2026年2月24日火曜日

冷たい風が吹いて

天気予報では4月並みの気温になるとのことでしたが
朝、歩いていると風が冷たかったです。
それでも青空が見えると暖かくなりました。
アセビ(馬酔木)が咲き出しました。

今夜からは天気は崩れるみたいですね…
ハンバート ハンバートと「笑ったり転んだり」を語ったり♪
で、チーフ演出の村橋直樹さんが、ハンバート ハンバートに渡したのが『思ひ出の記
そして口には出さなかったけど「ひとつの指針だった」という詩があります。
分けて転記しますが、原文通りではありません。

 賑やかな生活である 

誰も居なかつたので
ひもじい、と一声出してみたのである
その声のリズムが呼吸のやうにひゞいておもしろいので
私はねころんで思ひ出し笑ひをしたのである
しかし私は
しんけんな自分を嘲つてしまふた私を気の毒になつたのである
(『山之口貘全集 第一巻 全詩集(旧版)』思潮社 1975年)
私は大福屋の小僧を愛嬌でおだてゝやつて大福を食つたのである
たとへ私は
友達にふきげんな顔をされても、侮蔑をうけても私は、メシツブでさへあればそれを食べるごとに、市長や郵便局長でもかまはないから長の字のある人達に私の満腹を報告したくなるのである
メシツブのことで賑やかな私の頭である
頭のむかふには、晴天だと言つてやりたいほど無茶に、曇天のやうな郷愁がある
あつちの方でも今頃は
痩せたり煙草を喫つたり咳をしたりして、父も忙がしからうとおもふのである
妹だつてもう年頃だらう
をとこのことなど忙がしいおもひをしてゐるだらう
遠距離ながらも
お互いさまにである
みんな賑やかな生活である
(『山之口貘全集 第一巻 全詩集(旧版)』思潮社 1975年)

高瀬耕造アナが手に持っていたのは岩波文庫の『山之口貘詩集』だと思います。
歌詞にある「夕日がとても綺麗だね 野垂(のた)れ死ぬかもしれないね」
何故、この言葉になったのかという視聴者の質問に
佐藤良成さんは「なんででしょうね…?
いろんな解釈を生む言葉ですね。
私は、芭蕉の句を連想しました

   病中吟

 旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)
           (『芭蕉俳句集』岩波文庫)

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も旅人でした。
もっと長生きしていたら、また、外国への旅に出たのではないでしょうか?
伏見稲荷大社を訪ねた時に「いなり ふたば」で豆餅をお土産に買って
京都のおまんやさん 普段づかいのおやつ散歩』から転記しました。
また2月19日に転記した「はじめに」には、「お菓子屋さん」と「おまんやさん」の2種類あることが紹介されていました。
次に紹介する本には本家の「出町 ふたば」が紹介されていて
塩味の秘密が書かれていますので紹介します。
  こねるな、なぶるな、出しゃばるな。 出町ふたばの豆餅

