2026年2月4日水曜日

立春

今朝は暖かく春が近づいたような陽気でした。
暖かいと喜んでいるけど

各地で気温上昇 落雪や雪崩 除雪中の事故など十分注意」(NHK)
昨日、2月3日の朝日新聞「天声人語」

 …前略…

▼先日、大佛次郎賞を受賞した木内昇(のぼり)さんの『雪夢往来(せつむおうらい)』の一幕だ。
江戸後期に、郷里の暮らしを牧之が『北越雪譜』として刊行するまでの曲折を著した。
作中で彼を突き動かすのは、雪国の実情をあまりに知らぬ世の中への嘆きであろう。
▼衆院選の候補者や有権者も、たぶん似た思いだろう。
牧之のふるさと、新潟県南魚沼市を訪れた。
頭の上まで積もった雪の壁が道沿いに延々と続く。
まるで白い迷路だ。
壁の上からちらりとのぞく家を見ながら、選挙カーは候補者名を連呼して進む。
だがその音も、むなしく雪に吸い込まれる。
▼車の候補者名は、すぐに白く塗りつぶされる。
街頭演説をやろうにも、除いた雪で狭くなった交差点には止められない。
「お手上げです」と陣営は嘆き節だった。
▼「この雪は命の危険がある。選挙は大事だけれど、それどころじゃない」という市民の声も聞いた。
他も同じだろう。
青森県は陸自に災害派遣を求めた。
いま困っている人たちに「未来の夢」を説く。
そんな政治とはいったい何なのか。
▼『北越雪譜』は雪の手ごわさを挙げ、訴えている。
雪国の難儀、暖地の人おもひはかるべし――。
この時季に行なわれる選挙の理不尽さを改めて思いながら、現地を後にした。
 2026・2・3
昨日は、買い物に出かけると巻き寿司がズラリッと並んでいて
コーナーには大勢の買い物客が品定めをされていました。
私の家では、みんな歯が悪いので丸かじりができない。
妹は生ものが苦手なのでデラックス巻きなど食べられない
と、言うことで恵方巻きは食べられませんでした(;´Д`)
豆まきの豆は、私は食べたのですが、父は一粒食べて諦めました。
私の家ではしていませんが、

 春の行事
  やいかがし
 

 焼き嗅がしの意で、臭気で鬼(邪霊)を追い払うとして、節分の晩に鰯(いわし)の頭などを焼いて戸口にさす儀礼。
または、その呪物としての鰯の頭など。
東京都世田谷区では鰯の頭を豆幹(まめがら)にさし、これにつばを吐きかけて火にあぶり、柊(ひらぎ)の葉を添えて家のすべての戸口さしている。
このように鰯の頭と柊を用いる例が広くみられるが、鰯と同時に髪の毛や葱(ねぎ)・ニンニクなどを焼いていっそう強い臭気をたてる地方もあった。
串には刺のある柊・山椒(さんしょう)などの小枝を用いる所も多い。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
静岡・愛知県では、これを焼くとき、あるいはさすときに「ヤイカガシの候、隣のバンバア、屁をひってウンシャラクサイ」(静岡県磐田市)などという唱え言をした。
また、鰯を焼くときに「よろずの虫の口を焼け」(東京都世田谷区)などと唱え、害虫を封じる呪(まじな)いを行なう例が各地にある。
ヤイカガシの習俗については、本来、年のかわり目に訪れる神霊に対する供物であったとする説、物忌みのしるしとする説、焼畑の害獣除けに起源をもつとする説などがある。
              (小嶋博巳)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
安倍元首相銃撃事件 山上被告の弁護団が控訴 判決不服として」(NHK)

弁護団で主任を務める古川雅朗弁護士は「被告とも協議した結果として、不当な1審判決を是正する機会を得るべく、控訴申立書を提出した」とコメントしています。

統一教会によって家庭を崩壊させられた人々のために控訴してほしいと思っていました。
統一教会についてだんまりの首相や議員、そして取り上げない日本のマスコミの中で
週刊文春が次々とスクープをしていますね。
病気は、外からその苦しみは分りません。
私も心臓が上半分(心房)が壊死していますが、外からは分らないでしょう。
学生時代にリュウマチになり車椅子生活をおくっている小学校時代の同級生がいます。
同級生は、病室から飛び下り自殺をしたくても体が動かなかったと話していました。
リュウマチと言っても症状は人それぞれです。
ですから、なんかなぁと思っていたけど書くのを控えていました。
首相が日曜討論をドタキャンした件について

出演キャンセルを2日前から準備していた! 」(週刊文春X)

などと報じられています。
たとえ真実であってもアメリカ大統領ならフェイクだと決めつけるだろうし、
提訴すると脅してくるでしょう。
首相は、日本人はすぐ忘れるだろうと統一教会のようにだんまりを通すのかな?
村山由佳(時々もみじ)さんの投稿(2月3日)

憲法は、権力者の暴走を縛るためのものです。
権力者側がそれを変えたいと言い出した時は、全力で抵抗しなくては危ない。
この改憲案を見てほしい。
主権在民や、基本的人権すら全文削除され、言論の自由は保証されない。
今回がこの国最後の選挙とならないように、どうか…!


