2017年12月9日土曜日

時雨れていたけど…

今朝は、ポツポツと時雨れてきて本降りなると困るなと思うほどの暗い空でした。


  野の霜といふことを
花すすき 枯れたる野辺(のべ)に 置く霜の むすぼほれつつ 冬は来にけり

花薄も枯れ、野辺一面に霜の置く冬、こころ鬱陶しいその冬がやってきた。
◇むしぼほれ 「むすぼほる」は、露や霜が置く意だが、心の鬱屈する意も掛ける。
(『金槐和歌集(旧版)』昭和56年)
江戸に時雨なし
 日本海側が時雨(しぐれ)、雪しぐれの日は、
関東平野など太平洋側は空っ風が吹いて雲ひとつない「冬晴れ」になる
(ただし関東北部の山沿いでは、
日本海側から山脈を越えてくる雲で、時雨、雪しぐれになる)。
そして冬の雨は主として南岸低気圧によって降り、
時雨と違って地雨(じあめ)になることが多い。
そこで江戸時代の随筆『傍廂(かたびさし)』(斎藤彦麿)も、
冬の時雨は「山多きところにては、山のあひより雲立ち出でて、
俄に雨ふり出づるかたはしより、日影さして、雨雲はよそにめぐり行き、
又あたよりくもり来て、雨ふりぬるが、やがて晴れゆくこと度々なり。
ふりみふらずみ定めなき物なれば、歌にさるよしよめるなり。
江戸にては、十月にても時雨にあらず。
まことに長雨日数ふるなり」と記している。
(『雨のことば辞典』)
せめて時雨(しぐ)れよかし 独り板屋(いたや)の淋しきに

◇(略)

板屋は板屋根葺きの粗末な家。

(略)

「せめて時雨なりとも降ってほしいものだ。
独りで板屋住(いたやず)まいをしている我が身が淋しくてならないから。」というので、
独り寝の淋しさの余り、せめて時雨でも訪れてほしいという、やるせない気持の表現。
(『新訂 閑吟集』)
シジュウカラ 
カラ類の中では、私たちになじみのもっともふつうの小鳥で、
夏はつがいの生活をしてなわばりをもち、
繁殖期をすぎた秋冬には、家族群、
あるいは数家族合同の大小の群れをつくって生活するといった、
鳥の中でも、その一年の生活がよくわっている種類でもある。
(『都市のバードウォッチング・バイブル』
    千羽晋示・柳沢紀夫著 朝日出版 1981年)
メジロは、樹液を舐めているのかな?
寒い雲がいそぐ
(『山頭火著作集Ⅰ あの山越えて』大山澄太編/潮文社 昭和47年)

風が強く雲の流れは速いけど青空が見えてきました(^。^)
散るぞいな・公孫樹もみじが忍性の塔をのこして散りいそぎおる
(『もしもし山崎放代ですが』)

・「忍性―救済に捧げた生涯―」(奈良国立博物館)
・「極楽寺境内・忍性墓」(文化遺産オンライン)
コゲラに出会えました(^。^)
キツツキが木を叩くことをドラミングといいますが、
我々が、あんなに高速で頭を動かしたら、
動かすだけでも脳震盪を起こしてしまいます。
キツツキ類はそうならないように、多くの進化を遂げています。
首は強靱な筋肉で覆われています。
くちばしは、ある程度の可動性があって、衝撃を吸収します。
頭の骨は、他の鳥より柔らかく梱包材の役割をしています。
そして、脳そのものも頭蓋骨の中にしっかり詰まっていて振動しません。
また、舌骨(ぜつこつ)と呼ばれる骨が発達して、
我々でいえば、あごの左右、いわゆる鰓(えら)のあたりから頭の後方に回って、
鼻のあたりまでつながっており、シートベルトのうように頭全体を守っています。 
(『身近な鳥の生活図鑑』)
 エナガはよく動き回る子なので…
手動でピントを合わせようとするのでなおさら追いつけません(@@;)
オタオタしているσ(^_^;を不思議そうな顔で見ていました(*゜∀゜*)
父の今日の一枚(^_^)v
シジュウカラ♂が朝ご飯を見つけていました。
28~112mm相当の機能しかないコンデジなのによく撮せたと思います。
(トリミングしています)
父も母と歩いている時に双眼鏡でバードウォッチングをしていました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m