2021年8月8日日曜日

朝から危険な暑さ…

8時頃に出会った方が「東屋の温度計が32度だった!」と教えてくださった(^^;

札幌ではマラソンが行われていました。
今回のマラソンは、「参加するのに意義」があるだけではなく
「完走することに価値」がある大会になりました。
中村匠吾選手「こんな結果だったが、最後まで走れてよかった。

  「男子マラソン 大迫傑が6位入賞」(NHK)
30人が途中棄権
8日の男子マラソンには106人がエントリーしていましたが、
スタート時の気温が26度となるなど厳しいコンディションのなか、
ロンドン大会の金メダリスト、ウガンダのスティーブン・キプロティッチ選手など30人が途中棄権し完走したのは76人でした。

NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 金栗四三(マラソン選手)

第5回ストックホルム大会に初参加した金栗四三(かなくりしそう)さんは、途中棄権するのですが、その原因の一つが日射病だったそうです。
オリンピックは閉会式を迎えます。
産経新聞がこのような記事を書くのはよっぽどだなと思うのですが…

五輪、健全イメージに影 距離をとるスポンサー企業」(産経新聞 8月7日)

五輪の規模拡大や、放送局やスポンサー企業の意向が運営に与える影響には、以前から「商業化」との批判があった。
東京五輪や北京冬季五輪をめぐる混乱は五輪のイメージがさらにもろくなっていることの証左だ。
関西学院大の難波功士教授は
「高額な放映権料など10年以上前から指摘されてきた問題が東京五輪で一気に噴出した。五輪の広告塔としての役割が転換期を迎えている」
としている。


そして今朝の朝刊に
JOCが弁護費用2億円負担 五輪招致で疑惑の元会長に」(朝日新聞)
 上野千鶴子さんのTwitterに

処分したということは過失があったと認めたこと。
なら、どんな?その証拠となるビデオを開示しない理由はますます不可解。


収容のスリランカ人女性死亡 名古屋入管局長ら訓告など処分へ」(NHK 8月6日)
 ちひろ美術館(東京・安曇野)のTwitter(8月4日)に

8月8日はちひろ忌。
1974年8月8日にちひろがこの世を去って47年。
この日はちひろが願った「世界中のこどものしあわせと平和」をみなさまと分かち合う一日にします。
ご来館をお待ちしています。

※この日、ちひろ美術館(東京・安曇野)へご来館のみなさまには、ちひろのことばカードを差し上げます。

画像
 サヘルローズさんのTwitter(8月7日)に

いろんな事が不自由になった
1年半。
いろんな事が明確になった
1年半。

強くなれた部分と
まだ、
不安にのみこまれる事も

正直、人間だからあります。

でも、

無駄な日々はないし
無駄な経験もない

必ず、
のりこえようね

みんな。

 (『鎮魂歌』、<伊作の声>つづき)

