電車に乗って駅に着くと観光客の多いこと
踏切を越えて参道に入ると人、ヒト、ひと……で
なかなか前に進めませんでした(°0°)
観光客が多いので人を避けて写そうとしても…10年ほど前に訪ねたときも観光客は多かったけど
ここまで多くなるとは……伏見稲荷大社には「きつね」の像が無数にあるのですが
〝「お稲荷さん」ときつねの関係は?〟(伏見稲荷大社)第二章 平安京以前の古い信仰と神社
六 伏見稲荷大社――秦氏の氏神(二)
稲荷社と秦氏
次の稲荷社でも、その創建に関与したのが秦氏であったことは、以下の史料からわかる。
風土記にいわく、伊奈利(いなり)と称は、秦忌寸中家(なかつえ)らの遠祖、秦公伊侶具(きみいろぐ)は、稲粱(いねあわ)を積み、富裕に有り。すなわち餅(もち)を用いて的(まと)となせば、白鳥に化成し、飛翔(ひしょう)して山の峯(みね)に居り、子をなす。子は稲に化成し、遂に社となす。
(『延喜式神名帳頭註』)
(『京都の神社と祭り 千年都市における歴史と空間』本多健一 中公新書 2015年) この典拠は、16世紀に戦国期に著された『延喜式神名帳頭註』という史料である。
冒頭に「風土記いわく」とあるが、最近の研究では、本文章は奈良時代の『風土記』のものではないと考えられている。
ただ、古い時代の伝承であることは確かである。
稲や粱を積み上げるほど富裕であった秦公伊侶具(「伊侶巨」ともいう)は、おごり高ぶったのであろうか。
餅を弓矢の的に用いたところ、餅は白い鳥となって飛び去り、山の峰に降りた。
そこに稲が生えたので、社の名前を「伊奈利」(稲荷)と称するのだという。
この白鳥が降り立った山こそ、現在の稲荷山である。
そうであれば、当初の稲荷神は稲の精霊、すなわち一般的な農耕神というべきであって、特定氏族の由緒と直接結びついた神ではなかったといえる。 以上のように、松尾・稲荷両社とも秦氏が主導して創祀し、同氏の氏神であったことはまちがいない。
しかし、これらの祭神の性格を見ていくと、もともと秦氏との直接的な関係はなく、他氏が祀っていた神であったり、一般的な農耕神であったりした。
秦氏は、京都盆地に定着する過程で、そういった古い神々をみずからの守り神として選択肢、祀ったのである。
したがって、本来の氏神とは、祖先神に限らず、もっと広い意味で古代氏族の守り神とされた神と結論づけられよう。
(『京都の神社と祭り 千年都市における歴史と空間』本多健一 中公新書 2015年)
『枕草子』にこんな段があります。
152 うらやましげなるもの
うらやましいなあと思う人。
…中略…
伏見稲荷のお社(やしろ)に参詣(さんけい)しようと思い立って出発したところ、中のお社あたりでぐっと苦しくなってきて、なんとかがまんして登っていたら、後から登ってくる人たちがちっとも苦しそうに見えず、すいすいと追い越していくのだから本当に感心してしまう。
例祭のある二月の初午(はつうま)の日の暁(あかつき)に急いで家を出たけれど、参道の坂の半分くらいまで来たところですでに巳(み)の時間(午前10時)ほどになってしまった。
だんだん暑くなってきて本当につらく、
「こんな暑い日でなくたっていい日はあるのに、どうして今日にしたのだ、私」
と、涙まで落ちてくる。
(『枕草子』清少納言著 佐々木和歌子訳 光文社古典新訳文庫 2024年)休んでぜえぜえと息をしていると、四十過ぎに見える女が、壺装束(つぼしょうぞく)ではなく着物の裾をたくし上げて、
「私は七度参詣する予定ですよ。もう三度は終わりました。あと四度、へでもない。未(ひつじ<午後2時>)には下山できるでしょうよ」
と、道中で会う人に話しながら下っていった。
普通の場所では目にも留まらないような人なのに、「今すぐあなたになりたい……」と思ってしまった。
…後略…
(『枕草子』清少納言著 佐々木和歌子訳 光文社古典新訳文庫 2024年)
