2017年12月31日日曜日

曇り空の大晦日

早いものですね。もう大晦日です。
東京では初雪が降ったそうですね。
来る年が穏やかな日々でありますように…


水洟やどこも真赤な実南天  爽波
(『基本季語五00選』)

こう寒くては、水洟(みずばな)も出てきますよね(*´∀`*)
ハラビロカマキリの卵鞘(らんしょう
厳しい寒さから守ってくれています。
 旅は雀もなつかしい声に眼さめて
(『山頭火著作集Ⅰ あの山越えて』大山澄太編/潮文社 昭和47年)
コサギは浅い水中で片足を細かく振り、波をたてながらエサをねらいます。
これはチドリ類の一部にも見られます。
(『野鳥ブックス1 BIRD WATCHING―野鳥と出会うために』日本野鳥の会 1981年)
その名が始終空(しじゅうから)に通じるところから、
庭に巣を作ると財産がなくなると言ってこの鳥をきらう地方がある。
(『自然観察シリーズ[20]<生態編>バードウォッチング』
     高野伸二 小学館 昭和58年)

歳末の払ひすまして幾何(いくばく)も残らぬ銭を妻と寂しむ  時松好昌

  歳末の払ひ=除夜の鐘の鳴り終わるまでに旧年中のすべての借金を精算する風習は、この当時、厳しく守られていた。
(『昭和萬葉集 巻三 二・二六事件
   ―軍国主義の台頭 9年~11年』 講談社 昭和54年)
     磐姫皇后(いはのひめわうごう)、天皇を思ひて作らす歌
君が行(ゆ)き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ (万葉集・巻二・85)

    磐姫皇后(いわのひめこうごう)が、仁徳天皇を思ってお作りになった歌
  あなたのご旅行はずぶん日数が経ちました。
  山を尋ねてお迎えにいきましょうか。
  それともひたすら待っていましょうか。

 磐姫皇后は仁徳天皇の皇后です。
仁徳天皇といえば、5世紀前半の人といわれ、
(たみ)を思いやる仁政(じんせい)を行った天皇として、後世に伝説化されました。
大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳である大山(だいせん)古墳が、
その仁徳天皇の陵墓(りょうぼ)だとされているのは有名ですね。
彼はなかなか女性関係の豊かな人で、磐姫皇后の激しい嫉妬を招いたと、
『古事記』『日本書紀』に伝えられています。

(略)

 さてこの歌、磐姫皇后の、天皇を待って居ても立っても居られない気持ちを表しています。
こうして待ち続けていると苦しくてならない、
いっそこっちから迎えにいこうか、でもそれは……という揺れ動く心です。
皇后の、天皇を慕ういじらしい心を垣間見せているともいえるでしょう。
しかしまた、抑えても抑えきれぬ、激しい心情ともいえます。
どうも『万葉集』の編者は、その両方を示そうとしたような気がします。
(略)
(『古典和歌入門』)
  老人、歳(とし)の暮を憐(あは)れむ
老いぬれば 年の暮れゆく たびごとに わが身ひとつと 思ほゆるかな

年老いたせいで、年の暮れが迫るたびに、
まるで自分ひとり年を取るような気になってしまう。
(『金槐和歌集(旧版)』昭和56年)
   あすは元日が来る仏とわたくし  尾崎放哉

 みずから孤絶を選んだ俳人だ。
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る」「咳をしても一人」「墓地からもどつて来ても一人」などの作がある。
 一高、東大を出て会社では出世コースを歩みながら、
中途で栄達を捨て無一物の脱俗の生活の中で「入れものが無い両手で受ける」などの自由律の俳句を作っている。
最後は小豆島の草庵(そうあん)に入り、死を覚悟して一歩も外に出ようとしなかった。
(いおり)にまつってあるのはお大師様で、
観音経を「実に絶唱す可(べ)き雄大なる一大詩篇であると思ひ信じ」勤行(ごんぎょう)を欠かすことはなかった。
掲出句では<仏とわたくし>とあり、一人の世界ではなかったわけだ。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護/新潮文庫 平成17年)
なんとクサギの実がぽつんと一つだけ残っています。
このまま冬を越すのかな…?

テレビ消しひとりだった 大みそか
(「寅さん、何考えていたの?~渥美清・心の旅路~」)

喪中で新年の挨拶ができませんので
この一年、ご訪問していただきありがとうございましたm(_ _)m
来る年が皆様にとって葉痕のように
明るい笑顔の日々でありますようにお祈りしています。

4 件のコメント:

  1. こんばんは~

    >最後は小豆島の草庵(そうあん)に入り
    何年か前に
    「咳をしても一人」が心に残り、どんな人だったろう?
    小豆島に行った折に訪ねました。


    今年も当ブログへお訪ねくださいましてありがとうございました。
    来年もどうぞよろしくお願いいたします。


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    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/

      小豆島は職員旅行で訪ねたことがあるのですが、
      当時は放哉のことを知りませんでしたし、
      団体旅行なので自由に動けなかったのが残念です。
      知っていたら…

      いつもご訪問していただいたうえにコメントも書いていただきありがとうございますm(_ _)m
      今年もよろしくお願いします(*^O^*)/

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  2. KAZEさん

    おはようございます。
    いつも楽しみに拝見させて頂いています。
    でもお母様が入院されてからの日々は
    祈るような気持ちでお邪魔していました。
    皆さまにとって新年が幸多い年になりますように。
    今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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    1. becoさんこんばんは(*^O^*)/
      母が入院した時は、もう退院するとばかり思って
      父や妹と迎え入れる準備をしていました。
      それが叶わないことになり、悔しさと悲しさが押し寄せました。
      母との別れはまだまだ先のことと思っていただけに
      先のことは本当に分らないものだなと思いました。

      becoさんもお母さんとの時間を楽しんでください。

      ことしもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m