2017年12月29日金曜日

晴れの予報だったけど曇り空…

まるでドライフルーツのようですが…

開いてみました。
ソシンロウバイの種です。
果実の構造は簡単に種まきしない構造」だそうです。
終章を結ぶことばを思ひゐる午前四時すでに山鳩の啼く  木俣 修
(『現代の短歌』)

   年の果ての歌
ゆく年の 行方(ゆくへ)を問(と)へば 世の中の 人こそひとつ 設(まう)くべらなれ

去りゆく年の行く先を尋ねると、自分の身にとどまって、
世の中の人は一歳ずつ年を授かるのであるらしい。

「年」には、年月・年齢の両義があり、
年月は去っても齢のほうは身に残るので、
人は歳をとってゆくのだともいう。
(『金槐和歌集(旧版)』昭和56年)
オシャレなアジサイだなと思いました(^^ )
水の中に顔を突っ込んでお尻を出しているマガモ(^。^)
この子も水の中に顔を突っ込んでいますが水鳥ではありません(^▽^)
シジュウカラが思いっきり水浴びをしていましたp(^-^)q
   老をまたずして鬢先におとろふ
行年や親にしらがをかくしけり  越人
(『芭蕉七部集』)
松林の下砂寒く清けきに下りゐし青鵄(あおじ)するどく立ちぬ  岡 団治
(『昭和萬葉集 巻十一 戦後は終った
   ―テレビ時代の幕開け 昭和30年~31年』講談社 昭和55年)
 樹をつついているけど啄木鳥ではありません(^^ )
   文殊奉納
山雀や文殊の智恵のむき胡桃  蓼太
(『俳諧歳時記(秋の部)』横關愛造編 改造社 昭和29年)
昨日の記事で平清盛や豊臣秀吉などのことを紹介しましたが
平家物語には、巻第一の「祇園精舎」の次に
清盛の父、忠盛(ただもり)のことが書かれています。
(現代語訳で転記します)

   殿上(てんじよう)の闇討(やみうち)

 しかるに、忠盛がまだ備前守(びぜんのかみ)であった時、
鳥羽(とば)院の御勅願寺(おんちよくがんじ)長寿院(ちようじゆいん)を造営献上し、
三十三間堂を建て、一千一体の御仏(みほとけ)を安置し奉った。
供養は天承(てんしょう)元年三月十三日である。
褒美には、国守欠員の国を賜わるとの仰せ、
そのおり欠国となっていた但馬(たじま)の国を賜わった。
上皇(じょうこう)はなおもお喜びのあまり。
その上禁裏(きんり)の昇殿をゆるしたほどである。
時に忠盛三十六歳、ようやく雲客の地位にあがると、
殿上人(てんじょうびと)たちはこれをそねみ、
同年十一月二十三日、五節豊明(ごせちとよあかり)の節会(せちえ)の夜、
忠盛を闇打ちにせんとはかった。
(後略)
(『現代語訳 平家物語』中山義秀訳 昭和42年)

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    >晴れの予報だったけど曇り空…
    ほんとにです。
    どの時間帯も晴れマークでしたよね。(^-^;
    信じてお洗濯ものいっぱいしたのですが。。。

    >年月は去っても齢のほうは身に残るので
    こちらもほんとです。(^-^;
    もう幾つ身に残ったことでしょう(笑)
    今ぐらいの年齢がお気に入りになっています。
    若くなく、年寄りまでもいかず、なんとなくちょうど頃合いがいいなぁ~と思える年頃です。
    ちょうどいいです。(^^♪

    >ソシンロウバイの種です
    素敵な色合いの種ですね。
    それでいて、淡い黄色の花が咲く。
    形もですが不思議な種ですね。

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    1. カイさんこんばんは(*^O^*)/

      冬の空は、急に変りますよね…予報が難しいと思います。
      京都に行った時は、大雪注意報が出ていましたが、青空が見えました(^-^)

      ゆく年の 行方を問へば…
      の歌は、実朝の歌ですが、実朝は1219年に暗殺(享年28歳、満26歳)されていて、
      金槐和歌集は1213年頃ですから実朝23歳といわれています。
      σ(^_^;は、そんな歳の時は、考えが甘かったな…(^_^;)

      ソシンロウバイは、蕾がどうかなと思って見ると種が出来ていました。
      今まで、気がつかなかったです。
      いつも見慣れていることでも見直すといろんな発見があるものですね(^。^)

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m