2026年の初午の日は2月1日でした。
清少納言でなくても羨ましくなりますよね! 根上りの松
根上りの松は一方の根が地表に持ち上がっている形状から、往古(むかし)より『根上りの松』と呼ばれて不思議なご神徳があると伝えられています
商売をする人 特に証券会社や株に関係する人々からは 値(根)が上がるのを待つ(松)と言われ 縁起が良い松として篤い信仰を得ています
又 素朴な庶民の信仰として 持ち上がった松の根が 人々がひざまずいてお祈りする姿に似ていることから 『膝松さん』とも呼ばれ 松の根元をくぐったり 木の肌を撫で身体の痛むところを撫でると 腰や膝の痛みが治るとも言い伝えられています 熊鷹社
「朱の玉垣の向こうに緑の山影を映す池は新池、谺ケ池(こだまがいけ)との別称があります。行方知れずになった人の居場所を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめると云う言い伝えがあります」(大社マップ)昔、清少納言のことをあまり好きではありませんでした。
と言うのは男性の研究者の本を読んでいたためかもしれません(^_-)
女性の研究者や作家の本を読んでいると「うらやましげなるもの」のように
共感する段も多くありますし
中宮定子への思いを知り、墓陵を訪ねたりしています。六十二 清少納言
夜をこめて鳥の空音(そらね)ははかるとも
よに逢坂(あふさか)の関はゆるさじ
…中略…
藤原道隆(みちたか)の息女、定子が中宮になったのは、正暦(しょうりゃく)元年(990)のことで、それから五年後に道隆は亡(な)くなり、弟の道長が関白になると、定子の身辺は一夜にして暗黒の巷(ちまた)と化す。
兄の伊周(これちか)は太宰府(だざいふ)へ左遷され、道長の長女彰子が入内(じゅだい)して、中宮定子は尼になる。
清少納言はそれをつぶさに見ていた筈(はず)だのに、没落して行く一族については、ひと言もふれていはいない。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)
(三ノ峰 下社神蹟)
そういう意味で、「枕草子」は宮廷生活の記録というよりも、一種の回想録とみるべきだろう。
清少納言はそういう形で、華やかであった中宮定子の姿を後世に伝えたかった。
自分の自慢話も、自己顕示欲も、後宮の生活を浮き立たせる役目しかしていず、その中心に立つ定子を、この世のものならぬ美の象徴に昇華させている。
「枕草子」を読み終えて残るものは、中宮定子の美しい容姿と、優しい思いやりだけで、著者の「したり顔」も「賢しだち」たる表情も、すべてその中に吸収されている。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)
『紫式部日記』をもとに清少納言を批判する人たちへの答え(批判)になっていると思います。
荷田社神蹟(間ノ峰) 清少納言はそういう形で、華やかであった中宮定子の姿を後世に伝えたかった。
自分の自慢話も、自己顕示欲も、後宮の生活を浮き立たせる役目しかしていず、その中心に立つ定子を、この世のものならぬ美の象徴に昇華させている。
「枕草子」を読み終えて残るものは、中宮定子の美しい容姿と、優しい思いやりだけで、著者の「したり顔」も「賢しだち」たる表情も、すべてその中に吸収されている。
(『私の百人一首』白洲正子 新潮文庫 2005年)
『紫式部日記』をもとに清少納言を批判する人たちへの答え(批判)になっていると思います。
「ここは伊勢大神と崇められています。
神域入り口に建つ石鳥居は、奴祢鳥居(ぬねとりい)と称し、額束の両側に合掌状の破風扠首束(さすつか)をはめた特異な形をしています」(大社マップ)
中社神蹟(二ノ峰)
中社神蹟は稲荷山の二ノ峰に位置する七神蹟のひとつです
往古より青木大神と称えられています最終目的地に着きました!
