の交錯する足音についてわたしの耳はぼんやり歩き廻る。
足音、足音、どうしてわたしは足音ばかりがそんなに懐しいのか。
人がざわざわ歩き廻つて人が一ぱい群れ集つてゐる場所の無数の足音が、わたしそのもののやうにおもへてきた。
わたしの眼には人間の姿は殆ど見えなくなつた。
影のやうなものばかりが動いてゐるのだ。
影のやうなものばかりのなかに、無数の足音が、……それだけがわたしをぞくぞくさせる。
足音、足音、どうしてもわたしは足音が恋しくてならない。
わたしはぞろぞろ動くものについて歩いた。
さうしていゐると、さうしてゐるうちに、わたしはわたしにもどつて来さうだつた。
ある日わたしはぼんやりわたしにもどつて来かかつた。
わたしの息子がスケツチを見せてくれた。
息子が描いた川の上流のスケツチだつた。
わたしはわたしの息子がゐたのをふと気がついた。
わたしはわたしに迷はされてはいけなかつたのだ。
わたしにはまだ息子がゐたのだ。
突然わたしは不思議におもへた。
ほんとうに息子は生きてゐるのかしら。
あれもやつぱし影ではないのか。
わたしはハツと逃げ出したくなつた。
わたしは跣で歩き廻つた。
ぞろぞろ動くものに押されて、ザワザワ揺れるものに揺られて、影のやうなものばかりが動いてゐるなかをひとりふらふら歩き廻つた。
さうしてゐれば、さうしてゐる方がやつぱしわたしはわたしらしかつた。
わたしの袖を息子がとらへた。
「お母さん帰りませう、家へ」……家へ?
まだ還るところがあつたのかしら。
わたしはそれでも素直になつた。
わたしはわたしに迷はされまし。
わたしにはまだ息子がゐるのだ。
それだのに何かパタンとわたしのなかに滑り墜ちるものがある。
と、すぐわたしはまた歩きたくなるのだ。
足音、足音、……無数にきこえる足音がわたしを誘つた。
わたしはそのなかに何かやさしげな低い歌ごゑをきく。
わたしはそのなかを歩き廻つてゐる。
さうしてゐると足音がわたしのなかを歩き廻る。
わたしはときどき立どまる。
わたしにはまだ息子があるのだ。
わたしにはまだわたしがあるのだ。
それからまたふらふら歩きまはる。
わたしにはもうわたしはない、歩いてゐる、歩いてゐる、歩いてゐるものばつかした。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
雨が本降りになったので今朝は、3枚しか映していませんでした。

昨夜、副反応は大丈夫だったかと叔母から電話がありました。
従妹は、金曜日にワクチン接種だったけど土、日と38度以上の発熱が続いたようで、
9日が振り替え休日でよかったと話していました。
私も発熱を覚悟していましたが、ほとんど上がりませんでした。
同級生の様子を聞いても千差万別で副反応がきつかった友だちもいると思えば
まったく副反応がなかったという仲間もいます。
新しいワクチンなので分からないことがまだまだあります。
そのためデマ情報もネット上に溢れているようです。