憲法はこう変わる?」(画像)
毬谷友子さんの投稿(1月3日)

高市早苗「子供も一生懸命、責任を持ってしつけ、良い教育を与えて、そして時には国を守るために命を投げ出して」

は!!? 子供の命を国のために投げ出す??????
この総理大臣は、何を言っているのだろうか!!!!!
断固として絶対に反対です。


(ここにあげられている動画は、AIによるフェイク動画だと思いますか?
タモリさんが呟いていた「新しい戦前」が始まっている)
 プロローグ 故郷・周防大島から
 女の世間


 宮本は自身に大きな影響を与えた経験として、自分の家が「善根宿(ぜんこんやど)」をしていたことにしばしば言及している。
善根宿とは、貧しい旅人を無料で泊める宿のことをいう。
宮本家の善根宿がいつごろから始まったのかはわからないが、宮本が10歳(1917年)くらいのときまで人を無料で泊めていたという。
備後のゴザ屋、ナシやモモを売りにくる人たち、旅芝居の役者、サル回し、世間で一段と低いと思われているような人たちばかりが泊まりに来た。
この村では宮本の家だけがそれをやっていた。
(『宮本常一 民俗学を超えて』木村哲也 岩波新書 2026年)
 「いまでも覚えているんですが、顔中が大変な吹き出物、皮膚病で、すごい包帯をした女の人が泊ったんです。……私の祖母なんかは、それでも、たらいに水を入れて、ちゃんと世話してた。昔ですから、まず、私の家へ着きますと、みんな足を洗って上へ上がる。その水をくんであげて、「あんたは顔がしみるだろうから」と、手ぬぐいをしぼって顔をふかせてた。いまでも、それが気味が悪かったのを覚えてるが、決してそれを疎外しないでやっておったんです」(「逃げ場のない差別のヒダ」1977年)
 旅の商人、芸能民、病者といった漂泊民、遍歴民、非定住者、非農業民への関心を、宮本は幼い頃から育てたであろう。
人の出入りが激しかったぶん、人と人とのふれあいを見て育ち、よそ者を拒絶せずにあたたかく迎え入れる雰囲気がこの島にはあった。
 「私は、もとからそういうもの〔差別されていた人びと〕に心をひかれて、できるだけそういう人と交わってみたい、友達を持つならそういう人を友達に持ちたい、という気持ちがあった。それはいまもある」(同)。
 貧しい旅人の世話を厭わずに行っていたのが、祖母の宮本カネであった。
宮本が、差別される側の人たちと共にありたい、という資質を育んだのも、こういう環境によるものが大きかったのだ。
 カネは、祖父と同じ1846年生まれ。
28歳で結婚して、50年連れ添ったあと、1923年、前の家に風呂をもらいに行ってから家へ帰ると縁に手をついたまま脳出血で亡くなったという。
 母マチは、働き者で、過労がたたって三人の子を流産などで亡くし、常一が初めての男の子だった。
ほかに姉と弟がいる。
 マチが娘の時代、女は年頃になるとたいてい家を逃げ出した。
すでに旅に出ている朋輩を頼って、親に内緒で出ていったという。
行く先を知らないのは父親だけで、母親は事前に知っていた。
そして娘のよき理解者であった。
自分たちも娘時代はそうして逃げ出した経験があるからであろう。
マチも、萩の士族の家に子守奉公に行っている。
子どもを学校に送った先で、教室の窓越しに字を覚えたという。
 叔母が田植えの日の休憩中に団欒で聞かせてくれたという話も面白い。
19歳になったとき、女友達三人で四国をまわる旅に出た。
伊予行きの船に乗り、松山の三津浜(みつはま)から上陸した。
芋ばかり食わされたが、みな親切で宿に困ることはなかった。
ただ、土佐は鬼の国といって、宿を貸してくれる者もなかった。
それで「女四国」は土佐を抜いた三国だった。
 女の旅をする者は、自分たちだけでなくほかにも多かった。
九州から来ている組と道連れになって二、三日一緒にあるくこともあった。
ときには旅先で知り合った男と夫婦になるケースもあった。
 奉公にしても旅にしても、女が世間を知るうえで重要な役割を果たしていた。
世間を知らない娘は嫁に行けないともいわれた。
家父長制度が厳しかった時代は、女性の地位も低かったはずだが、宮本は、そうした暗い面を熟知しつつも、娘の家出(奉公)や女の旅について、祖父母の世代の聞き書を通じて、女性がいきいきと振る舞う経験として伝えている。
こうした生い立ちが、宮本の民俗学に深く影響を与えることとなったのである。
(『宮本常一 民俗学を超えて』木村哲也 岩波新書 2026年)

試し読み」に「出稼ぎと移民の島」。
父の故郷からもブラジルやハワイなどへ移民した人がいます。
今朝の父の一枚です(^^)/
キジバトが日向で気持ちよさそうに羽づくろいをしていました。
立春を過ぎてから吹く強い風を……

 暖かくて危険な強風「春一番」 

「春一番」といえば、昭和後期に青春時代を過ごした人は、国民的アイドルグループのキャンディーズの歌を思い出すのではないでしょうか。
 雪が溶け、その水が川となって流れる描写から始まるこの歌は、季節が春へと移っていくことへの期待感とともに、過去を忘れて新しい生活に踏み出そうという前向きの気持ちを表していると解釈できます。
歌詞の中にある風が暖かさを運んでくるという部分が、春一番の特徴をよく表していますね。
 気象学的には2月4日ごろの立春から3月21日ごろの春分の間に、広範囲で初めての吹く暖かく強い南風をいいます。
多くの場合、日本海を温帯低気圧が東に進むときに、その東側から南側でこのような風が吹きます。

 …つづく…

(『天気のからくり』坪木和久 新潮選書 2025年)

今日2月4日は、小泉セツ158回目の誕生日です🎊👏
記念館エントランスにお祝いの花を飾りました🌸