半袖になっている方もいますね(^_-) 一ノ峰(上社神蹟)
「ここは稲荷山の最高峰(標高233メートル)です。
ここを末広大神と崇める信仰がありますが、これは親塚を建てた以前からつづく信仰らしく、神蹟改修を示す親塚裏面に(明治10年6月、燈明講奉納・末広社)という刻字が見出せます」(大社マップ)私は「四ツ辻」から反時計回りで登ってきました。 振り返るとここを登るのはきついと思います。
(長者社)
歴史に彩られた街、伏見
お塚のこと
…前略…
農業神から始まり、やがて「伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」などといわれる爆発的な全国展開は、商業の守り神であることに由来するのは確かだが、それだけでは伏見稲荷大社の深さ広さを語ったことにはならない。
ただ単に農業神・商業神としてのみの稲荷への信仰ではなかった。
(『歴史でめぐる洛中洛外(下)洛東・洛南』井上満郞 淡光社 2017年)
「お塚(つか)」と呼ばれる、ひと言では表現しようのない信仰が伏見稲荷大社にはある。お塚のこと
…前略…
農業神から始まり、やがて「伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」などといわれる爆発的な全国展開は、商業の守り神であることに由来するのは確かだが、それだけでは伏見稲荷大社の深さ広さを語ったことにはならない。
ただ単に農業神・商業神としてのみの稲荷への信仰ではなかった。
(『歴史でめぐる洛中洛外(下)洛東・洛南』井上満郞 淡光社 2017年)
雑多で多様な祈りと願いがこの神に捧げられ、人々はその信仰のしるしとして大小さまざまなお塚を築いたのだ。
神の名もさまざまで、いずれもが素朴で切実な祈願を込めたものとなっている。
火防大神(ひぶせおおかみ)・出世(しゅっせ)大神・福徳(ふくとく)大神・末広(すえひろ)大神など、ひと目見て何が祈願されているかすぐに分かるシンプルな神名がほとんどで、稲荷山全域の各所それぞれに築かれた。
そうしたお塚は調査すらできないくらいたくさんあって、万にもせまる数だという。
(『歴史でめぐる洛中洛外(下)洛東・洛南』井上満郞 淡光社 2017年)撮影されていたのは…
薬力(やくりき)の滝行場
往古(むかし)この地に御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり三ヶ峯の神々に神供をしたところと伝えられています。
現在はこの祈祷殿において毎日朝・夕お山の神々に御日供(おにっく)をお供えしております。
御日供ご希望の方は奉拝所にお申し込みください。 「お塚」つづき
その直截(ちょくせつ)な神名からも知れるように現世利益(げんぜりやく)、つまり、日々の暮らしの幸いを祈り願ってのお塚の形成であった。
それらの神名は『古事記』や『日本書紀』に出るような神ではなく、庶民のささやかで身近な祈りと願いによって生み出されたものであり、農業・商業へのものばかりではない。
確かに稲荷神は当初は稲作の神として出発したが、その後の歴史の展開の中で、他の神社には見られないような庶民的な祈りと願いのすべてを実に寛容に受け容れ、聞き届けてきた。
お塚のありようはその広く豊かな稲荷信仰のすがたをまざまざと示してくれる。
この神社を訪ねたら、ぜひお塚に足を運び、その祈りと願いの姿に触れてみたいものだ。
(『歴史でめぐる洛中洛外(下)洛東・洛南』井上満郞 淡光社 2017年)
眼力社
きつねが駆け下りてくるような姿ですね宝珠を頭に乗せて駆け下りてくるのは難しいだろうなぁ(^_-)「四ツ辻」に戻ってきました。
清少納言が弱音をはくような「お山めぐり」ができたのは、
心臓リハビリのおかげだとも思っています。
昨日の心臓リハビリでも理学療法士の方と話をしながら、
心拍数が上がらないペースを守りながら歩いていました。
パルスオキシメータで酸素飽和度を測ってもらうと98%くらいでした。
「酸素飽和度の正常値は?【パルスオキシメータ】」 (オムロン)
10年前に比べて老化が進んでいます。
それでもゆっくりと登ればなんとかお山めぐりができました。
途中のエネルギー源として「子育て飴」を舐めながら歩いていました(^_^)v 2015年3月16日に来たときに出会った猫ちゃんに似ている
(前に出会った子は前足まで黒い部分があった)お山めぐりを終えると1時を過ぎていました。
表参道からちょっと横道に入ると「中華そば 海や」がありました。
夕食までの時間があまりないので何を食べようかと
大きなパネルの前で思案していたら
