2026年3月16日月曜日

明日から

春になると母は、その下で座るのを楽しみにしていた
シダレザクラがポツポツと咲いていました。
ソメイヨシノも明日には、咲きそうな蕾がありました。
明日から彼岸の入り(17日~23日)。

ソメイヨシノ開花 岐阜と高知で発表 全国で最も早く」(NHK)
美の壺「京の味 春」(2024年の再放送)で
春を味わう「行楽弁当」、「京たけのこ」、「よもぎだんご」などが紹介されていました。
どれも美味しそうでしたよ(*^O^*)

 蓬餅(よもぎもち) 

 3月になると「おまん屋」の店頭では、よもぎ餅が春を告げる。
雛祭には菱形に作ったよもぎ餅を供える家もあり、よもぎ餅は草餅とも呼んで、香りや緑色の野趣が喜ばれている。
しかし、草餅は古代には蒸したほうこぐさ(誤って母子草という)をいれて搗(つ)いていたが、室町時代の中頃から蓬の若葉を蒸して搗き入れるようになった。
小豆餡をはさんで二つ折りにし、きな粉をかけているのが一般的であるが、丸い大きなよもぎ大福餅も人気がある。

  両の手に桃とさくらや草の餅  芭蕉
  鶯のきてぞめづらん草の餅   嵐雪

(『京都歳時記』宗政五十緒・森谷尅久編集 淡交社 昭和61年)
先日、大文字山の火床に登りましたが、五山の送り火などが禁止された時期があります。

第八章 破壊された古都―奈良、京都 
 送り火、地蔵盆も禁止

 
 奈良県と並ぶ宗教都市、京都。
この京都でも神仏分離政策によって、多くの仏教行事が一時期、中止に追い込まれる事態となった。
例えば「五山の送り火」や地蔵盆、盆踊りなども軒並み「仏教的だ」ということで禁止になっていた。
(『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳 文春新書 2018年)
 同時期、東京に都が移ったので、京都の街は著しく衰退する。
京都に活力を取り戻すべく近代化政策が推し進められていくが、そこにも多数の寺院の犠牲があった。
例えば京都の中心に架かる四条大橋は京都の近代化における目玉事業だったが、そこには仏具が溶かされた鉄筋が使われたのである。
 このように明治初期、京都は廃仏毀釈によって多くの仏教文化を失った。
時間を150年前に戻してみていきたい。
 京都・鴨川に架かる四条大橋。
例年8月16日、橋の上はお盆の「五山の送り火」を鑑賞する浴衣姿の人々でごった返す。
ここからは見通しがきくので、送り火鑑賞の名所になっているのだ。
 お盆は先祖の霊をこの世に迎え、回向をする仏教行事だ。
この時期、仏壇の前に精霊棚を設け、死者がこの世とあの世を往復するための乗り物「ナスの牛」や「キュウリの馬」を用意し、菩提寺の和尚を自宅に招き、仏壇の前で経を唱えてもらう。
同時に、自分たちも墓詣りをする。
そして、お盆の明けには「送り火」や「灯籠流し」をもって、ご先祖様をあの世に送り届けるのである。
 京都におけるお盆のハイライトが、送り火だ。
五つの山に「大文字」「左大文字」「妙・法」「船形」「鳥居形」が灯される。
昔は四条大橋から鳥居形以外の四山を鑑賞することができたというが、近年、ビルなどが立ち並び、送り火を一望するのは難しくなってきた。
ちなみに筆者の自坊からは鳥居形が真正面に見える。
その燃え盛る炎にのせ、先祖の魂は虚空へと舞い上がり、あの世へ戻っていく。
この時、コップに入れた水に送り火の炎を映して飲めば、無病息災が約束される、との言い伝えがある。
 実は、この送り火の縁起については謎が多い。
平安時代に空海が始めたとも、室町時代に足利義政が夭折した義尚の菩提を弔うために考案したとも言われている。
江戸時代には「一」「蛇」「長刀」「い」「竿に鈴」など計十山で送り火が行なわれていたというから、それは壮観だったに違いない。
 送り火ひとつとっても、京都市民の仏事を大事にする心が伝わってくるようである。
送り火の後、各町内で子供たちのお盆、「地蔵盆」という行事が催される。
京都では伝統的に地蔵信仰が深く根付いている。
路地を歩けば、地蔵を祀(まつ)った祠(ほこら)がすぐに見つかることだろう。
 地蔵盆は町内会ごとの行事だ。
お地蔵さんに化粧を施し、よだれかけを新しくし、地域の子供らが地蔵を囲む。
そして、近隣の寺から和尚が呼ばれて、読経に合わせて数珠回しなどをやり、福引、スイカ割りなどのゲームも催される。
地蔵盆は、宗教上の結社である「講」の一種だ。
こうした講が、都市部の広範囲でずっと受け継がれているのである。
 しかし、送り火にしても地蔵盆にしても、京都人が長きにわたって守り、今に伝わる仏教文化が一時期、失われたことがあった。
1871(明治4)年10月、京都府は次のような府令を出す。

  当府下町々の内(うち)従来大日・地蔵の像を置き、町中にて是を祭祀し無益に米銭を寄付し(…後略…)

