虫に会えないかなぁと思ったけど会えなかったです。
下を見ながら歩いているとキュウリグサが咲いていました。
メジロなどの小鳥には、ほとんど出会えないのですが
野草などに季節の移り変わりを感じています。昨日は、風が冷たいので歩いて皮膚科を受診(片道15分ほど)。
高齢になるにしたがって体がかゆくなり、寝ている間にかいてしまっていることがあります。
特に冬場は、空気が乾燥しているのでなおさらかゆくなります。
保湿する軟膏を処方してもらっています。
3か月でマスターする人体「(8)最大の臓器・皮膚」でかゆみをとりあげていました。
かゆみというのはひとつの防御機構なんだそうです。 かゆみはなぜ起こる?
アレルギー反応として、かゆみが現れることがあります。
また、服のタグが肌に触れたとき、髪の毛が首筋にかかったときも「かゆい」と感じます。
このかゆみは、体が「ここに何かあるぞ。取り除いて!」と警告しているサインです。
皮膚が異物や刺激を感じると、神経がすぐに反応して「かゆい」という信号を脳に伝えます。
かゆみに誘われてかくことで、その異物や刺激物はかき出されますが、もし異物や刺激物が皮膚に付いたまま気付かなかったら、感染症などを引き起こす危険もあるでしょう。
つまり、かゆみは身を守るために備わった、優れた仕組みといえます。
また、かさぶたの周りがかゆくなるのも同様に体からのサインです。
かさぶたの下では新しい皮膚がつくり出されていて、かさぶたが取れないと傷が完全に塞がらないため、「早く取って傷を塞ごう」というメッセージがかゆみとなって表われているのです。
(『NHK3か月でマスターする 人体 2026年2月号』椛島健冶他 NHK出版) しかし、ここで問題となるのは、かき過ぎです。
かゆいとつい強くかいてしまいます。
すると皮膚のいちばん外側のバリアである角層が傷ついて、細菌やアレルギー物質などが入り込みやすくなります。
体は「敵が侵入してきた!」と判断して、かゆみ物質をさらに放出します。
そのため、ますますかゆくなって、またかいてしまうという悪循環に陥ってしまうのです。
一方、皮膚に刺激がなくてもかゆくなることがあります。
ストレスや不安にさらされるとかゆみが生じることが知られていますが、脳や自律神経、ホルモンなどが関わる複雑な仕組みで、詳しいメカニズムは解明されていません。
(『NHK3か月でマスターする 人体 2026年2月号』椛島健冶他 NHK出版) 昨日から季節は
春 三節気
啓蟄(けいちつ)
土の中で冬ごもりをしていた虫たちが、そろそろ活動を開始するころ。
「啓」は開く、「蟄」は冬眠している虫を意味しています。
「虫」という漢字は、もともと蝮(まむし)の姿をかたどった象形文字。
昔は昆虫に限らず、蛇や蛙、蜥蜴(とかげ)など、小さな生き物はすべて虫と呼ばれていました。
このころの雷は、「虫出し雷」といわれます。
ちょうど初雷が鳴りやすい時季。
昔の人々は、虫たちがこの雷に驚いて外に這い出してくるものだと考えていました。
(『イラストで楽しむ日本の七十二候』アフロ著、森松輝夫絵 中径出版 2013年) 地蟲出づふさぎの蟲に後れつつ 相生垣瓜人(あいおいがきかじん)
土中にすむ虫を総称して地虫という。
虫は蟲(むし)の略体で、虫+虫+虫と多くの虫の意。
上田五千石には「啓蟄に引く虫偏の字のゐるはゐるは」のユーモラスな句がある。
うようよいるイメージだが、それら冬ごもりの虫が地上にはい出る節季を啓蟄という。
ところで掲出句の話題でもう一つは<ふさぎの蟲>だ。
ふさぎこんでいることを虫のせいにする表現で、気分がすぐれないことをいう。
世の中はさまざま煩雑(はんざつ)になりすぎて、社会の構造変化に伴うストレスの増大で<ふさぎの蟲>はいつなんどきでも這(は)い出てくる。
地蟲に先駆けてというより、無季の<ふさぎの蟲>が這いまわっている。
生前は瓜人仙境と親しまれた俳人の作。
1898~1985 兵庫県高砂生まれ。
百合山羽公と二人で「海坂(うなさか)」主宰。
