2026年2月19日木曜日

乾燥注意報

二十四節気の「雨水」なんですが
今日も「乾燥注意報」が出ていました。
乾燥注意報が続いているからか
病院では、受付で長い列をつくっていました。
まだまだインフルエンザの流行は治まっていないようです。

北・東日本太平洋側と西日本の少雨に関する全般気象情報 第2号」(気象庁 2月17日)

インフルエンザ患者数 前週の約1.4倍に 5週連続増 B型割合増加」(NHK 2月16日)
ヤブツバキの蜜が滴っていました。

 雨水(うすい)
 二四節気の一つ。
立春のあと十五日目で、旧暦では正月の中(ちゅう)。 
雪や氷が解け、水分が雨となって降るようになる意味で、ようやく春の気が動きだすといわれる。
(『京都歳時記』宗政五十緒・森谷尅久編集 淡交社 昭和61年)

晴れて風の強い日は、花粉が飛散します。
眼科で花粉症の目薬を処方してもらいました。
花粉の飛散予測 平年の約1.3倍に 2月下旬から飛散エリア拡大か」(NHK 2月17日)
先日の伏見稲荷大社を訪ねた時に「伊勢屋稲荷に犬の糞」という江戸の名物を紹介しましたが、
以前、杉浦日向子さんの観察記録(?)を転記したときに間違った箇所があるので、再度、転記します(^_^;

D・F(ドキュメントタッチ フィクション)
或る日の江戸地上約一尺観察
        試みる人 杉浦日向子
[1] 江戸大通りの観察


路上観察の為江戸へ行く。
 地上約一尺に目標を決めたので始終下ばかり向いて歩く。
おかげで今回は一度も犬の糞を踏まなかった。
「伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」とは江戸に多いもののたとえだ。
足元に気をつかわずに歩けるのは大通りの商店の軒際だけだ。
 江戸人は、流石に心得ており、もっぱらはじを通行する。
時折、急ぐ奴がその外側を走る。
商店は丁稚を使い絶えず店の前を掃除しているが、道のまん中は自然に取り残されてゴミの中州ができている。
ここの掃除は公式行事の時だけだ。

 …後略…

(『路上観察学入門』赤瀬川原平、藤森昭信、南伸坊編 ちくま文庫 1993年)

イラストが描かれているので本をご覧下さい(^^)/
京都の和菓子のお店には、二通りあるそうです。

 はじめに 

まんじゅう、大福、団子にお餅……どこか懐かしい味わいの、普段づかいの和菓子、通称「おまん」は、京の人々の暮らしに欠かせない存在です。
京都では、茶席などに使う上菓子を作る和菓子店を「お菓子屋さん」と呼び、それに対して普段家で食べたり、ちょっと手土産にする気軽な和菓子のお店を「おまんやさん」と呼びます。
町内に何軒もあるおまんやさんの多くは、家族で営む小さなお店。
その手作りの温かい味は、地域の人々によって守られてきました。
(『京都のおまんやさん 普段づかいのおやつ散歩』アリカ編著 東京地図出版 2009年)
おまんやさんを訪ねる楽しみの一つは、その日の朝に作られた「朝生菓子(あさなまがし)」。
春の桜餅に、夏の水無月、秋の栗大福……その季節にぴったりの姿と香り、食感を味わうひとときに、心が和みます。
古い伝統行事に合わせたお菓子も多く、昔ながらの暮らしを営む京の人々には、なくてはならない季節の味です。
本書では、そんな京の日常に寄り添う、おいしい「おまん」と出会えるお店をご案内。
さらに社寺の門前で数百年にわたって名物菓子を作るお店や、普段づかいに長く愛されてきた、豆菓子やおせんべいなどのお店も紹介しています。
小さな路地や商店街、地元の信仰が篤い社寺など、お店の周りの何気ない風景も掲載。
京都の町に色づく、しみじみおいしい味を訪ねるお散歩へ、この本を片手に、ぜひお出かけください。
(『京都のおまんやさん 普段づかいのおやつ散歩』アリカ編著 東京地図出版 2009年)
復刊してくれないかな…
アイヌの美―彩りと輝き―」展でチカップ美恵子さんの刺繍を初めて見ました。
本も読みたいと思ったのですが、多くは品切れや絶版になっているようです。
図書館で借りた本に

