2021年8月5日木曜日

危険な暑さ…

朝起きた時に寝ぼけまなこで携帯で天気予報を見ると
午後2時ころから38度の予想に眠気が覚めました(^^;
先日、除草された場所を見ると小さな葉っぱが見えました!
小さいけど一枚摘んでマスクとの間に入れるといい香り(*^-^*)

全国的に気温上昇 40度に迫る危険な暑さ 熱中症に厳重警戒」(NHK)
 田口ナツミさんのTwitterにかわいい子どもの姿が(*^-^*)

お兄ちゃんから逃げて、ここで絵本を読み始めました。

お兄ちゃんから守る盾を置いておきました。

お兄ちゃんに見つかりました。
 岩永直子さんのTwitterに

人の大事なものを噛むのは最低だけど、そもそもなぜメダルを噛むのだ。
カメラマンに噛むよう求められて、「意味がわからない」と拒否した荒川静香、好き。


坂本史衣さんのTwitterには

あのメダルは熱水処理後、オートクレーブだな。

リボンも噛んどるな。
ディスポじゃ。

 江川紹子さんのTwitterに

スケボーとか興味なくて、なんで新種目にしたのかなぁとさえ思っていたが、選手たちの話を聞いていて考え直す。
“play"って、楽しく遊ぶなんですよね。
スポーツの原点を見直すために、こうやって新種目を入れて刺激するのはいいこと鴨。

 サヘルローズさんのTwitterに

コトバを受け止めすぎない

私たちには
どんどん距離ができていく

人間は、つねに
自問自答して
苦しみながら生きる。

みんな、人の笑顔に
気をとらわれていく

幸せそうでいいな。

と。

笑っていても
笑顔の裏側では
泣き顔だよ、みんな。

比較しなくていい

いまを

生きること、それだけ。


添えられた画像
(『鎮魂歌』、「原子爆弾記念館」つづき)

 僕はいつのまにか記念館の外に出て、ふらふら歩き廻つてゐる。
群衆は僕の眼の前をぞろぞろと歩いてゐるのだ。
群衆はあのときから絶えず地上に汎濫してゐるやうだ。
僕は雑沓のなかをふらふら歩いて行く。
僕はふらふら歩き廻つてゐる。
僕にとつて、僕のまはりを通りこす人々はまるで纏りのない僕の念想のやうだ。
僕の頭のなか、僕の習癖のなか、いつのまにか、纏りのない群衆が汎濫してゐる。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
 僕はふと群衆のなかに伊作の顔を見つけて呼びとめようとする。
だが伊作は群衆のなかに消え失せてしまふ。
ふと、僕の眼にお絹の顔が見えてくる。
僕が声をかけようとしてゐると彼女もまた群衆のなかに紛れ失せてゐる。
僕は茫然とする。
さうだ、僕はもつとはつきり思ひ出したい。
あれは群衆なのだらうか。
僕の念想なのだらうか。
ふと声がする。
  <僕の頭の軟弱地帯> 僕は書物を読む。
書物の言葉は群衆のやうに僕のなかに汎濫してゆく。
僕は小説を考へる。
小説の人間は群衆のやうに僕のなかに汎濫してゆく。
僕は人間と出逢ふ。
実在の人間が小説のやうにしか僕のものと連結されない。
無数の人間の思考・習癖・表情それらが群衆のやうにぞろぞろ歩き廻る。
バラバラの地帯は崩れ墜ちさうだ。
 <僕の頭の湿地帯> 僕は寝そびれて鶏の声に脅迫されてゐる。
魂の疵を搔きむしり、掻きむしり、僕は僕に呻吟してゆく。
この仮想は僕なのだらうか。
この罪ははたして僕なのだらうか。
僕は空転する。
僕の核心は青ざめる。
めそめそとしたものが、割りきれないものが、皮膚と神経に滲みだす。
空間は張り裂けさうになる。
僕はたまらなくなる。
どうしても僕はこの世には存在してゆけさうにない。
逃げ出したいのだ。
何処かへ、何処か山の奥に隠れて、ひとりで泣き暮したいのだ。
ひとりで、死ぬる日まで、死ぬる日まで。
  <僕の頭の高原地帯> 僕は突然、生存の歓喜にうち顫へる。
生きること、生きてゐること、小鳥が毎朝、泉で水を浴びて甦るやうに、僕のなかの単純なもの、素朴なもの、それだけが、ただ、僕を爽やかにしてくれる。
 <僕の頭の……>
 <僕の頭の……>
 <僕の頭の……>
 僕には僕の歌声があるやうだ。
だが、僕は伊作を探してゐるのだ。
伊作も僕を探してゐるのだ。
それから僕はお絹を探してゐるのだ。
お絹も僕を探さうとする。
僕はお絹を知つてゐる。
しかし伊作もお絹も僕の幻想、僕の乱れがちのイメージ、僕の向側にあるもの、僕のこちら側にあるもの……。
ふと声がしだした。
伊作の声が僕にきこえた。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
危険なほどの暑さに咲くなんて可哀そうな気がします!

夏座敷(なつざしき)の工夫

  家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいなかる所にも住まる。暑きころ、わろき住居(すまひ)は堪へ難きことなり。深き水は涼しげなし。浅く流れたる、はるかに涼し。細かなる物を見るに、遣戸(やりど)は蔀(しとみ)の間よりも明かし。天井の高きは、冬寒く、灯暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍(はべ)りし。

 右は兼好法師(けんこうほうし)の『徒然草』の第五十五段です。
書き出しの「家の作りやうは、夏をむねとすべし」が、歳時記の「夏座敷」の解説や、建築案内の冊子などによく引用されていることもあってか『徒然草』の中でもよく知られたところです。
 もともと日本の夏は高温多湿です。
ことに兼好法師の住んでいた京都盆地の夏の暑さは格別で、寝殿造りや今に残る古い邸宅や町屋などにもできるだけ涼しく過ごす工夫がほどこされています。
「冬はいかなる所にも住まる。暑きころ、わらき住居は堪へ難きことなり」とありますとおり、冬の寒さにもまして、堪え難いのは逃げ場のない夏の暑さです。
……
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)