2023年11月12日日曜日

時雨れたけど

今朝は、時々、ポツポツと時雨れていました。
寒いからかな?
カタツムリが殻の中に閉じこもっていました。

昨日は、循環器科受診の前に血液検査と尿検査。
帰宅後、眼科を受診しました。
風が冷たいなと思ったら

「近畿地方で木枯らし1号」去年より2日早く 大阪管区気象台〟(関西NHK 11月11日)
今朝のNHK俳句 題「冬構(ふゆがまえ)」で夏目漱石の句が紹介されていました。

名句de穴埋め 
[  ]や 心元(もと)なき 冬構 夏目漱石

[  ]の答えは後で(^_-)
 風に聞け何れか先に散る木の葉  夏目漱石

 各地の伝承などを調べると、風を神の去来の現れとしてきたことがよく分かる。
若狭湾以東の日本海沿岸で、冬の強風をたま風と呼ぶそうだ。
たまは霊魂の意で、悪霊(あくりょう)の吹かせる風らしい。
神渡しはこのころ吹く西風のこと。
出雲(いずも)に行く神々を送る風の意だ。
漱石が風の霊魂を信じていたかどうか知らないが、<風に聞け>とは巧みな文芸的表現である。
 木の葉が枝にわずかに残っているのだろう。
風前の灯ではないが、その心細さは作者の胸中でもあったか。
風に畏敬の念をいだき、特に凩(こがらし)に関心が深かった。
凩の句を28句も作っており、その中には「凩や真赤になって仁王尊」「凩や海に夕日を吹き落とす」などの作もある。
   1867~1916 江戸牛込生まれ。小説家。正岡子規に俳句を学ぶ。
   句集『漱石俳句集』など。『夏目漱石全集』。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)

[  ]の中は「砂濱(すなはま)
ブラタモリ「鯖街道・京都へ~鯖街道は何を運んだ?~
で、タモリさんと野口葵衣アナウンサーが葛の葉のお茶を味わっていましたね。
「クズ 葉 茶」などで検索すると葛の葉のお茶がヒットします。
今ではクズは厄介者扱いなのですが
昔は「白いダイヤ」とも呼ばれていました。
クズ 
使用法 風邪のひき始めや二日酔いに


 晩夏から秋ごろ根を掘り出し、水洗いの後に外皮を除去、日干しにしたものが葛根。
風邪や下痢には、葛根5gを煮出し、温かい煮汁を1日3回飲む。
葛根を細かく粉砕し、水にさらして採取したデンプンが「葛粉(くずこ)」。
発汗や解熱には、葛粉に水と砂糖を加えて煮た「葛湯(くずゆ)」を用いる。
葛粉を使用して作られる葛餅は、代表的な和菓子としておなじみ。
 また、8月の開花直後に採取し、日干しにしたものが葛花。
二日酔いには、1日3~5g程度を300mlの水で煮出し、冷ましたものを服用する。
(『散歩で見つける薬草図鑑』指田豊 監修 家の光協会 2021年)
エピローグ
 1 魔女狩りと新教徒


 魔女裁判が確立されるまでの長い歴史がカトリック世界に属するために、魔女狩りの主役はカトリックであり、プロテスタントはその脇役にすぎなかったという錯覚をひこ起こす恐れがある。
ことにプロテスタントを革新的な自由の戦士と受けとれば、この錯覚はいっそうひどいものとなろう。
 近代的なルネサンス運動と宗教改革運動とは、その開始から終滅にいたるまで、中世的な魔女裁判とその時期を同じくした。
(『魔女狩り』森島恒雄 岩波新書 1970年)
 旧教に対する新教を、頑冥な保守に対する進歩的な革新という素朴な印象を受けている私たちが、「旧い教会」への「抗議者」として立ち上がった新教徒は、その古い教会が開始した魔女裁判に強く抵抗したであろうと期待したとしても、不自然ではあるまい。
しかしこの期待は、ルネサンスの巨星たちへの私たちの期待と同様に、完全に裏切られる。
新教徒は旧教徒と同じく、いや旧教徒以上に頑冥な迷信家であり、熱心な魔女裁判官であった。
 なるほど、新しい魔女概念を創作したのも、またそれを異端審問に適用して魔女裁判を開始したのも旧教徒だったことは、すでに明らかにしたところである。
 しかし、その魔女概念をそっくりそのまま受けつぎ、それにもとづいて魔女裁判をいっそう盛大なものにしたのは新教徒であった。
魔女旋風は宗教改革から