 未来への扉 

 一枚の布に向かうとき、布いっぱいに創造の世界がひろがっていく。
布の素材や色、大きさなどから文様のイメージと構図が決まり、早速ひと針、ひと針をすすめていく。
 思えば、物があふれ、大量に消費され捨てられていく時代に逆行するような作業だ。
しかし、一つひとつ物をつくっていくという作業にはつくり手の思いが〝ぬくもり〟となって伝わり、規格品にはなかなか感じられない味わいがある。
 このような仕事は古くから世界中の人々にさまざまなかたちで伝わってきた文化であろうと思うのである。
しかし、人々はいつのまにか〝便利〟さを追求するあまり、〝ぬくもり〟を伝える手仕事に目を向けなくなったのではないだろうか。
(『風のめぐみ アイヌ民族の文化と人権』チカップ美恵子 御茶の水書房 1991年)
 それは私たちがアイヌ民族の文化を否定されてきたことにもつながっているようにも思う。
しかし、どうだろうか。
アイヌ民族を〝未開だ〟〝野蛮だ〟〝原始的だ〟といってきた文明人の心は安らぎどころか、荒廃していくばかりではないだろうか。
 ひと針、ひと針の作業をすすめていくとき、ふと、先祖たちの思いを感じることがある。
否定されても、いかに否定されようとも、捨てることなく針を持ち続けてきた女たちの魂。
それがアイヌ文様刺繍にあらわれている。
アイヌ文様は女たちが描く心象風景だ。
 物をつくり、それをだいじに使う。
そんなあたりまえのことが忘れられている。
今はそんな時代になっている。
スピーディさを要求される今の社会でひと針、ひと針の手仕事は時間がかかり、実にやぼったい作業かもしれない。
しかし、安らぎを感じることの少ない時代だからこそ、やぼったさのなかにある〝良さ〟にも気付いてほしいなって思うのである。
そこにこそ光り輝くものがあると思うから。
 そして、それは一人ひとりの人に対しても同じ。
ちがっていて、あたりまえ。
そんな時代が未来の二十一世紀には、何ら不思議さも感じることのない社会になってほしいと望むものである。
 それは、針を持ち続けてきた女たちからのメッセージでもあると思うから。
              チカップ美恵子

(『風のめぐみ アイヌ民族の文化と人権』チカップ美恵子 御茶の水書房 1991年)
伏見稲荷大社の記事の中で清少納言を男性の研究者は、『紫式部日記』という色眼鏡(?)で見ているのでは?といったことを書きましたが

