2026年2月11日水曜日

建国記念の日に「アイヌの美―彩りと輝き―」展へ

雨の京都に出かけました。
雨なのにといおうか、雨だから目的地をしぼって歩きました(^。^)
京都文化博物館」の別館(旧日本銀行京都支店)は
前回みたので「特別展」会場3Fへ
 2025年11月30日に訪ねた時にチラシがあり、是非みたいと思っていました

【企画展】アイヌの美―彩りと輝き―
掲載している画像と説明が一致しないかも知れませんので
会場に足を運んでください。
チキサニ/春楡の木 1980年代後半 麻布 チカップ美恵子)

 Ⅰ 彩り―布と糸の手仕事 

アイヌの装飾美を代表するのが、儀礼などでまとう晴れ着です。
布の素材は、アイヌが自ら加工したオヒョウなどの樹皮繊維、イラクサなどの草皮繊維、周辺の民族から交易などを通じて入手した木綿、絹などです。
素材、柄の違う布を組み合わせたり、刺繡を施して、アイヌ文様を表現してきました。
樺太では、ガラス玉(ビーズや金属の玉飾り)が装飾のアクセントとして使われています。
ここでは、北海道と樺太アイヌの彩り豊かな晴れ着、千島アイヌの帯や針入れ、染めた樹皮や色布などで幾何学模様を編み出した花ござなどを紹介します。
また、さまざまな色糸を駆使して色彩のシンフォニーともいえる刺繍作品を生み出したチカップ美恵子(釧路市生まれ/1948~2010)の作品をご紹介します。
 雨の日の森の中の湖に目をやると、モレウをつかさどる水の精たちが華やかなダンスパーティーをくり広げているのが目にとまる。
空から競って舞い降りて来る雨の精たちは軽やかに水面(みなも)をすべって、次々と大小さまざまな輪をつくっていく。
雨の精たちの輪はまるで踊り子たちの舞い姿のよう――。
 こんなふうに一つのパターンからも、こんな創造が生まれてくるのである。
アイヌ文様が無限大に広がっていくのは、大自然の創造のうたがあるからだ。
 私たちのまわりの景色には季節の移ろいがあり、私たちはいつでも季節の香りと彩りにつつまれて暮らしている。
身近な何気ない景色の中にも美はある。
心が美を探せば、瞳は美を見つけるということである。
心が探した美を瞳が見つけたとき、生命は輝き、調和のうたをうたう。
 カムイが宿る心は豊かな想像力をもたらしてくれるということだ。
こんな創造のうたを布の上に、一針一針ステッチしていくのは実に楽しいことである。
           チカップ美恵子

 ※初出『アイヌ・モシリの風』(2001年 日本放送出版協会)
シ・カンナ・カムイ/雷神
1991年
木綿
チカップ美恵子
Chikapp,Mieko
フレベンナ/虹の歌
2002年
木綿
チカップ美恵子
(上)チカップ美恵子のマタンプシ
(下)母・伊賀ふでのマタンプシ
衣服(樹皮繊維)
靭皮、木綿ほか

国立民族学博物館蔵
(上)耳飾り
(下2点)首飾り
(左)首飾り
(右上)煙草入れ
(右下)小刀
(左)煙草入れ袋
(右上、下)輪状帽
千島の子負い具 

北海道、樺太と同様に北千島でも、額にかける荷繩や幼子を背負うための子負い具を使用していた。
これは、刺繍を施した布製のベルト部分を額にあて、船形をした木の座面に子を座らせるもの。
紐は海獣の皮革。
座面に弓矢と銛(もり)が線刻されている。
花ござ 

ガマやスゲなどの植物を乾燥させ布状に編んだものは、敷物、天幕、船の帆、物入れ、枕などに用いられた。
なかでも模様入りの花ござは、女性の手工芸として復興期に作り手が増えるいるもののひとつ。
儀礼の際には、祭具の下に敷いたり、屋内の壁や祭壇に立てかけるなど、今日でも使用されている。
ござの素材は一般的にガマが用いられる。
編糸はシナノキの撚り糸、綿糸など。
文様の編み込みには、オヒョウやシナノキの靱皮を赤、黒などに染めたものや色布を用いて、さまざまなパターンの幾何学模様を施す。
 Ⅱ 煌(きら)めき―海を渡ったガラス玉 

 アイヌの装身具を代表するのが、首飾りと耳飾りです。
首飾りは、大陸あるいは本州から交易によって入手した大小のガラス玉に、金属製の飾り板などを連ねたものです。
アイヌ女性が儀式のときに身につけるだけでなく、母から娘へと伝えられる宝であり、護符でもありました。
耳飾りは、真鍮や洋銀を円環状に加工したもので、多くは小さなガラス玉や金属の飾りがつけられます。
金属製の腕輪には、たがねで彫り込まれた装飾文様を見ることができます。
首飾りや耳飾りなどを制作している現代作家の一人が、北海道阿寒湖畔を拠点に活動している金工家、下倉洋之(横浜生まれ/1975~)です。
この展覧会のために手がけた新作、近作をご紹介します。