句集『微茫集』『明治草』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)中井久夫さんの『戦争と平和 ある観察[増補新装版]』に
「人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である。その亡霊は白昼横行しているように見える」
中井さんが昆虫について書かれています。
昆虫についてアンケートに答えて
1 昆虫についての思い出について。
昆虫好きのたくさんの友人を思うと、筆がためらわれ、虫そのものを思うと私の胸がちくりと痛むのですが、幼年時代、少年時代の私は昆虫に相手にしてもらえませんでした。
私はあまりに鈍かったのです。
今なお、庭に鳥が来ても、確かめるまでに逃げられてしまう鈍さです(なぜか、ゴキブリを捕まえるのだけは名人で、彼らは私の待ち構えるティッシュ・ペーパー中へやさしく滑り込んできます。実際は、彼らは簡単な方程式を解いて行動しているのでしょう。ただ、嫌悪感が彼らを逃がしてしまう……)。
(『隣の病』中井久夫 ちくま学芸文庫 2010年) 私は必然的に草木派でした。
母がよく草木の名を知っていました。
その中には地方名も多く混じっていましたけれども。
私は、堀辰雄の、とうに忘れられているであろう人間二分法に従えば「ファウナ」的でなく「フローラ」的でありました。
今もそうでしょう。
ちなみに、三島由紀夫氏は、私の見立てでは全く「フローラ」的であって、私に劣らない「運動拙劣症候群」(命名者はフランスの神経学者デュプレ)なのに、無理に「ファウナ」に転身しようとした方であろうと思われます。
私にもそういう誘惑はありましたが、それを抑えて、幼年時代は「女の子みたい」といわれる自分を認めて、たぶんそれで助かったのでしょう。
庭の片隅に自由に植物を植えてよい一画を貰って、キンギョソウやナデシコを咲かせた時の感激は今も生きています。
むろん、そこには蜜蜂の唸りも、蝶の時たまの訪れも欠けてはいませんでした。
三歳少しのことです。 昆虫に関するいちばん最初の記憶は、たぶん昭和13年、四歳の時で、引っ越しした先の住宅地を流れるせせらぎに蛍が出るのを、夏の宵になると祖父が長靴を履いて、悪童どもを引き連れて川に入り、籠(かご)いっぱいに取ったことでしょうか。
小学校への行き帰りに見た、オニヤンマのメスがツンツンと田んぼの水面に産卵している情景は五十年後の今でも思い出します。
オニヤンマのオスを捕まえた時には興奮しました。
私がこの王者を捕まえるのはめったにないことでした。 若い時の仕事に、カイコの多角体ウイルスのDNAを取って、これをヒトの組織培養細胞継体株に入れると、ヒトの細胞がこの昆虫ウイルスをまるごと造りだすというのがあります。
実際には、共同研究者の姫野道夫氏(現・大阪府大名誉教授)のカイコとその病気への馴染み、そして何よりも氏の不屈の根気によるものでありました。
周囲がまさか出来るまいと思っていた仕事で、DNA暗号の大きな普遍性の一端を立証した実験ですが、刊行が遅れてヒトと昆虫との間に共通性があるという程になりました。
しかし、ヒト細胞の中にきらめく多角体は実に美しいもので、私の名が載っている論文では最も洒落(しゃれ)たものになっています(Virology,33,507-514,1967)。
小学校を出てから最近まで、私と昆虫との縁はこの実験だけかもしれません。
11年前に神戸の垂水に家を買った当座は、裏山に登ると神社があって、その人一人が通れるほどの細い参道は枝を差し交わすカシ、シイ類などで昼なおほの暗く、その幽邃(ゆうすい)な空間にクロアゲハが舞っておりました。
これは、神戸の山からマツクイムシによってマツが駆逐され、照葉樹林が千年ぶりだかに立ち戻ってきて、開発が及ぶまでのわずか数年に出合ったことになります。 2 昆虫採集をしていますか。
私は昆虫を採集していませんが、昆虫採集家を採集しているのかもしれません。
私の友人には、結局行き着くところ、オサムシ屋になってしまう人が多いようです。
中にはオサムシの触角だけに付くキノコ類の研究家もいました。
