2021年8月7日土曜日

曇りの予報だったけど…

朝、戸を開けると涼しい風が入ってきたのですが、それも束の間だったようです。
元気なセミたちみていると木にとまるのに、陰の方に止まっているのが多いような?
私もできるだけ木陰になっている場所を探しながら歩きました。

各地で猛暑 熱中症に警戒を」(関西NHK)
 稲にピンク色のブツブツ…
初めて見ました。
調べると、ジャンボタニシの卵のようです。
スクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)の被害防止対策について」(農林水産省)

農薬を使う対策が載っているのですが

小6発明でジャンボタニシ撃退 「農薬使いたくない」に共感〟(日本農業新聞 6月9日)

スクミリンゴガイの卵はなぜ赤い」(九州沖縄農業研究センター)

寄生虫(広東住血線虫)が見つかっていますので素手で触らないようにしましょう。
 平野敬一郎さんのTwitterに

何でもかんでも人のせい。
そもそも、自分で原稿書いたらどうか? 
人に書かせても、一度くらい、紙を開いて練習すべきだろう。
こんな大事な場面の原稿を、意味も分からずに読んでる方が悪い。
冒頭からメチャクチャだった。


首相の原稿、のりでめくれず 広島式典の読み飛ばし」(共同通信 8月6日)
 宇都宮けんじさんのTwitterに

広島への原爆投下から76年平和記念式典で
「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。犠牲になられた方々を決して忘れてはいけない」
という「平和への誓い」を朗読した子ども代表に希望を感じた。
一方で菅首相は挨拶で重要な部分を読み飛ばした。
菅首相は子ども代表に学ぶ必要がある。
一方、 
NZアーダーン首相「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者への償いになる唯一のこと」〟(濱田理央 HUFFPOST 8月6日)

ジャシンダ・アーダーン首相のメッセージは、原稿を読むのではなく
まっすぐに私たちを見つめ、心に届くように語りかけています。
 沖縄のニュースを見ていると、コロナの感染者が多く心配な日々です。
そんな中で、去年コロナに感染した喜友名諒(きゆなりょう)さんが金メダルを獲得したのは嬉しい。

喜友名諒が亡き母にささげた金 天仰ぎ「約束守ったよ」〟(沖縄タイムス)

喜友名諒、亡き母に捧ぐ沖縄県勢初の金メダル!」(NHK 8月6日)
 (『鎮魂歌』 「<伊作の声>」つづき)