第1章 清少納言とホトトギス
 文芸史上最も好まれた鳥の意外な側面
 
 清少納言と中宮・定子


 清少納言がここまでホトトギスに惚れ込むのはなぜなのか、托卵の生態や、姿や声などを科学的に知っている現代人にはどうも理解しがたく思ってしまいます。
ただ、忘れてはいけないのは、彼女は歌人であったことでしょう。
父の清原元輔(きよはらのもとすけ)は三十六歌仙の一人で、『万葉集』の読解研究を行った著名な歌人でした。
また祖父(曾祖父とも)の清原深養父(ふかやぶ)も『古今和歌集』の代表的歌人でした。
そんな血筋、家柄に育った清少納言は『万葉集』の世界でホトトギスがどういう存在だったのか熟知していたはずです。
その価値観で物を見ていたからこそ、卯の花や花橘に来て鳴くホトトギスをことのほか愛でていたのでしょう。
(『鳥たちが彩る日本史 武将・文人と交わる8種類の鳥』 大橋弘一 山と渓谷社 2025年)
 ここで清少納言とはどんな人物だったのか、少し歴史をたどってみたいのですが、じつは、一条天皇の中宮(ちゅうぐう)・定子(ていし<さだこ>)に仕えた女房だったことと『枕草子』を残したこと以外は伝わっていることは少なく、正確に彼女の人となりを知ることは困難です。
本名さえ不明であり、生まれた年も定かではありません。
生年は康保(こうほう)元(964)年、天禄(てんろく)元(970)年、天禄2(971)年などの説があり、現在の定説では推定康保3(966)年となっています。
 令和6(2024)年のNHK大河ドラマ「光る君へ」ではファーストサマーウイカさんが演じた清少納言。
高畑充希さん演じる定子に心酔し、何よりも定子のためを思う様子がきめ細かく描かれていました。
『枕草子』はそんな定子のために、定子とともに過ごす中でこそ書くことができた作品と言えるはずです。
『枕草子』の中でも定子の聡明さや人柄、美しさを賞賛しており、絶対的な敬愛と信頼を置いていたことがうかがえます。
清少納言の文学者としての才能が開花したのは、定子という理想的な主に仕えることができたことが大きかったと考えられます。
 清少納言が定子に仕えていたのは正暦(しょうりゃく)4(993)年からおよそ7年間でした。
一条天皇の寵愛を深く受けていた定子ですが、長徳(ちょうとく)元(995)年には関白であった父・藤原道隆が突然亡くなってしまいます。
さらに翌年には兄・藤原伊周(これちか)の左遷と不運が続き、立場が暗転してしまいます。
それでも定子は、長保(ちょうほう)2(1000)年に一条天皇との間の三人目の子を産みましたが、難産の末に25歳の若さで崩御してしまうのです。
それとともに清少納言も失意のうちに宮中から去りました。
清少納言の宮仕えは定子なくしては成り立たないものだったのです。
その後の消息は、諸説はあるものの、よくわかっていません。
 紙が貴重品だった時代ですが、ある時、兄の伊周から定子に大量の紙が献上されました。
分厚い紙の束を前に、定子から「これに何を書けば良いのかしら」とたずねられた清少納言は「枕にされてはいかがでございましょう」と即答。
「それならあなたに差し上げましょう」と言われ渡された紙に『枕草子』を書いたという逸話が伝わっています。
機知に富んだ清少納言の受け答えを定子は大層気に入ったわけで、これが『枕草子』のタイトルの所以(ゆえん)でもあります(他説もあり)。
二人の間には、こうした機転の利いた才気あふれた会話が日常的にあったことでしょう。
 第四十一段「鳥は」の章段は、比較的短くて読みやすいですし、現代語訳もいろいろ出版されていますからご一読されることをお勧めします。
ただ、ホトトギスの話という観点からは、『枕草子』にはもうひとつ、第九十九段「五月(さつき)の御精進(みそうじ)のほど」もはずせません。
こちらはかなり長い話ですが、当時の宮中の関係者や貴族たちにとってのホトトギスの価値や同じ季節の風物である卯の花との関係がわかって興味深いストーリーです。
要点だけ記します。
「五月の御精進(行いを慎み身を清める期間)の頃に、ホトトギスの声を聞きに行きましょうよと提案しました。するとほかの女房たちも行きたい行きたいと言うので、早速、皆で牛車(ぎっしゃ)で出かけました。目的地に着くと、ホトトギスの声がうるさいほど聞こえてきます。これを中宮様にお聞かせできないのは残念と思いつつ帰途に就くと、途中に卯の花が咲き誇っている場所がありました。その花を手折って牛車の屋根や御簾(みす)などに挿していったら牛車全体が卯の花の垣根のようになってしまいました……」
 と、まあこんなお話です。
このストーリーは、ホトトギスと卯の花という初夏の風物への清少納言の感性、そしてそれを定子と分かち合おうとする心情が描かれていますが、ホトトギスと卯の花との関わりが知りたい私たちにとってはこれで充分でしょう。
(『鳥たちが彩る日本史 武将・文人と交わる8種類の鳥』 大橋弘一 山と渓谷社 2025年)
今朝の父の一枚です(^^)/
初めは木の枝で隠れん坊しているみたいだったけど
姿が見えるところに出てきてくれたと喜んでいました。

 「暖かくて危険な強風『春一番』」つづき 

 中緯度でも同じように日本の南側で空気が上昇して北側で下降するような、もう一つのハドレー循環が熱を運んでいれば、日本付近の気象はもっと穏やかだったでしょう。
しかし残念ながら、そうではありません。
低緯度と中緯度の大きな違いは、地球の自転の効果の大きさです。
低緯度はその効果が十分小さいのでハドレー循環が形成されますが、中緯度より北では地球の自転の効果が邪魔をして、そのような大気の循環になりません。
 中緯度ではハドレー循環に代わって、さしわたし数千kmの大きな水平の渦である低気圧が発生します。
低気圧は雨や風など日本付近の天気を左右しますので、天気予報で強調されますが、同じぐらいの大きさの高気圧もペアにとなって発生します。
これらは風の分布で見ると大きな渦であることが分かります。
つまり日本が位置する中緯度では、北の寒気と南の暖気がせめぎ合うことで大きな渦ができ、春先はそのせめぎ合いが特に強くなって低気圧が発達し、春一番が吹くのです。
そしてその低気圧は高気圧とともに、中緯度で熱を南から北に運ぶ重要な役割を担っています。

 …つづく…

(『天気のからくり』坪木和久 新潮選書 2025年)