採集、収集、その他の趣味の話になると、私は、人間の趣味を採集する採集家であると自称してきました。
3 ファーブルの『昆虫記』を読んでいますか。
ファーブルの『昆虫記』を読んでいないと書くと、絶交状が何通か舞い込むでしょうか。 4 昆虫についての本を二冊あげて下さい。
田添京二氏のほうの『虫の居どころ』八朔社、1991年。
杉山恵一『ハチの博物誌』青土社、1989年。
いずれも個人的ひいきからです。
田添先生は、私がスコットランドで精神医学史を書きあぐんでいた時、『神曲』でいえばウェルギリウスに当る導き役をして下さった方です。
タゾエ何とかという昆虫が4種あることはずっと後に知りました。
経済学者、経済史家、アダム・スミスに先駆けたスコットランド経済学者スチュワートの研究家です。
杉山氏は、友人の夫人の兄上で、私がもっとも行き詰まっていたころ、家に呼んでメシなどをよく食べさせて下さった人です。
生物学者、詩人。
最近は環境保護学者でもあります。 5 その他昆虫について何でも。
若き日のヴァレリーは親友のジッドに昆虫学をやるように勧められています。
実際には昆虫採集でしょう。
きっと、ヴァレリーが精神集中か不器用な恋愛かで精神に失調をきたさなかいと心配したのでしょう。
ヴァレリーの答えは「蜘蛛ならまだしも。あれは孤独な織り手、忍耐づよく、絶対の無謬性 absolue infaillibilité に至るから」でした。
彼の詩に出てくる昆虫は南欧人らしく「蜜蜂」と「蟬」だけで、動物は圧倒的に「蛇」。
彼のノートにどれだけ蛇の絵が出てくることか。
「蜘蛛もたしか一度は出てきます。
ルーヴルの16世紀の陶器のお皿のグロテスクな蛇などの生々しい模様を見て、彼の絵を思い出しました。
「ヴァレリーの趣味はよくない」と私はひそかに思っています(これも公言すると絶交状ものの人があるでしょうか)。 ヴァレリーの「蜜蜂」は勤勉だからでもあり、刺して意識の覚醒度を高めてくれもします。
また、髪の中への口づけをしゃれて「蜜蜂一匹の重み」といっています。
「蟬」は「清潔な蟬は乾燥を掻き鳴らす」L’insecte net gratte la sécheresse;というのが、彼の名句の一つとされています。
なぜ、insecteが蟬であるのか。
きっと、かつてのヴァレリーがうたい、今は眠る故郷セートの墓地には蟬しぐれの他はありえないからでしょう。 私も「昆虫学」を友人に勧められたら断わったでしょうが、蜘蛛や蛇のほうへ行くとは言わなかったでしょう。
私はカブトガニやシーラカンスの本を楽しく読んでいますが、ひそかに尊敬しているのはクジラとウマです。
ウイルス学をやりとおせなかったのは、私がウイルスに尊敬にせよ何にせよ感情を抱けなかったからかもしれません。
対象を愛せずには研究がやれない人間もあるという一例でしょう。
(「ユリイカ」第27巻10号、1995年)
(『隣の病』中井久夫 ちくま学芸文庫 2010年)よく「日本の伝統文化」と仰る方がおられますが、
日本の伝統や文化への意識が明治維新時代に逆戻りしたと情けなくなる事態になっています。
明治維新の時にあの興福寺の五重塔などが売却され薪になる寸前でした。
あの阿修羅像などが燃やされる可能性がありました。
日本の文化財の価値を欧米の人達が認め海外へ流失しました。
日本の絵画や仏像などが欧米で保存され展示されている。
そんな危機が再び訪れようとしている。
「フェノロサ」(奈良の近代化をささえた人々 奈良県)
「国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討…30年度までに文化庁」(読売新聞 3月4日)山崎雅弘さんの投稿(3月5日)
読売新聞は、完全に文化庁側の言い分だけ垂れ流しで広報拡散しているが、これが何を意味するか理解できる人間が社内にいないのか?
国立博物館や国立美術館に「採算」を求め、達成できなければ閉館って、「金が無いなら展示物や収蔵物を売って現金化しろ」ということですよ?
