5日から「啓蟄」なんだけど冷たい風が吹いているので
虫に出会えないなぁと思っていたら
アセビに蜘蛛(ウロコアシナガグモ?)がジーッとしていました。 東京大学の投稿に
91年前の今日。
1935年3月8日、「忠犬」で知られる秋田犬ハチ公が渋谷の片隅で息を引き取りました。
既に亡き飼い主は東京帝大農学部教授の上野英三郎。
渋谷駅前にあるハチ公の銅像はよく知られていますが、東大農学部キャンパスの「ハチ公と上野英三郎博士像」のふれ合う姿も人気です。
(画 像)遠藤誉さんの記事に
〝イラン「ホルムズ海峡通行、中露には許可」〟(中国問題グローバル研究所 3月6日)
ネタニヤフが「逮捕されないために、ひたすら戦争を続けている」ということは世界の多くの人が知っている事実だろうが、それを証明するかのようにトランプが「イスラエルのヘルツォグ大統領に、汚職容疑で起訴されているネタニヤフ首相に対する恩赦を認めるよう改めて要求した」というのだ。
一人の汚職容疑者の恩赦を実現するためにイラン攻撃を断行した。
米国内におけるイスラエル支持派の票田が欲しいからだ。
これが民主主義国家の大統領の選択であるという事実に、力も抜けてしまう。
わが国の高市首相は、そのトランプを讃え、日本船舶がホルムズ海峡を通過できないようにするのだろうか。暗澹たる思いだ。
…… …… ……
アメリカ大統領も同じくエプスタイン文書などの問題を国民から目をそらすためにイランを攻撃している。
二人が罪から逃れるためにどれだけ多くの命を奪おうというのだろう。
「文化庁 国立博物館や美術館に数値目標 批判や不安の声も」(NHK 3月7日)
一方、 飛行機乗れないのでいけませんが「大英博物館」の常設展は無料だそうです。
明治維新の日本の文化や伝統を否定した時代へ逆戻りしようとしている。
朝ドラ「ばけばけ」で怪談などは迷信で古くさいと否定されていた時代へ
廃仏毀釈で多くの文化財が破壊され海外へ流出していたことは知っていたけど
奈良のシカまで受難を受けていた……第八章 破壊された古都―奈良、京都
焚き火にされた天平の仏像
奈良の廃仏毀釈のキーワードは「文化財破壊」である。
奈良における廃仏毀釈の波は、東大寺や法隆寺、薬師寺、西大寺、唐招提寺などにも及び、多くの貴重な仏像が焼かれ、そして国外に流出した。
とくに激烈を極めたのが、冒頭で少しふれた興福寺であった。
興福寺といえば、国宝や重要文化財の宝庫のように思われているが、廃仏毀釈で相当な量の宝物、文化財が毀損された。
後述するように、奈良のシンボル、シカまでが廃仏毀釈のターゲットにされたのである。
…中略…
(『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳 文春新書 2018年) 現在、興福寺に残る国宝仏は32体、重要文化財は17体である。
だが、それらは廃仏の難を逃れ、同寺に残り続けることができた幸運なごく一部の仏像たちなのだ。
教科書にも載っている阿修羅像(乾漆八部衆立像)や運慶が制作に関わったとされる無著(むじゃく)・世親(せしん)像などがそれに当たる(いずれも国宝)。
しかし、それらの仏像も金堂内陣の片隅に、無造作に放置されていた。
あまりに粗雑に扱われた結果、阿修羅像の腕二本が欠け落ちてしまったという説も伝えられている(廃仏毀釈との因果関係は検証されていない)。
燃料にできないような金属製の仏具は売り払われ、溶かされていった。 タダ同然で売り払われた五重塔
730(天平2)年に光明皇后の発願によって建てられた五重塔(国宝)も破却されるところであった。
現在の興福寺五重塔は五度の焼失を経て室町時代に再建されたものだ。
高さ50メートル、京都・東寺(教王護国寺)の五重塔に次いで、国内では二番目に高い塔である。