 可愛らしい生き物のような「豆餅」。
大原女が出町界隈を行き交っていた頃は、この2倍の大きさがあったそうだ。

「何も飛び出たものがない」
 これは、東京のある和菓子屋さんのご主人が、[出町(でまち)ふたば]の「豆餅」を指して言った言葉だ。
塩の利かせ具合、赤えんどう豆の固さ、あんこと餅の比率。
そのバランスのよさが、東京にある数々の豆大福と比較してもピカイチだという。
それを[出町ふたば]の3代目・黒本平一(くろもとへいいち)さんに伝えたら、「なかなかそこまで見てくださる方はいませんね。もし近くに店を構えはったらライバルになる人ですな」と返ってきた。
(『何度でも食べたい、あんこの本』姜尚美 文春文庫 2018年)
「うちは餅屋です。だからあくまで餅がおいしくないといけません。あんも、うちの場合は餅を味わってもらうためのもの。そこが、あんを食べさせるおまん屋さんや上生菓子屋さんのお菓子と違うところです。だから、あんが餅より目立ちすぎては具合が悪いんです」
 黒本さんはきっぱり言った。
確かに[出町ふたば]の歴史は、餅と共にある。
黒本さんの祖父である初代の三次郎さんは、石川県の米どころ、加賀小松の生まれ。
「京都で餅屋をやってみたい」と志し、明治32年(1899)、現在お店がある出町の地で、故郷に伝わる赤えんどう豆入りの餅「豆餅」に、あんこを入れて売り出した。
当時は、薪の束を頭にのせて売り歩く大原女(おおはらめ)のおやつとして人気があったそうだ。
あんこが入っても「豆大福」ではなく「豆餅」として売られているのは、加賀の豆餅を京都に根づかせた初代に敬意を表してのことだろう。
「うちの豆餅は、餅に少し塩を入れるんですが、これも加賀だけのことみたいですね。私が店を継いだ当時の京都の同業者さんらに、餅に塩? そんなことしたらあかんで、とよう言われました」
 その代わり、あんこに塩は入れない。
塩を入れるのは、砂糖をたくさん使えない場合に甘さを引き立たせる、昔ながら手法だ。
「うちのあんこに塩を入れてしまったら、たぶん甘さがしつこくなってしまうと思います。後口に甘さが残らないよう砂糖には気を配っていますが、昔から変わらず糖度はしっかりあるんですよ」
 餅とあんこの微妙な塩梅。
それに加えて、ここの「豆餅」がおいしいのは、何といっても、こしあんであるところ。
大福といえば、庶民のお菓子らしく粒あんが主流。
でも、こちらでは、おじいさんの大から自家製のこしあんだそうだ。
赤ちゃんのほっぺたのような分厚く嚙みごたえのある餅に、ゴロゴロ入った超大粒の赤えんどう豆。
その両者をこしあんがつなぎ、まとめて、黒子のように盛り立てている。
まさに「餅を食べさせる」あんこ。
おにぎりに対する梅干しくらい、いい仕事っぷりだ。
「こしあんは、主に餅の中に入れるものに使います。おはぎなど、あんが表に出るものは粒あんがおいしいと思いますね。でも炊く量は大部分がこしあんです」
 実は、お餅屋さんで、こしあんまで自家製のお店は稀である。
京都の和菓子屋さんには、意匠に凝ったその店独特の菓子を出す上生菓子屋さん、饅頭や最中を出すおまん屋さん、餅や餅菓子を出すお餅屋さんの3種類ある。
おまん屋さんやお餅屋さんは、粒あんは自家製でも、こしあんは仕入れという店が意外に多い。
「こしあんを家でとるのは大変ですからね……。昔は京都にも300軒くらい和菓子屋さんがありましたが、こしあんをやっておられるとこは少なかったように思います。それにあの頃は、製あん所もきばって朝の搾りたての生(なま)あんを配達したはりました」
 このあたりは、周辺に名水が多い御所の方から流れてくる地下水にも恵まれている。
お店の近くにあるあん炊き場でも、新しく深く掘った井戸の水が、おいしいあんこ作りに一役買っているそうだ。
 そして、黒本さんが「おじいさんの代から変えていないこと」に、餅のあんを包む鉄則がある。
「餅にあんを包む時は、まずあん玉を作ってから包むのが一般的なんですが、うちは、へらで直接詰めます。あん鉢から1個分だけ取って、ひと息に詰めきる。炊けたあんは、できるだけなぶらないように、練らないようにするんです。搗き上がった餅も手でちぎります。理由はわからないし、考えたこともないんですけどね。おじいさんの代からそうしている。なぜか練るとおいしくなくなるんです」
 魚のおつくりも何回も触っていると手の温度でおいしくなくなるでしょう。
黒本さんがわかりやすいたとえをしてくれた。
[出町ふたば]に「栗餅」という秋の名物がある。
ハンチング帽みたいにのっかった丹波栗とこしあんの相性がこの上なくいいお菓子だ。
栗を蜜漬けしていないのがいいですね、と伝えると、「そういえばえらい原始的な栗餅を作ってるな、と今になって気づいた」そうだ。
行列は絶えず、様々な本に紹介されて、その名が東京に轟いても、[出町ふたば]にはまだわからないことがいっぱいある。

「豆餅」買ったらすぐ食べたい。
考えることはみな同じ。
店のすぐそば、鴨川の三角州で「豆餅」を食べる人と目が合うとお互い照れ笑い。
(『何度でも食べたい、あんこの本』姜尚美 文春文庫 2018年)

試し読み」があります。
今朝の父の一枚です(^^)/
カワヅザクラがこんなに咲いていると例年ならメジロが来ていたのに…
昨日、
関東地方で「春一番」 気温も上昇 5月並み暖かさのところも〟(NHK首都圏 2月23日)

 「暖かくて危険な強風『春一番』」つづき 

 低気圧がもたらす春一番の暖かい風は、雪を溶かして川を増水させます。
もう少し穏やかに溶かしてくれればいいのですが、自然はそれほど人間に親切ではなく、急激に雪を溶かして、ときには雪崩や洪水を引き起こします。
 また、急速に発達する低気圧は、広い範囲に強風をもたらし、ときには海難事故を起こすことがあります。
その強風を指す春一番という言葉は、もともと長崎県の壱岐(いき)の漁師さんが使っていた言葉でした。
春先に吹き荒れる強風によって、かつて海難事故が起こり多くの漁師さんの命が失われました。
その慰霊のために、また悲劇を語り継ぎ再び災害が起こらないことを祈るために、壱岐市郷ノ浦町(ごうのうらちょう)には「春一番の塔」が建っています。
穏やかな春をイメージさせる春一番という言葉は、もとは春先の強風の危険性を言い伝えるものだったのです。
 キャンディーズには、春一番という言葉が現れる歌がもう一つあります。
それは解散直前に発表した「微笑(ほほえみ)がえし」で、前向きだけれど別れの寂しさを歌っています。
その歌詞には、春一番が巻き起こす渦が描かれていて気象学的でもあります。
春は始まりの季節であるとともに、別れの季節でもあり、私たちの心には期待感と寂寥感の両方が混在します。
暖かいけれど強風をもたらす春一番は、そんな複雑な気持ちを人の心に引き起こす風なのかもしれません。
気象は人の生活だけでなく、心にも影響を与えるのですね。
(『天気のからくり』坪木和久 新潮選書 2025年)