千田嘉博さんの投稿(3月5日)
奈良国立博物館の職員の方々は、貴重な仏教・神道芸術の文化財を守り、究明し、未来へ伝え、そのすばらしさを、すべての人が体感して「やさしくなれる」博物館を実現するために、日夜献身を重ねておられます。
そうした奈良博の取り組みを、収益の指標で評価するのは、とても適切と思えません。
龍谷ミュージアム元館長のつぶやきさんの投稿(3月5日)
「他者」を大切にしない。
「人の命」を大切にしない。
「文化」を大切にしない。
「歴史」を大切にしない。
そんな権力者たちが地球を荒らしています。
昆虫についてアンケートに答えて
1 昆虫についての思い出について。
昆虫好きのたくさんの友人を思うと、筆がためらわれ、虫そのものを思うと私の胸がちくりと痛むのですが、幼年時代、少年時代の私は昆虫に相手にしてもらえませんでした。
私はあまりに鈍かったのです。
今なお、庭に鳥が来ても、確かめるまでに逃げられてしまう鈍さです(なぜか、ゴキブリを捕まえるのだけは名人で、彼らは私の待ち構えるティッシュ・ペーパー中へやさしく滑り込んできます。実際は、彼らは簡単な方程式を解いて行動しているのでしょう。ただ、嫌悪感が彼らを逃がしてしまう……)。
(『隣の病』中井久夫 ちくま学芸文庫 2010年) 私は必然的に草木派でした。
母がよく草木の名を知っていました。
その中には地方名も多く混じっていましたけれども。
私は、堀辰雄の、とうに忘れられているであろう人間二分法に従えば「ファウナ」的でなく「フローラ」的でありました。
今もそうでしょう。
ちなみに、三島由紀夫氏は、私の見立てでは全く「フローラ」的であって、私に劣らない「運動拙劣症候群」(命名者はフランスの神経学者デュプレ)なのに、無理に「ファウナ」に転身しようとした方であろうと思われます。
私にもそういう誘惑はありましたが、それを抑えて、幼年時代は「女の子みたい」といわれる自分を認めて、たぶんそれで助かったのでしょう。
庭の片隅に自由に植物を植えてよい一画を貰って、キンギョソウやナデシコを咲かせた時の感激は今も生きています。
むろん、そこには蜜蜂の唸りも、蝶の時たまの訪れも欠けてはいませんでした。
三歳少しのことです。 昆虫に関するいちばん最初の記憶は、たぶん昭和13年、四歳の時で、引っ越しした先の住宅地を流れるせせらぎに蛍が出るのを、夏の宵になると祖父が長靴を履いて、悪童どもを引き連れて川に入り、籠(かご)いっぱいに取ったことでしょうか。
小学校への行き帰りに見た、オニヤンマのメスがツンツンと田んぼの水面に産卵している情景は五十年後の今でも思い出します。
オニヤンマのオスを捕まえた時には興奮しました。
私がこの王者を捕まえるのはめったにないことでした。 若い時の仕事に、カイコの多角体ウイルスのDNAを取って、これをヒトの組織培養細胞継体株に入れると、ヒトの細胞がこの昆虫ウイルスをまるごと造りだすというのがあります。
実際には、共同研究者の姫野道夫氏(現・大阪府大名誉教授)のカイコとその病気への馴染み、そして何よりも氏の不屈の根気によるものでありました。
周囲がまさか出来るまいと思っていた仕事で、DNA暗号の大きな普遍性の一端を立証した実験ですが、刊行が遅れてヒトと昆虫との間に共通性があるという程になりました。
しかし、ヒト細胞の中にきらめく多角体は実に美しいもので、私の名が載っている論文では最も洒落(しゃれ)たものになっています(Virology,33,507-514,1967)。
小学校を出てから最近まで、私と昆虫との縁はこの実験だけかもしれません。
11年前に神戸の垂水に家を買った当座は、裏山に登ると神社があって、その人一人が通れるほどの細い参道は枝を差し交わすカシ、シイ類などで昼なおほの暗く、その幽邃(ゆうすい)な空間にクロアゲハが舞っておりました。
これは、神戸の山からマツクイムシによってマツが駆逐され、照葉樹林が千年ぶりだかに立ち戻ってきて、開発が及ぶまでのわずか数年に出合ったことになります。 2 昆虫採集をしていますか。
私は昆虫を採集していませんが、昆虫採集家を採集しているのかもしれません。
私の友人には、結局行き着くところ、オサムシ屋になってしまう人が多いようです。
中にはオサムシの触角だけに付くキノコ類の研究家もいました。
採集、収集、その他の趣味の話になると、私は、人間の趣味を採集する採集家であると自称してきました。
3 ファーブルの『昆虫記』を読んでいますか。