だが、規模が大きいために解体費用がかかるとのことで、民間に売却されることになった。
その金額は二十五円。
当時の一円は現在の価値で2000~4000円と推定できるから、最大でも10万円程度であろう。
今では日本を代表する仏教建築物が、タダ同然の金額で売り払われたのである。 五重塔の買い手は、塔を護持するつもりなどはなく、塔に使われていた金属が目当てだったという。
最初は塔の頂上に綱を掛けて、万力で引き倒そうとした。
しかし、そんなことではビクともしない。
そこで、火を放てば容易に金属を採取できると考えた買い手は、塔の周辺に柴を積んだ上で、近隣住民に「塔を焼くから、火元に気をつけよ」という知らせを出したという。
だが、この告知を出したことで、周辺に類焼する可能性があるとして、住民の反発を受けて頓挫した。
結局、足場を組んで解体する費用などが捻出できなかったことで、五重塔はかろうじて破却を免れたのである。
…中略… 奈良のシカがすき焼きに
廃仏毀釈による興福寺の衰退は、意外なところにも影響を与えた。
興福寺周辺を住処にしているシカが難に遭っていた。
奈良公園には国の天然記念物のシカが現在も1200頭近く生息する。
市街地にありながら、野生のシカが人間社会と共存している事例は極めて珍しい。
かの地におけるシカの歴史を辿れば、少なくとも8世紀に遡る。
『万葉集』ではシカの歌が詠まれている。 768(神護景雲2)年、この地に春日大社が創建された。
その時、祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)がシカに乗ってやってきたと伝えられ、以降、シカは神の使いであるとして手厚く保護されてきた。
奈良のシカが人に慣れ、安全に暮らせているのは、春日大社という大樹に寄り添ってきたからなのである。
一般社団法人東京奈良県人会によれば、中世以降1000年以上にわたって、およそ500~1000頭のシカが保護され続けてきたという。
その間、春日大社は神仏習合の時期が長かった。 鎌倉時代に描かれた「春日鹿曼荼羅」(奈良国立博物館蔵)のシカの描かれ方は、実に仏教的である。
雲の上に神々しいシカがおり、その背中につき立てられた榊(さかき)の枝先に、五体の仏菩薩が浮かび上がっている。
この仏菩薩は春日大社の祭神の本地仏という位置付けだ。
つまり、奈良のシカは、「仏の使い」の要素のほうが濃かったといえよう。 シカは興福寺の広大な境内に野生し、興福寺もシカを手厚く保護した。
興福寺や春日大社のシカにたいする神格化は著しく、時にシカを殺(あや)めた市民が死罪になることもあったという。
しかし、明治初期の廃仏毀釈によって興福寺が著しく荒廃すると、シカを保護する機運が失われた。
第一代県令である四条隆平は、シカを神仏の使いであるとの迷信を払拭するため、シカ狩りを行った。
シカはすき焼きにされて食べられ、一時期、絶滅の危機に瀕するほどに頭数を減らしたという。
(『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳 文春新書 2018年)
「春日鹿曼荼羅」(奈良国立博物館)
蹴鞠の鞠の主な材料は鹿の革でできています(美の壺「まんまるの美 まり」)
番組で紹介されていたのは白峯神宮です。昨日放送された
知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「なぜ“神さま 仏さま”なのか」
まだ録画を最後まで見ていないのですが、
日本人のルーツを考えると明治政府がどれだけ日本の文化・伝統を破壊したかがわかる。
よく「日本の伝統」を言う方は、いつからのことを言っているのか。
多くは、明治維新からの伝統だと思いますが、2026年は「皇紀2686年」に比べれば、スケールの小さい伝統だと思いませんか!
