2017年12月25日月曜日

昨夜の雨も止んでくれて

昨夜、「非常に激しい雨の予測」というメールが届くほどでしたが、
朝には止んでくれました。
最初に出迎えてくれたのがジョウビタキ

次にジョウビタキの雄と出会いました。
この時期は、互いに縄張りを持っていて単独行動です(^_-)
Eテレのこころの時代「捨てられた石が礎となる」(再放送12月30日午後1時~2時)
2016年5月16日に訪ねた岩倉の
いわくら病院の崔秀賢さんがお話されていました。
捨てられた石が礎となる」という言葉は、
旧約聖書詩篇第118篇に記された言葉です。
   数ならぬ身はきゝ侍らず
岩倉の狂女恋せよほとゝぎす

[訳]岩倉の狂女よ、狂わしいほどに恋をしなさい。時鳥が鳴き過ぎる。
[語]数ならぬ身―とるに足らない身。
[解]ほとゝぎす、岩倉、物狂いの連想から、
恋ゆえに狂った女にますます「恋に生きよ」と呼びかけた。
(『蕪村句集 現代語訳付き』)
エナガに出会えたけど下に降りてきてくれませんでした(T^T)
突然、アオジが目の前に現れました(^。^)
 狩人(かりうど)の子はそれぞれに雀罠(すずめわな)

狩人の子は狩人の子だ。
めいめいに親の見真似で、雀罠を仕掛けているわい。
「雀罠」は雀を捕るために仕掛ける罠。
(み)や笊(ざる)などを地上に伏せかけ、餌を撒(ま)くなどの簡単な仕掛け。
子供の遊び。
(『誹風柳多留』宮田正信校注/新潮社 昭和59年)
12月25日は蕪村忌です(1783年/天明三年没)。
与謝蕪村の墓がある金福寺(こんぷくじ)を2016年に訪ねました。

我も死して碑(ひ)の辺(ほとり)せむ枯尾花  与謝蕪村

金福寺丘上の芭蕉庵のほとりは、いま枯尾花に埋もれている。
私もいずれは死ぬことであろうが、そのときはどうかこの芭蕉庵のほとりに葬ってほしいものだ。
そうすれば畏敬(いけい)してやまぬ芭蕉翁の霊魂のそば近く永久に侍坐(じざ)することができるのだから、との句意。
「我も死して」は、もし死んだらという未来の予測ではなく、
むしろ強く翁の霊に仕えたいという念願を吐露したものであり、それだけに「枯尾花」が象徴的である。
季語は「枯尾花」。
前書<金福侍芭蕉翁墓>
前書のように墓はなく、また碑もない。
おそらく記念碑というほどの意味であろう。
*蕪村の願いは、その死後門人たちのよって忠実にはたされた。
(『近世俳句俳文集 日本古典文学全集42』昭和47年)
芭蕉庵より高き蕪村の墓どころ雪は下より降りつもりゆく  阿部正路
芭蕉庵=ここでは、京都市金福寺のもの。
芭蕉没後に蕪村が建てた。
(『昭和萬葉集 巻十八 高度成長の終焉 昭和48年』講談社 昭和55年)
今朝、父が撮影した画像の中の一枚です(o^^o)

 鳥が飛ぶ仕組みは、プロペラエンジンを持った飛行機に似ています。
翼は飛行機の翼と同じ流線形の断面をしていて、体を空中に浮かす揚力を生みます。
翼の先端がプロペラの役目をし、はばたきが、このプロペラを動かすエンジンの働きをしているのです。
大きな鳥はゆったりとはばたくエンジン、小さな鳥は1秒間に十数回と小きざみにはばたくエンジンを持っているといっても良いでしょう。
旋回や方向転換は左右の翼のはばたきのバランスを変えたり、尾羽を利用して行います。
(『野鳥ブックス1 BIRD WATCHING―野鳥と出会うために』日本野鳥の会 1981年)

○ ○ ○ ○

夕食は、姪がボーナスが出たからとおごってくれることになりました(^_^)b
ボーナスをもらえるのは姪だけです(*´∀`*)
食事の前に電気店でワイヤレススピーカーを購入しました。
父へのクリスマスプレゼントです。
耳が遠くなっている父は、テレビの音がはっきりと分りません。
という私もですが(^_^;)
充電などをして明日から使えるようにしようと思っています。

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