 この府令は、京都市内の各町内の路傍における地蔵や大日如来像などは無益で、怪しく、人を惑わすものであるから、早々に撤去するようにと命じたものである。
仮に霊験あらたかな仏像であるならば、路傍に乱暴に置かずにきちんと祀るのがよかろう、と一方的な見解を示し、但し書きには、地蔵堂などは売却し、得た金銭は小学校に寄付せよとある。
 実際、この府令によって京都市内の路傍の石像がかなり撤去されたようだ。
当時二条城に火の見櫓を建設する際の台座は、地蔵を集めてつくられ、また、小学校の柱石に地蔵が使われるケースもあったという。
 続けて、京都府は1872(明治5)年7月8日に以下のような布令を出している。

 (…省略…)

 かいつまんで言えば、以下のようになる。
夏のむし暑いさなか、地蔵盆などで地域住民が集まって飲食しては、食中毒になりかねない。
送り火と称して無駄な焚き火をし、ほかの仏事もまったく科学的根拠もない迷信だから今後は一切、禁止する、という内容である。
徹底した仏事への嫌悪を感じさせる布令である。
 この布令によって五山の送り火、地蔵盆、盆踊りなどのお盆の諸行事が禁止に追い込まれたのだ。
それどころか、正月の門松、施餓鬼、三月のひな祭り、五月の端午の節句、七月の七夕など「仏教的な民間信仰」とのことで御法度(ごはっと)になったという。
送り火の禁止措置は1882(明治15)年まで続く。
 しかし、京都の夏の一大イベント、送り火を禁止するとはよっぽどのことである。
どういう背景があったのであろうか。
 たしかに送り火の場合、神仏混淆(こんこう)の要素が見られる。
たとえば、右京区嵯峨鳥居本の曼荼羅山で灯される「鳥居形」。
送り火は仏教行事のはずなのに、神社を象徴する鳥居が灯されるのである。
明らかにこれは神仏が習合している。
 鳥居形の送り火の由来については諸説ある。
地元鳥居本の麓には、愛宕神社へと続く「一の鳥居」があって、その一の鳥居を模したのではないかという説が有力である。
 実際、愛宕神社自体が、江戸時代までは完全に神仏習合した宗教施設であった。
京都の愛宕神社は全国に九〇〇を数える愛宕神社の総本宮である。
創設は大宝年間(701~704年)で、修験道をはじめた役行者が開いたと伝えられている。
781(天応元)年に勅命を受けた和気清麻呂が境内地に白雲寺を建立する。
そして、神仏総じて「愛宕大権現」の名称で、神仏習合の修験道場になっていく。
 江戸末期までには境内に勝地院、教学院、大善院、威徳院、福寿院などの坊が立ち並ぶ一大聖地となり、多くの社僧が住持した。
東の比叡山延暦寺にたいして、西の愛宕山愛宕大権現といった位置づけであっただろう。
 だが、神仏分離令が発布されるや、白雲寺をはじめとする神宮寺は軒並み廃寺処分になり、愛宕大権現は「愛宕神社」と名称を変えた。
同時に、送り火も中止になった。
 愛宕大権現には本地仏の勝軍地蔵が鎮座していた。
だが、西京区大原野の天台宗金蔵寺に移され、同寺境内に愛宕大権現堂が新たに建立されて安置された。
こうして愛宕山からは、一切の仏教色が排されたのだ。
 明治維新時、京都では、仏教にたいする弾圧はまるで真綿で首を絞めるごとくじわじわと、そして、断続的に断行されていったのである。
(『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳 文春新書 2018年)
今朝の父の一枚です(^^)/
昨日は、会えなくて残念がっていました。

 観察眼をやしなう 

 野鳥観察の第一歩は野鳥を見つけることです。
これはあたりまえのことですが、じつはなかなかむずかしいことでもあるのです。
 きみたちの友だちにも、野鳥好きの人が一人はいるはずです。
ちょっと聞いてみてください。
「このあたりにはどのような野鳥がすんでいるの?」って。
 そこがたとえば大都会でも「スズメ、ムクドリはもちろん、キジバト、ヒヨドリ、ハシブトガラス、カワラヒワ、シジュウカラなどは一年中いるし、そうそう、今年はヒヨドリがうちの庭で巣づくりしたよ」というような答が返ってくるでしょう。
 「そんな野鳥知らないや」なんて言わないでください。
だれでも一度は見かけているはずです。
ところが、残念なことに見過ごしてしまったり、気がつかないでいることが多いのです。
 どうして見過ごしてしまうのでしょう。
原因の一つは、観察眼がないためです。
観察眼というのは、視力が良いとか悪いとかいうことではありません。
ものごとを見ぬく力のことです。
 探偵小説に登場する名探偵を思い出してください。
えらそうにいばる刑事を尻目に、次つぎと証拠をさがし出し、犯人を捕まえる名探偵のことです。
刑事も探偵も同じものを見、聞いていますが、名探偵は刑事にくらべ、より多くのことを発見するのです。
この発見する力が観察眼なのです。
 観察眼は、学校の勉強ではやしなうことができません。
観察眼をやしなうには、自然を観察するのが一番です。
しかし、自然観察をするには鋭い観察眼が必要なのです。
 だけど、これではどうどうめぐりです。
いつまでたっても観察眼はやしなえません。
それでは見過ごしてしまうもう一つの原因を考えてみましょう。
 それは、どの野鳥を見てもスズメだと思いこんでしまうことです。
都会にはスズメ、カラス、ドバトしかすんでいないと信じきっている人がたいへん多いのです。
ですから、「ウグイスが庭にやってきました」といっても、にわかには信じてもらえないのです。
特におとなの人がその傾向が強いようです。
これでは、ほかの鳥を見ても、なんだろうという疑問はわいてきません。

 …つづく…

(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)

明日から病院通いが続きリハビリ散歩に行ける日があまりありません。