下倉 洋之」(阿寒湖アイヌコタン)
 漆器 

アイヌ社会において重用されたのが、漆器類である。
普段は、屋内の宝檀に飾り、儀礼では祭壇に設えた。
また財貨として漁業権の交渉の際の支払い、結納の品、あるいは賠償品として用いた例がある。
種類としては、椀、杯、天目台、片口、合子、行器(ほかい)、耳盥(みみだらい)、角盥(つのだらい)、樽などで、技法も朱漆や黒漆、金彩蒔絵など、多種多様な漆器が伝世している。
これらは全て本州以南で生産され、和人商人などを経てアイヌ社会にもたらされた。
なかには椀の見込みに熊の姿を描くなど、アイヌ向けに生産されたことを思わせるものもある。
Ⅲ 金の輝き、銀の輝き 

アイヌの儀礼で祭壇に飾られ、ひときわ光彩を放つのが儀礼用の太刀や矢筒、漆器です。
儀礼用の太刀は、木製の柄、鞘はアイヌの自製ですが、刀身、鍔、飾り金具の多くは、本州から交易などで入手したものです。
儀礼用の矢筒は、円形の金属板(真鍮など)がはめ込まれています。
本州以南からもたらされた金彩蒔絵などの漆器も、アイヌ社会で重用されました。
ここでは儀礼用の刀、矢筒、漆器に加えて金属製の酒器、さらに鹿角などさまざまな素材を組み合わせて装飾した木製のマキリ、煙草入れを紹介します。
また、北海道沙流郡平取町二風谷を拠点に活躍している木彫家、貝澤徹(二風谷生まれ/1958~)の作品と、釧路市阿寒湖畔を拠点に活動しているアーティスト、藤戸康平(阿寒湖畔生まれ/1978~)のEXPO2025で展示された大作を紹介します。
イカヨピコロ(儀礼用の矢筒)の複製(貝澤徹)
作品名がなぜ《IRON WILL》、鉄の意志かというと、これからの人たちが、先人から受け継いできたものを忘れることなく、鉄のように硬い意志で継承してくださいという願いをこめて作ったものだからです。
 作品としては、上の方に先人の主だったアイヌ資料を複製で取り入れて、下段が僕のオリジナルになります。
《IRON WILL》ですから、あくまでも鉄を意識しました。
黒い鉄のイメージを出すのに、真っ黒にして金属的な光沢をもたせました。
ウロコ彫りなども見る角度で、艶が微妙に輝くようにしています。
 僕は、これまで《樹布》シリーズのような布の表現、《アイデンティティ》シリーズのレザージャケットの表現とか、木で柔らかい表現を追求していたので、逆に硬い表現がどういうふうにできるかを考えました。
 時代とともにアイヌ文化も変化していきます。
僕も新たな表現に挑戦していこうと思います。
      貝澤徹
(2025年8月8日 北の工房つとむにて)

アイヌ文化 職人・作品紹介」(平取町)
藤戸康平 《Singing for the Future》 2025年

熊の家

kumanoyafujito」(Instagram)
  当館の所在地は、平安京の左京三条四坊四町にあたります。 
ここが歴史上よく知られるのは、平安時代末、後白河法皇の皇子以仁王(もちひとおう)の御所高倉宮(たかくらのみや)であったときです。
王の平家追討の旗揚げは平家物語に詳しく語られます。
その後この地には、尼寺の曇華院(どんげいん)が営まれ、そして明治時代には郵便局や日本銀行京都支店ができました。
 平安時代以来、この地ではずっと人の活動が続きます。
この歴史の厚みを示すのが土の堆積(たいせき)です。
平安時代の人々が暮らした地面は、およそこの庭の深さあたりでした。
見学をして頭を使ったからか?お腹が空いたので(^^ゞ
京都文化博物館の向かいにあるお店へ
これはカレーライス(ミニサラダ付き)の小です。
この後、寄りたいところがあり「小」にしました(^_-)
展覧会図録「アイヌの美―彩りと輝き」を購入しました。
3月19日(木)まで開催されているので、できたらもう一度、見にきたいなぁ……
図録を読んでいると「アイヌ民族より、さらに少数の先住民族」がいたそうです。

北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ」(集まれ!北海道の学芸員)
入ったお店は、博物館別館の向かいの2階「ひゃくてんまんてん
次ぎ来る時は「カレーラーメン」を食べたいです(^_-)
ホームページにある価格より少しだけ高くなっています。
前回、前を通ったときに気になっていたので入ってみました。

京都市登録有形文化財
1928(旧毎日新聞社京都支局) 
建築年:昭和3年(1928)
設計者:武田五一
構造:鉄筋コンクリート造

「関西建築界の父」と呼ばれ、京都市役所ほか多くの設計を手掛けた武田五一が設計。
全体的に幾何学的な線とパターン化された模様が特徴のアール・デコ調。
ただし、最上部にあるロンバルディア帯は11世紀のロマネスク建築に使われた意匠であったり、窓の水平ルーバーには20世紀建築界の巨匠・F.L.ライトの影響がみられたりと、自由に駆使された折衷デザインに武田らしさが感じられる。
バルコニーや窓に見られる☆型の模様は、建築主である毎日新聞社の社章に由来する。
1928ビルについて」(同時代ギャラリー)

