今朝の天気予報では、「お花見日和」だそうです(^_^)v
今月末にも大阪は満開になるとか…
歩いていると暑くなってきたのでウィンドブレーカーを脱ぎました。
母が好きだったシダレザクラが満開になっていました。月曜日は、妹と神戸に行きましたが、
妹と歩いている時は曇り空でしたが雨にあいませんでした。
σ(^^;)ひとり歩いている時は雨…
おかげで水族館に入りました(^_-)
母と義弟が妹のために雨が降らないようにしていたのかも
水、木と父の通院でした。
不安定な天気でしたが、雨にあいませんでした。
母が、雨を降らさないようにしてくれたのかな?
心臓の上半分が壊死していると当時の主治医から知らされたときは、ショックでした。
退院後、ちょっとした胸の痛みでも不安になりました。
元来、気が小さくて少しのことでもクヨクヨするタイプなのですが、
少しずつ都合のいいように考えるようになりました(^^ゞ
「ポジティヴ」とまではいきませんが「都合のいいように」考えるようにしています(*^_^*)ばけばけ(125)第25週「ウラメシ、ケド、スバラシ。」
昨日の終わり方で、最終回、どうなるんだろうと???
冒頭、レーザーシューズをクマが「ばってん 西洋の靴ってなすですよね」
という会話にクスッとなり、
トキがフロックコートを「○○○○コート」と聞き違えているのを何気に見ていたのですが
その勘違いに気づいた瞬間、トキの泣き笑い
トキが憑依したかのような髙石あかりさんの演技にただただ見惚れていました。神戸からの帰り、地下鉄に乗ったときに私と妹の姿を見て
欧米のご夫婦の方が、席を譲って下さった。
とっさに「ありがとう」と日本語でお礼をいいました。
中学、高校、大学と英語を習ったのだけど……
言葉にはいろんなニュアンスがありますよね。
正直、日本語も怪しいですσ(^^;)
blogでいろんな文章を転記していますが、知らない言葉にいっぱい出会います。
日本語があやふやなので、転記して学んでいるといってもいいです。
町歩きのコメント欄に
「申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけます」
としているのは、言葉の微妙なニュアンスまで分からないので
日本語以外のコメントをお断りしています。
日本からのアクセスよりも諸外国からアクセスの方が多いのに申し訳ないと思っています。宮白羊さんの投稿(3月23日)
若い頃、僕はあまり言語に興味がなかった。
だからフランスに留学することになった時、母と父に外国語習得のコツを聞いてみた。
母はロシア語の通訳で、父も写真を撮るためにさまざまな国を旅してきて、何か国語も話せる。
何か特別な勉強法や近道があるのかと思っていた。
でも、二人は口をそろえて言った。
まず日本語をちゃんと勉強しろ、と。
母国語がしっかりしていなければ、外国語もうまくならない、と。
当時の僕は、そういうことが聞きたかったわけじゃない、と思った。
なんだか無駄に説教されたような気がして、ムッとして、それ以上は聞かなかった。
でも今になって、その意味が痛いほどわかる。
ある程度の年齢になってから新しく言語を学んでも、その言語能力が母国語を超えることは、ほとんどない。
母国語は、言語を入れる器だと思う。
器以上のものは入らない。
だから外国語を学ぶことは、外国語だけを覚えることではなく、自分の言葉をどれだけ持っているかを問い直すことでもあるのだと思う。 NYの会議通訳者が教える英語の投稿(3月26日)
【英語のお勉強】
slutty: 淫乱
性的な印象を与える下品な服装や、不適切と見なされる女性の性的な行動に対してよく使われる表現。
一国の代表に対してsluttyが使われたのは世界史上初かも。
しかしこりゃ酷いな。
ある投稿をリツイートされています。
その動画、AIであればいいのにと思いたくなる……
2011年8月23日の当時副大統領だったバイデン氏が東北の被災地を訪問して
被災者にメッセージを贈っています。
その恩に仇で返した方がいる。
大統領と一緒になって指さして笑っている。
東日本大震災の時にいろんな人間の姿をみましたが……
忘れられないアーティストがいます。第7章 ダメなものはダメ! 時代に感応するカナリアでいるために
「利他の喜び」を大切にしたい
最後の章のここまでは、「絶対にダメなもの」を挙げて、「時代のカナリア」として、また一人の女、一人の人間として警鐘を鳴らし続けたいということを書いてきましたけれど、ここからは、「絶対に必要なもの」幾つか取り上げておきたいと思います。
まず生きて行くうえで一番楽しいこと、固い言葉で言えばこれは「利他の喜び」ですが、自分のためではなく、人のために何ができるのか。
今風にわかりやすく言えば、ボランティアの楽しさということでしょうか。
(『時代のカナリア 今こそ女性たちに伝えたい!』湯川れい子 集英社 2022年) その最近の例としてご紹介しておきたいのが、シンディ・ローパーと東日本大震災のことです。