ファーブルの『昆虫記』を読んでいないと書くと、絶交状が何通か舞い込むでしょうか。 4 昆虫についての本を二冊あげて下さい。
田添京二氏のほうの『虫の居どころ』八朔社、1991年。
杉山恵一『ハチの博物誌』青土社、1989年。
いずれも個人的ひいきからです。
田添先生は、私がスコットランドで精神医学史を書きあぐんでいた時、『神曲』でいえばウェルギリウスに当る導き役をして下さった方です。
タゾエ何とかという昆虫が4種あることはずっと後に知りました。
経済学者、経済史家、アダム・スミスに先駆けたスコットランド経済学者スチュワートの研究家です。
杉山氏は、友人の夫人の兄上で、私がもっとも行き詰まっていたころ、家に呼んでメシなどをよく食べさせて下さった人です。
生物学者、詩人。
最近は環境保護学者でもあります。 5 その他昆虫について何でも。
若き日のヴァレリーは親友のジッドに昆虫学をやるように勧められています。
実際には昆虫採集でしょう。
きっと、ヴァレリーが精神集中か不器用な恋愛かで精神に失調をきたさなかいと心配したのでしょう。
ヴァレリーの答えは「蜘蛛ならまだしも。あれは孤独な織り手、忍耐づよく、絶対の無謬性 absolue infaillibilité に至るから」でした。
彼の詩に出てくる昆虫は南欧人らしく「蜜蜂」と「蟬」だけで、動物は圧倒的に「蛇」。
彼のノートにどれだけ蛇の絵が出てくることか。
「蜘蛛もたしか一度は出てきます。
ルーヴルの16世紀の陶器のお皿のグロテスクな蛇などの生々しい模様を見て、彼の絵を思い出しました。
「ヴァレリーの趣味はよくない」と私はひそかに思っています(これも公言すると絶交状ものの人があるでしょうか)。 ヴァレリーの「蜜蜂」は勤勉だからでもあり、刺して意識の覚醒度を高めてくれもします。
また、髪の中への口づけをしゃれて「蜜蜂一匹の重み」といっています。
「蟬」は「清潔な蟬は乾燥を掻き鳴らす」L’insecte net gratte la sécheresse;というのが、彼の名句の一つとされています。
なぜ、insecteが蟬であるのか。
きっと、かつてのヴァレリーがうたい、今は眠る故郷セートの墓地には蟬しぐれの他はありえないからでしょう。 私も「昆虫学」を友人に勧められたら断わったでしょうが、蜘蛛や蛇のほうへ行くとは言わなかったでしょう。
私はカブトガニやシーラカンスの本を楽しく読んでいますが、ひそかに尊敬しているのはクジラとウマです。
ウイルス学をやりとおせなかったのは、私がウイルスに尊敬にせよ何にせよ感情を抱けなかったからかもしれません。
対象を愛せずには研究がやれない人間もあるという一例でしょう。
(「ユリイカ」第27巻10号、1995年)
(『隣の病』中井久夫 ちくま学芸文庫 2010年)よく「日本の伝統文化」と仰る方がおられますが、
日本の伝統や文化への意識が明治維新時代に逆戻りしたと情けなくなる事態になっています。
明治維新の時にあの興福寺の五重塔などが売却され薪になる寸前でした。
あの阿修羅像などが燃やされる可能性がありました。
日本の文化財の価値を欧米の人達が認め海外へ流失しました。
日本の絵画や仏像などが欧米で保存され展示されている。
そんな危機が再び訪れようとしている。
「フェノロサ」(奈良の近代化をささえた人々 奈良県)
「国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討…30年度までに文化庁」(読売新聞 3月4日)山崎雅弘さんの投稿(3月5日)
読売新聞は、完全に文化庁側の言い分だけ垂れ流しで広報拡散しているが、これが何を意味するか理解できる人間が社内にいないのか?
国立博物館や国立美術館に「採算」を求め、達成できなければ閉館って、「金が無いなら展示物や収蔵物を売って現金化しろ」ということですよ?
千田嘉博さんの投稿(3月5日)
奈良国立博物館の職員の方々は、貴重な仏教・神道芸術の文化財を守り、究明し、未来へ伝え、そのすばらしさを、すべての人が体感して「やさしくなれる」博物館を実現するために、日夜献身を重ねておられます。
そうした奈良博の取り組みを、収益の指標で評価するのは、とても適切と思えません。
龍谷ミュージアム元館長のつぶやきさんの投稿(3月5日)
「他者」を大切にしない。
「人の命」を大切にしない。
「文化」を大切にしない。
「歴史」を大切にしない。
そんな権力者たちが地球を荒らしています。

