 僕のなかには大きな風穴が開いて何かがぐるぐると廻転して行つた。
何かわけのわからぬものが僕のなかで僕を廻転させて行つた。
僕は廃墟の上を歩きながら、これは僕ではないと思ふ。
だが、廃墟の上を歩いてゐる僕は、これが僕だ、これが僕だと僕に押しつけくる。
僕はここではじめて廃墟の上でたつた今生れた人間のやうな気がしてくる。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
僕は吹き晒しだ。
吹き晒しの裸身が僕だつたのか。
わかるか、わかるかと僕に押しつけてくる。
それで、僕はわかるやうな気がする。
子供のとき僕は何かのはずみですとんと真暗な底へ突落されてゐる。
何かのはずみで僕は全世界が僕の前から消え失せてゐる。
ガタガタと僕の核心は青ざめて、僕は真赤な号泣をつづける。
だが、誰も救つてはくれないのだ。
僕はつらかつた。
僕は悲しかつた。
死よりも堪へがたい時間だつた。
僕は真暗な底から自分で這ひ上らねばならない。
僕は這ひ上つた。
そして、もう墜ちたくはなかつた。
だが、そこへ僕をまた突落さうとする何かのはずみはいつも僕のすぐ眼の前にチラついて見えた。
僕はそわそわして落着がなかつた。
いつも誰かの顔色をうかがつた。
いつも誰かから突落されさうな気がした。
突落されたくなかつた。
墜ちたくなかつた。
僕は人の顔を人の顔ばかりをよく眺めた。
彼等は僕を受け容れ、拒み、僕を隔ててゐた。
人間の顔面に張られてゐる一枚の精巧複雑透明な硝子……あれは僕には僕なりにわかつてゐたつもりなのだが。
  おお、一枚の精巧複雑透明な硝子よ。
あれは僕と僕の父の間に、僕と僕の継母の間に、それから、すべての親戚と僕との間に、すべての世間と僕との間に、張られてゐた人間関係だつたのか。
人間関係のすべての瞬間に潜んでゐる怪物、僕はそれが怕くなつたのだらうか。
僕はそれが口惜しくなつたのだらうか。
僕にはよくわからない。
僕はもつともつと怕くなるのだ。
すべての瞬間に破滅の装填されてゐる宇宙、すべての瞬間に戦慄が潜んでゐる宇宙、ジーンとしてそれに耳を澄ませてゐる人間の顔を僕は夢にみたやうな気がする。
僕のとつて怕いのは、もう人間関係だけではない。
僕を呑まうとするもの、僕を嚙まうとするもの、僕にとつてあまりに巨大な不可知なものたち。
不可知なものは、それは僕が歩いてゐる廃墟のなかにもある。
僕はおもひだす、はじめてこの廃墟を見たとき、あの駅の広場を通り抜けて橋のところまで来て立ちどまつたとき、そこから殆ど廃墟の全景が展望されたが、ぺちやんこにされた廃墟の静けさのなかから、ふと向うから何かわけのわからぬものが叫びだすと、つづいてまた何かわけのわからないものが泣きわめきながら僕の頬へ押しよせて来た。
あのわけのわからないものたちは僕を僕を僕のなかでぐるぐる廻転さす。
 僕は僕のなかをぐるぐる探し廻る。
さうすると、いろんな時のいろんな人間の顔が見えて来る。
僕にむかつて微笑みかけてくれる顔、僕とちよつと眺める顔、厚意ある顔、敵意を持つ顔、……だが、それらの顔はすべて僕のなかに日蔭や日向のある、とにかく調和ある静かな田園風景となつてゐる。
僕はとにかく、いろんなものと、いろんな糸で結びつけられてゐる。
僕はとにかく安定した世界にゐるのだ。
 ジーンと鋭い耳を刺すやうな響がする。
僕のゐる世界は引裂かれてゆく。
それらはない、それらはない! と僕は叫びつづける。
それらはみんな飛散つてゆく。
破片の速度だけが僕の眼の前にある。
それらはない! それらはない! 僕は叫びつづける。
……と、僕はを上に結びつけてゐた糸がプツリと切れる。
こんどは僕が破片になつて飛散つてゆく。
くらくらする断崖、感動の底にある谷間、キラキラと燃える樹木、それらは飛散つてゆく僕に青い青い流れとして映る。
僕はない! 僕はない! 僕は叫びつづける。
……僕は夢をみてゐるのだらうか。
  僕は僕のなかをぐるぐるともつと強烈に探し廻る。
突然、僕のなかに無限の青空が見えてくる。
それはまるで僕の胸のやうにおもへる。
僕は昔から眼を見はつて僕の前にある青空を眺めなかつたか。
昔、僕の胸はあの青空を吸収してまだ幼かつた。
今、僕の胸は固く非常に健やかになつてゐるやうだ。
たしかに僕の胸は無限の青空のやうだ。
たしかに僕の胸は無限に突進んで行けさうだ。
僕をとりまく世界が割れてゐて、僕のゐる世界が悲惨で、僕を圧倒し僕を破滅に導かうとしても、僕は……。
僕は生きて行きたい。
僕は生きて行けさうだ。
僕は……。
さうだ、僕はなりたい、もつともつと違ふものに、もつともつと大きなものに……。
巨大に巨大に宇宙は膨れ上る。
巨大に巨大に……。
僕はその巨大な宇宙に飛びついてやりたい。
僕の眼のなかには願望が燃え狂ふ。
僕の眼のなかに一切が燃え狂ふ。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)


つづく…