 宗教改革の拠点のひとつドイツは、もっとも苛烈な魔女裁判の本場であったし、そのドイツで魔女狩りが苛烈になったのは宗教改革からであり、新教徒の手によってである。
 ドイツについて魔女狩りに忙しかったスコットランドでも、宗教改革前には一人の魔女も焼かれていず、その摘発と処刑が激化したのは新教王ジェームズ6世のヒステリックな魔女狩りからであり、カルヴァン主義の長老教会の手によってであった。
 イングランドはもともとカトリック教会の異端審問制がその勢力を伸ばしえなかった地域であり、したがって魔女裁判も他国にくらべて微弱だったが、そのイングランドにおいても、魔女追求が激しくなったのは、新教国としての旗幟を鮮明にしたエリザベス女王が魔女狩り強化令を発布(1563年)してからである。
この魔女狩りはジェームズ1世の強化令(1604年)によってさらに推進され、清教徒の支配下でピークに達する。
 旧教の勢力が圧倒的に強く、新教との抗争が微弱だったアイルランドでは、最初の魔女裁判(1314年)から最後のそれ(1711年)までに、わずか5件あまりを数えるにすぎない。
それも、最初のものを除くとあと全部は新教徒の手による裁判であった。
 そもそも魔女裁判は、ローマ教会に反抗する異端者を異端審問官が「悪魔との結託者」として処理したことから始まった。
したがって、新教両教徒が、お互いを異端者――悪魔との結託者――として処理しようとすれば、双方の側において魔女裁判が激化するのは自然の成り行きであろう。
改革運動に対抗して起ち上がったカトリック側の対抗改革運動が強力だった南ドイツ(ことにヴュルツブルクやバンベルク)で、熱狂的な魔女狩りが行われた理由もそこにあった。
(そこで摘発された魔女の多くは男性であり、しばしば法廷記録に「ルター派」と記されている。)
 この新旧両勢力の衝突はやがて三十年戦争(1618―48年)をひき起こし、その戦禍はドイツの都市と農村を徹底的に荒廃させ、ドイツを疲弊のどん底にたたきこんだが、この時期はまた、魔女狩りの最盛期にあたっている。
 ルターと悪魔

 こうした客観的条件とは別に、新教徒は、旧教創作の魔女像――悪魔と結託した新しい魔女――を実在と信じ、したがって魔女狩りに熱中することになる主観的条件を備えていた。
 古い教会の形骸化した制度、組織をとび越えて、直接、聖書に帰一しようとした新教徒は、聖書のいたるところに悪魔を見出し悪魔と対決したのである。
ルターの有名な『教理問答』は、63回出てくる「キリスト」の名に対して「悪魔」の名は67回だという。
それほど悪魔はルターの身辺につきまとっていた。
彼は悪魔について自分自身の体験を数多く語っている。
ヴィッテンベルクの僧院にいるときには、悪魔の騒ぐ声にいつも悩まされていたと彼はいう。
ヴァルトブルク城に滞在していたときの彼の居室の壁には、彼が悪魔に向ってインキ壺を投げつけたときの黒インキのしみが、いまも残っているという。
 こうした心情のルターの魔女に対する恐怖と憎悪は彼自身の言葉によく現われている。
 「私はこのような魔女になんの同情ももたない。私は彼らをみな殺しにしたいと思う。……創造主に対して反逆し、また、悪魔には認める権利を神に対しては認めようとしない魔女が、死刑に価しないということがどうしてあろうぞ。」(『食卓談話』)
 おのれの奉ずる信条と教理から、ほんのわずかでも逸脱するものは死をもって罰するというイントレランス(不寛容)と迫害の精神においては、新旧両教とも全く一致していた。
…後略…
(『魔女狩り』森島恒雄 岩波新書 1970年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カワセミを写せて喜んでいました。

第4章 都市の河川や池の水鳥
 カワセミ 環境変化にゆれる〝空飛ぶ宝石〟
 ✤メタリックな色彩


 カワセミは、多くのバードウォッチャーにとってあこがれの鳥である。
水辺で野鳥を観察していて、カワセミに出会った日は、なんとも心が晴れやかに気分になるのは私だけではないだろう。
 大きさはスズメくらいであるが、光沢のあるメタリックな色彩で輝いている。
胸から腹にかけては赤茶色の色彩もよく目立つ。
しかも、光線の当たり具合によっては、ブルー、グリーン、ブラックなど、キラリと光る色彩の変化を楽しむことができる。
カワセミは、漢字で〝翡翠(ひすい)〟とも書き、〝空飛ぶ宝石〟の別名もある。 
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)