シンディはグラミー賞、エミー賞、トニー賞を受賞したアメリカを代表する歌手ですが、彼女とは1984年以来何回も取材をするうちに、歌手と評論家という枠を超えた、友人と呼べる関係になりました。 あの2011年3月11日の午後。
東日本大震災が発生した時間帯に、シンディは何度目かの日本公演のため成田に到着する予定でした。
そろそろシンディを乗せた飛行機が成田に着く、という、まさにその時間に地上で地震が起こっていて、私は大いに心配したのですが、あとで聞くと、着陸態勢に入っていた飛行機は着陸できないままに、いったん米軍の横田基地に着陸したあと、羽田に回って入国手続をしたとのこと。 その後、東京電力福島第一原発では、1号機から3号機が津波などによる影響で冷却装置が停止、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きていました。
そして発生した水素が建物の上部にたまり、1号機と3号機、4号機が続けざまに水素爆発を起こしています。
このテレビ映像を見て、日本に大使館を持つ国々はただちに脱出するための飛行機を用意。
いち早く日本を離れる外国人が多くいました。
シンディのバンドのメンバーも当然のように浮き足立っていましたが、シンディは彼らのこう言ったのです。「こんなときに、一緒に残ってほしいとお願いしてごめんさない。でも、私たちの公演で、少しでも大好きな日本の人たちを元気にしてあげたいの」
そして、私にはこう言いました。
「18日の東京公演最終日に、ぜひ会場で募金をしたいので、日本のアーティストにも声をかけてくれないかしら?」と。 私は彼女の熱い友情に感謝しながら、親しい人たちに声をかけると、コンサート活動などが自粛要請されている中、その日の会場には平尾昌晃さん、イルカさん、クミコさん、デープ・スペクターさん、相川七瀬さん、森口博子さん、Spontania(スポンテニア)のMassattackさん、テリー伊藤さんなどが募金箱を持って並んでくれたのでした。
特にクミコさんは、その直前に宮城県の石巻で津波に遭遇。
やっと車で東京に戻って来て、まだこの日は真っ青な顔色のまま会場に駆けつけてくださったのを覚えています。 シンディの思いと、その思いを受け止めた日本の人たちの心が一つになった、本当に胸が震えるようなシーンがそこにはありました。
そしてシンディは、3月11日から22日の大阪公演まで、家族から帰国するように毎日電話がかかってくるバンド・メンバーに頭を下げながら、23日に、やっと日本から帰国の途についたのでした。 帰国したシンディから「こういうときに日本で公演できて、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう」というメールをもらっていますが、シンディだってニューヨークに40歳でやっと産んだ一人息子を置いて来ているのに、放射能や余震の心配のある日本にとどまって、最後までコンサートを続けてくれたことだけでも、本当に頭が下がる出来事でした。
…後略…
(『時代のカナリア 今こそ女性たちに伝えたい!』湯川れい子 集英社 2022年)今朝の父の一枚です(^^)/
途中で珈琲タイムをしているのですが、
その時は、モズに会えなかったと残念がっていました。
帰り道に会えたので喜んでいました。
ヒヨドリとの出会い
そこで、都会にもいろいろな野鳥がすんでいるということを、最近都会の鳥に加わったヒヨドリの生活をとおして紹介してみましょう。
私が野鳥観察をはじめたのは、小学校5年のときです。
そのころのノートを見ると、ヒヨドリは秋にやってきて、春になると山へ帰る〝漂鳥(ひょうちょう)〟だったことがわかります。
夏の間はヒヨドリを観察したという記録は書かれておらず、9月の終わりころになって、はじめてヒヨドリのことが登場しはじめるからです。
じつはそのころ、ヒヨドリという種名を知りませんでした。
しかし、葉を落とした校庭のプラタナスの梢で「ピーヨロロ、ピーヨロロ」とかん高い声で鳴く、スマートな鳥には気がついていました。
自分で勝手にピーヨ鳥と名づけていました。
そして飛ぶときは、直線的な飛び方ではなく、はばたいては休み、はばたいては休む、波形の飛び方をすることに気がついていました。
しかし、いつもシルエットでしか見ることができないため、色や模様がわからず、図鑑で調べることもできません。
ところがある日、校庭のアオキの実をついばむのに夢中なピーヨ鳥を間近で見ることができたのです。
長く鋭いくちばし、ほおの栗色、体の色は灰色ですが全身に細かな斑紋(はんもん)がちりばめられているのが、印象に残りました。
尾が長いなとも感じました。
…つづく…
(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)