〝……第5回は「なぜ“神さま 仏さま”なのか」神社とお寺どちらにもお参りする日本人の“祈り”を徹底解剖!〟(ステラnet 3月7日)
弾圧されたのは、仏教だけではありません。 ⅴ 宗活生教の改編
民俗行事の抑圧
ところで、祖霊崇拝と氏神祭祀に民衆の宗教意識を集約させ、それを国家的な神々の祭祀に連結しようとする宗教政策からすれば、氏神の合併と小祠の廃併合だけが重要なのではなかった。
こうした国家の祭祀体系に対立するのは、民俗信仰と民俗信仰的な行事・習俗の全体であるから、それらの全体が迷信・猥雑・浪費などと見なされ、廃絶の対象とされていった。
そして、この政策原理は、露骨な廃仏政策が撤回されたあとでも一貫しており、むしろ強化されていった。
…中略…
(『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―』安丸良夫 岩波新書 1979年)啓蒙的抑圧
だが、民俗信仰や民俗行事・習俗への抑圧が一般化するのは、明治5年以降のことである。
山梨県のばあいでも、2年の禁令はやや特殊な位置をしめ、禁制が強化されるのは、5・6年ごろである。
こうして山梨県では、5年には、正月の門松、立春の追儺(ついな)、厄攘(やくじょう)、節季候(せきぞろ)などが禁止され、秋祭の日もバラバラで何日も家業を休み失費が多いとして、9月の天長節の日か10月10日に一定せよと令し、6年には、「今日ノ風化ニ背クモノ」として、
①神仏に託した種々の講、
②神仏の縁日、日待(ひまち)・月待(つきまち)・厄日待(やくびまち)・洗垢離(こり)、
③いわれのない勧化勧物、乞食への施し、
④淫祠の堂宇の建立、
⑤浄瑠璃・三味線などを学んで業を怠ること、
⑥たびたび小祭をなし群飲浪費すること、
⑦婚姻・喪祭・出産・宮参りなどの饗応が分にすぎること、
などを禁じた(『山梨県史』三)。
この禁令は、開明的地方官としての藤村紫朗(しろう)の、啓蒙的な確信にもとづくものである。
梓巫(あずさみこ)・市子(いちこ)・憑祈禱(つきぎとう)・狐下げ・玉占・口寄(くちよせ)の禁止、博奕(ばくち)、吹矢(ふきや)、村々に芝居・狂言の「劇場」を建てることなどの禁止、盂蘭盆会(うらぼんえ)の廃止、瞽女(ごぜ)の禁止なども、おなじ趣旨である。
こうした民俗信仰や民俗行事・習俗こそが、民衆の注意を家業からそらし、地域を疲弊させ、秩序を紊乱(びんらん)させる最大の原因とみなされたのである。
そして、民俗的なものへのこの対抗において、藤村たちは、国家の富強と地方支配の強化をめざすとともに、おそらく、民衆の開明化と安寧や幸福もめざしていたのであって、それにゆえにこそ彼らは、積極的な課題意識に燃える啓蒙的専制主義者となることができたのであった。
blogの記事を書くときに何度か見直しているのですが、それでも間違えます(^_^;
3章 ことばのふしぎ編
34 作文を何度も読み返して書くけど書き間違いに気づかないナンデ?