お店の方が相談にのってくれました(^-^)で、醤油味の中華そば(拉麺)にしました。
あっさりした味で私好みでした(^_^)v
電車の中などで読んでいたのが
『「そうだ 京都、行こう。」が長く続くわけ』
歴史や地形、料理などの本は読んできたけど
「広告」という切り口で書かれた本は初めてです。
「そうだ京都、行こう。」は1993(平成5)年から現在まで30年以上続いているそうです。
〝【TVCM】1993年 冬「伏見稲荷大社」そうだ 京都、行こう。〟(JR東海 YouTube)
〝【TVCM】1993年 冬「伏見稲荷大社」そうだ 京都、行こう。〟(JR東海 YouTube)
お店の人が気さくな方だったので、
お土産を買いたいと思っていたお店の場所を聞くと
すぐそこですよ教えてくださった。 いなり ふたば
昔ながらのどんつきでつく もっちり餅に自慢の赤飯
豆餅で有名な「出町ふたば」からの暖簾分けで、1933(昭和8)年、東山区の四条縄手付近に創業、東福寺の近くを経て、1943(昭和18)年頃に伏見に移転した。
もち米には伸びがよく、ほどよい粘りの滋賀羽二重糯(はぶたえもち)を使用。
「どんつき」と呼ばれる、昔ながらの石臼と杵でつく餅は、弾力がありとてもなめらかだ。
丹波大納言小豆と水砂糖を使ったあっさりとした甘みの「おはぎ」や、塩味の利いた「豆大福」などの定番のほか、夏は「みな月」「みたらし餅」、秋は「栗大福」「栗蒸し羊羹」「お火焚(ひた)きまんじゅう」といった季節の品も人気。
常連客が訪れては、普段のおやつに、手土産にと次々に買い求めていく。
赤飯も冷めてもおいしいと人気で、秋には「栗赤飯」が登場。
生栗から米と一緒に蒸すため、ほくほくした栗が芳醇に香る。
おはぎや赤飯など一部の品は、店頭になくても下準備ができていれば作ってくれる。
(『京都のおまんやさん 普段づかいのおやつ散歩』アリカ編著 東京地図出版 2009年)
「京都 和菓子の心」(2014年11月2日)
和菓子。
それを口に入れる人のことを思って作られていること。
その優しさがある、それが和菓子の心かと思います。
これからもこの心は変わることなく
丁寧な手仕事で大切に作り続けられ
受け継がれていってほしいと思います。
京都の和菓子を知る入門書として
「京都のおまんやさん」「京都とっても上等な和菓子」
私はこの2冊をお勧めしています。
〝稲荷ふたば「豆大福&紅大福&いなり最中」……〟(とっておきの京都プロジェクト)人通りの多い参道だったので人が写らないようにと思いましたが……
ここでも販売しているんだとお土産を買いました。
添附されていた説明書きに
上賀茂名産すぐき漬
すぐき漬は、酢茎(すぐき)かぶらを塩で漬け込み、室(むろ)という温室で乳酸発酵させた、伝統の京漬物です。
植物性乳酸菌『ラブレ』を多く含んでおり、程よい酸味があるのが特徴です。
四百年も昔から、上賀茂の地に伝承されてきたすぐき漬は、専門農家でのみ栽培され、独特の製法と発酵技術で漬け込まれた、昔ながらの無添加・自然の発酵食品です。
…後略…
「稲荷すぐきや」
「伏見稲荷大社からすぐ。“本町通”に佇む、昔ながらのお店」(そうだ京都、行こう。)
お土産に買ったのは「すぐき」と「しば漬」(^_^)v
上賀茂にある「なり田」の記事に
〝免疫力アップにかかせない乳酸菌、「ラブレ菌」とは〟(京都なり田)
「味わい深い酸味を宿す自然発酵のすぐき漬け」(名品型録 京阪グループ)
そして、豆大福もお土産に買いました。
ほんの少し塩味がして優しい甘さでした。
父も妹も喜んでくれました(^_^)v
〝免疫力アップにかかせない乳酸菌、「ラブレ菌」とは〟(京都なり田)
「味わい深い酸味を宿す自然発酵のすぐき漬け」(名品型録 京阪グループ)
そして、豆大福もお土産に買いました。
ほんの少し塩味がして優しい甘さでした。
父も妹も喜んでくれました(^_^)v






































こんばんは~
返信削除お山めぐりが、あたたかな日和でよかったです。
そして、「子育て飴」のおかげでしょうか(#^.^#)
伏見稲荷さんの方へは、人が多いと聞いているので。。
なかなか足がむいていません。(;^ω^)
おかげさまで、「お山めぐり」を教えていただきました。
「ふたば」さんがあるのですね。
そういえば、小さい頃「おまん」と言っていました。
Kazeさん、「スグキと柴漬け」をお土産にされたのですね。
そして、豆餅。。
おいしいですよね。
お父様や妹様が喜ばれてよかったです。
お土産は、嬉しいですよね。(#^.^#)