1928ビルと河井寛次郎」(同時代ギャラリー)

狭くて急な階段を上がると
着いた時間が早かったので見るのを諦めたのですが…

毎日戦中写真を読む 特派員の足跡とミヤニ式カメラ」展が、開催されていました。
カレーライスを「小」にしたのは、
喫茶店でケーキセットをいただきたかったからです(^_-)
ウィンナー珈琲にチーズケーキをいただきました。
電車の中などで読んでいたのは『知里幸惠 アイヌ神謡集』(岩波文庫)
旧版を持っていますが、補訂新版です。
試し読み」ができます。
  2月11日は「建国記念の日」ですが、
いまだに日本は、単一民族国家だと主張する方がいて
祖先がどれだけ苦労してこの日本という地に辿り着き
先住民族と交流しながら生きてきたかに思いがいたらない人たちがいます。
日本人のDNAを調べるとどこから日本に渡ってきたかがわかる。
NHKアカデミア「篠田謙一(前編)古代DNA 私たちは何者か?

私たちの祖先が過酷な災害を乗り越えて生き残ったか
知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「巨大噴火が“日本人”を生んだ!?
 四条河原町 築地 

 …前略…

 それぞれの物語を紡ぐ場所

 四条河原町の路地裏にある木造2階建ての喫茶店「築地」が創業したのは1934(昭和9)年。
バルコニーに掲げられた風韻漂う看板や、京都・泰山製陶所製が入り交じる色とりどりの飾りタイルと、外観のモダンな佇まいに昭和初期の賑わいが偲(しの)ばれる。
パタンと音をたてる入口の木製のスイングドアの先は、ヨーロッパのおとぎ話に登場する古城のような妙趣に満ちた空間。
時を重ねてモカ色に染まる漆喰壁と艶めく腰壁に華麗なアンティークの調度品がしっくりとうち溶け合う。
(『愛しの京都<純喫茶>』甲斐みのり オレンジページ 2025年)
 当初の店名は「バックストリート」だったが、戦時中に敵性語とみなされて、初代がすぐ近くで営んでいたバーと同じ名に改めたという。
築地という名は日本初の新劇の常設劇場「築地小劇場」にちなんでいるというが、この場所がどれだけの数の物語の舞台として歩んできたことか。
クラシック音楽は心地よいBGMとなり、目に映る風景や湧き上がる感慨が、訪れる人それぞれの記憶の中で、物語のタイトルのように刻まれる。

 …後略…

(『愛しの京都<純喫茶>』甲斐みのり オレンジページ 2025年)

私は、チーズケーキが好きで頼みましたが、甲斐みのりさんのオススメは
西本願寺近くで昭和初期から続くパンと焼き菓子の店「樋口金松堂」特性のムースケーキだそうです。

京都河原町 喫茶『築地』」(京都館)
喫煙可なので煙草の煙が苦手な人は…
四条まできたので漬け物をお土産に買おうと店に入ると
店員さんが試食を勧めてくださったのが

 きのこの山椒煮 

山の恵み、きのこ三種。
厳選した「えりんぎ」、「椎茸」、「しめじ」を山椒の実と一緒にじっくり炊き上げました。
それぞれの風味や食感を同時に楽しめる贅沢な佃煮です。
ご飯のおともに、またお酒の肴にも最適です。


本店限定商品」という文字にも弱い(^^ゞ
帰宅後、夕食の時にだすと父も美味しいと喜んでいました(^_^)v
父も私も心臓の病気で入院して以来、お酒を飲んでいませんが
確かに酒の肴にもいいと思いますよ!
個人の感想ですが(^_-)

村上重本店

2 件のコメント:

  1. こんばんは~
    「アイヌの美―彩りと輝き―」展へ行ってこられたのですね。
    京都文化博物館へは、もう何年か前に「ターナー展」で
    行ったことがあります。
    古い話ですが。。その時も「大鶴」さんでお饂飩でした。(笑)
    Kazeさんは、カレーライスですね。
    Kazeさん、カレーライスがお好きなようですね。(#^.^#)

    お土産は、やっぱり村上重の千枚漬けですか(^O^)/
    美味しいですよね。
    我が家は、日野菜とスグキでした。

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  2. カイさんコメントありがとうございます(^^)/
    京都博物館は、名前だけ知っていただけですが
    前回、たまたま前を通りこんな所にあるんだと入館しました。
    駅から近いので特別展の内容によって行きたいなぁ思っています。
    うどんも好きですし、ラーメンも
    カレーライスとオムライスは子どもの時のご馳走です。
    母は、他にもいろいろ作ってくれたのに(^_-)

    漬け物を買うつもりで店に入ったのに
    きのこの山椒煮の試食を勧められてすぐに買ってしまい
    漬け物は次の機会にしました
    いつも初志貫徹できません(^^ゞ

    返信削除

申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m