それは… 文脈効果
心理学者のブルーナーが行った「書きくずしたB」という実験があります。
事前に与えられた情報によって、同じ字が「B」に見えたり「13」に見えたりするのです。
このように前後の文脈や状況によって脳が「意味がわかる」ように補正をかけてくれる現象を「文脈効果」といいます。
「文脈効果」によって、文章にちょっとした間違いや誤字脱字があっても、脳は勝手に意味が通るように読んでしまいがちなのです。
ふしぎ現象コラム
「文脈効果」の「文脈」とは、文章とは限りません。
においや音、景色など、あらゆる情報の前後関係を含みます。
(『大人も知らない? 続ふしぎ現象事典』編「ふしぎ現象」研究会、絵 大田垣晴子 MICRO MAGAZINE 2023年)
②神仏の縁日、日待(ひまち)・月待(つきまち)・厄日待(やくびまち)・洗垢離(こり)、
③いわれのない勧化勧物、乞食への施し、
④淫祠の堂宇の建立、
⑤浄瑠璃・三味線などを学んで業を怠ること、
⑥たびたび小祭をなし群飲浪費すること、
⑦婚姻・喪祭・出産・宮参りなどの饗応が分にすぎること、
などを禁じた(『山梨県史』三)。
この禁令は、開明的地方官としての藤村紫朗(しろう)の、啓蒙的な確信にもとづくものである。
梓巫(あずさみこ)・市子(いちこ)・憑祈禱(つきぎとう)・狐下げ・玉占・口寄(くちよせ)の禁止、博奕(ばくち)、吹矢(ふきや)、村々に芝居・狂言の「劇場」を建てることなどの禁止、盂蘭盆会(うらぼんえ)の廃止、瞽女(ごぜ)の禁止なども、おなじ趣旨である。
こうした民俗信仰や民俗行事・習俗こそが、民衆の注意を家業からそらし、地域を疲弊させ、秩序を紊乱(びんらん)させる最大の原因とみなされたのである。
そして、民俗的なものへのこの対抗において、藤村たちは、国家の富強と地方支配の強化をめざすとともに、おそらく、民衆の開明化と安寧や幸福もめざしていたのであって、それにゆえにこそ彼らは、積極的な課題意識に燃える啓蒙的専制主義者となることができたのであった。
地方官の主観的な開明的な政策と民俗的なものとのこうした対抗は、この時期に一般的な現象であった。
たとえば、滋賀県のばあい、若者仲間が禁止されたのは明治3年であったが、これは5年の地蔵祭と左義長の禁制につらなったと思われる。
死者をおさめた棺に六道銭(ろくどうせん)をいれることを禁じたり、神饌(しんせん)に獣肉も供えよとしているのも、ほぼ同一の対抗関係の一部であろう。
ところが、こうした抑圧策は、他方では、官吏と路上で出会っても土下座してはならないとか、一村のなかで新来者を「新組」などとして差別するのは不当だと啓蒙的な平等観ともあい補っており、元日には平生閑居の者も正月を祝うように命ぜられたりもしている。
(『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―』安丸良夫 岩波新書 1979年)
今朝の父の一枚です(^^)/たとえば、滋賀県のばあい、若者仲間が禁止されたのは明治3年であったが、これは5年の地蔵祭と左義長の禁制につらなったと思われる。
死者をおさめた棺に六道銭(ろくどうせん)をいれることを禁じたり、神饌(しんせん)に獣肉も供えよとしているのも、ほぼ同一の対抗関係の一部であろう。
ところが、こうした抑圧策は、他方では、官吏と路上で出会っても土下座してはならないとか、一村のなかで新来者を「新組」などとして差別するのは不当だと啓蒙的な平等観ともあい補っており、元日には平生閑居の者も正月を祝うように命ぜられたりもしている。
(『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―』安丸良夫 岩波新書 1979年)
blogの記事を書くときに何度か見直しているのですが、それでも間違えます(^_^;
3章 ことばのふしぎ編
34 作文を何度も読み返して書くけど書き間違いに気づかないナンデ?
それは… 文脈効果
心理学者のブルーナーが行った「書きくずしたB」という実験があります。
事前に与えられた情報によって、同じ字が「B」に見えたり「13」に見えたりするのです。
このように前後の文脈や状況によって脳が「意味がわかる」ように補正をかけてくれる現象を「文脈効果」といいます。
「文脈効果」によって、文章にちょっとした間違いや誤字脱字があっても、脳は勝手に意味が通るように読んでしまいがちなのです。
ふしぎ現象コラム
「文脈効果」の「文脈」とは、文章とは限りません。
においや音、景色など、あらゆる情報の前後関係を含みます。
(『大人も知らない? 続ふしぎ現象事典』編「ふしぎ現象」研究会、絵 大田垣晴子 MICRO MAGAZINE 2023年)

