 それから僕は恋をしだしたのだらうか。
僕は廃墟の片方の入口から片一方の出口まで長い長い広い広いところを歩いて行く。
空漠たる沙漠を隔てて、その両側に僕はゐる。
僕の父母の仮りの宿と僕の伯母の仮りの家と……。
伯母の家の方向へ僕が歩いてゆくとき、僕の足どりは軽くなる。
僕の眼には何かちらと昔みたことのある美しい着物の模様や、何でもないのにふと僕を悦ばしてくれた小さな品物や、そんなものがふと浮んでくる。
そんなものが浮んでくると僕は僕が懐しくなる。
伯母とあふたびに、もつと懐しげなものが僕につけ加はつてゆく。
伯母の云つてくれることなら、伯母の言葉ならみんな僕にとつて懐しいのだ。
僕は伯母の顔の向側に母をみつけようとしてゐるのかしら。
だが、死んだ母の向側には何があるのか。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
向側よ、向側よ、……ふと何かが僕のなかで鳴りひびきだす。
僕は軽くなる。
僕は柔かにふくれあがる。
涙もろくなる。
嘆きやすくなる。
嘆き? 
今まで知らなかつたとても美しい嘆きのやうなものが僕を抱き締める。
それから何も彼もが美しく見えてくる。
嘆き?
靄にふるへる廃墟まで美しく嘆く。
あ、あれは死んだ人たちの嘆きと僕たちの嘆きがひびきあふからだらうか。
嘆き? 
嘆き?
僕の人生でたつた一つ美しかつたのは嘆きなのだらうか?
わからない、僕は若いのだ。
僕の人生はまだ始つたばかりなのだ。
僕はもつと探してみたい。
嘆き?
人生でたつた一つ美しいのは嘆きなのだらうか。
 それから僕は彷徨つて行つた。
僕はやつぱし何かを探してゐるのだ。
僕が死んだ母のことを知つてしまつたことは僕の父に知られてしまつた。
それから間もなく僕は東京へやられた。
それから僕は東京を彷徨つて行つた。
東京は僕を彷徨はせて行つた。
(僕のなかできこえる僕の雑音……。ライターが毀れてしまつた。石鹸がない。靴の踵がとれた。時計が狂つた。書物が欲しい。ノートがくしやくしやだ。僕はくしやくしやだ。僕はバラバラだ。書物は僕を理解しない。僕も書物を理解できない。僕は気にかかる。何もかも気にかかる。くだらないものが一杯充満して散乱する僕の全存在、それが一つ一つ気にかかる。教室で誰かが誰かと話をしてゐる。人は僕のことを喋つてゐるのかしら。向側の鋪道を人間が歩いてゐる。あれは僕なのかしら。音楽がきこえてくる。僕は音楽にされてしまつてゐる。下宿の窓の下を下駄の音が走る。走つてゐるのは僕だ。以前のことを思つては駄目だ、こちらは日毎に苦しくなつて行く……父の手紙。父の手紙は僕を揺るがす。伊作さん立派になつて下さい立派に、……伯母の声だ。その声も僕を揺るがす。みんなどうして生きて行つてゐるのかまるで僕には見当がつかない。みんな人間は木端微塵にされたガラスのやうだ。世界は割れてゐる。人類よ、人類よ、人類よ。僕は理解できない。僕は結びつかない。僕は揺れてゐる。人類よ、人類よ、人類よ、僕は理解したい。僕は結びつきたい。僕は生きて行きたい。揺れてゐるのは僕だけなのかしら。いつも僕のなかで何か爆発する音響がする。いつも何かが僕を追かけてくる。僕は揺すぶられ、鞭打たれ、燃え上り、塞ぎとめられてゐる。僕はつき抜けて行きたい。どこかへ、どこかへ)
それから僕は東京と広島の間を時々往復してゐるが、僕の混乱と僕の雑音は増えてゆくばかりなのだ。
僕の中学時代からの親しい友人が僕に何も言はないで、ぷつりと自殺した。
僕の世界はまた割れて行つた。
僕のなかにはまた風穴ができたやうだ。
風のなかに揺らぐ破片、僕の雑音、雑音の僕。
僕の人生ははじまつたばつかしなのだ。
ああ、僕は雑音のかなたに一つの澄みきつた歌ごゑがききとりたいのだが……。
 伊作の声がぷつりと消えた。
雑音のなかに一つの澄みきつたうたごゑ……それをききとりたいと云つて伊作の声が消えた。
僕はふらふらと歩いてゐる。
僕のまはりがふらふらと歩いてくる。
群衆のざわめきのなかに、低い、低い、しかし、絶えまなくきこえてくる、悲しい、やはらかい、静かな、嘆くやうに美しい、小さな小さな囁き、僕もその囁きにきき入りたいのだが……。
やつぱし僕のまはりはざわざわ揺れてゐる。
揺れてゐるなかから、ふと声がしだした。
お絹の声が僕にきこえた。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…